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自己紹介|はじめてのnote

はじめまして、桃月海といいます
モーげっか、と読みます

モノ書きをしています

旅が好きです
交通手段とお宿だけを予約し、なんの目的もプランもなしで
とりあえず現地に降り立ち、その土地の空気や匂いを吸い、その土地の人々が話す現地の言葉を聞き、動くさまを皮膚で感じ、その空港や駅の地面から立ち上るエネルギーやパワーみたいなのに突き動かされるように、次に一歩進む方向を決める
そんな旅を愛しています

冒険と探求が好きです
知らない場所、知らない人、知らない仕事、知らないなにか……
そういうものを知って実際に体験するのが好きです

<この世界ってどうなってるの?>

幼い頃に発したその疑問を今もなお、知り、味わおうとし続けています

宇宙のこと、宗教や哲学、心理学やオカルトに民俗学、地理や歴史やテクノロジー……エトセトラ・エトセトラ
いろんなことを気の向くままに学んできました

人間関係、お金、病気
人生の中でさまざまなことがあり、その解消のためにも奔走しました
各種セラピー、療法、占い、霊視、西洋医学に東洋医学にアーユルヴェーダに代替医療
自分のカラダで実験するかのように、いろんなことをしました
でもそれも結局は、未知のことを知りたい・経験したい、が土台だったのかもしれません

そうやっていろんなことをやってきて
諸問題があらかた片付いたとき
人生の夏休みみたいな時期がやってきました

ぽか~んとして
なにもしない

ただ毎日、近所をうろうろと散歩して
植物や虫やハトやカラスやスズメをじーっと見て、田んぼのオタマジャクシや小川にひそむザリガニをぼーっと見ていました

これ……小学生のときと同じことしてるな……

社会人としてや大人の視点からすると、なにもしてない、ということになります
なにも有益なことをしていない、生み出していないと
でも、楽しい
静かに、しみじみとした味わい深い感動がある

「有益なことなんて、なにもしたくねぇや!」

と思いました
ただこうやって、日々をのんびりと明るく、日常と近所に散りばめられてるステキなものを観察したり味わっていたい
どうして、そんな風に生きられないんだろう?
どうして、ちょっと前まで「有益・誰の役に立つこと」にやっきになってたんだろう?
自分は欠けたところだらけのダメ人間なのだから、少しでも有能で完璧にならねばと頑張っていたんだろう……?

そんなとき、一人のオカンに出会いました
大阪のオカンでした
ネドじゅんさんという人でした

そのオカンが話すのは「脳と意識」について
それを聞くうちに、自分が長い間やってきた学びや体験や気づきやその他もろもろが巨大な「そうだったのか!!!」に落とし込まれました
そうして、そのオカンの言う通りに一人でワークをし始めました
なんとそれには一切、お金がかかりません
YouTubeとnote記事は無料だし、それだけで膨大な情報量です
著書『左脳さん、右脳さん。』は1540円ですが、わたしはKindle Unlimitedの無料期間で読んだので実質ゼロ円でした
その本さえ、別に読まなくてもいいのです(読んだ方が理解は深まりますが)
YouTubeとnoteだけでこと足ります

わたしはオタクなので、夢中になったものごとにはとことんタイプです

なので、そのオカンが話すことを全部網羅したくて、オカンが主催するサロンというところに入ってみました

正直、サロンと聞いただけで引いてしまい、最初は入る気がありませんでした
情報商材ビジネスみたいに、先へ進むごとに高額な何かになるかもしれません
でも、サロン会費は月額1100円でした
「一ヶ月だけ入って、そこにある情報を全部網羅して、それで退会しよう。どんどん高額になるステップアップ形式だったら、やめればいいだけだ」
疑り深くケチリアリストなわたしはそう、考えました

それから七ヶ月が経ちました

わたしは、まったく違う自分になってしまいました

でも、まったくもって、以前と変わらぬ自分のままです
オタクだし、疑り深いしケチリアリストだし旅好きだしモノ書きです
石油王にもなってないし宇宙ロケットも飛ばしてないし、キアヌ・リーブスと握手もしてないし、世界の富のほとんどを手に入れるなんてこともしていません
普通の、一市民なわたしのままです
一市民なまま、思いもかけない奇跡が起こり続け、長年悩まされていた家族・親族間の問題が解消され、抱えていたトラウマも「気にならない程度」に小さくなりました

さらに時間が経って
そうしてまた、この夏
植物や虫やハトやカラスやスズメをじーっと見て、田んぼのオタマジャクシや小川にひそむザリガニをぼーっと見ているのです

でもそこには「そんなことをしててなんになるんだ」「有益なことをしなきゃ」「大の大人がなにやってんだ」なんて葛藤や、なりたいわたしにならなきゃ!なんて自分を叱咤する言葉がないのです
ただ、全身で蟲を愛でているだけのわたしがいるのです

その叱咤する言葉の正体はオカン曰く「左脳さん」でした
ざっくり「思考」や「勝手に話してくる頭の中の声」と言ってもいいかもしれません
瞑想でもセラピーでも止めることが出来なかったそれを、止めることができてしまったのです

時間感覚も変わりました
「時間」というものが本当はないことがわかりました
でも、現実として社会認識として知覚することはできて、待ち合わせの時間にその場所に行くことができます

わたしと他者や、目の前の机や壁や窓の外の樹木に境目がないこともわかりました
それでも、他者と話したり衝突したり、別存在として机や鉛筆を使う楽しさも知っています

それらは言葉にするとパラドックスなのですが
いろんなことが層になって重なって同時に存在するようなのです

そして、このカラダは、このイノチは、多種多様な「存在」が混在して「在る」、超スーパーハイテク複合体であり、そこに「神さま」という言葉を使わないことには、言葉で説明するのは難しいということも知りました

(どの宗教にもどの団体にも属していません。けれど様々な宗教の教えには真理があると感じます)

ここで書いている「知った」「わかった」は、頭で学んだという意味ではありません
実際にこのカラダでその真実を体験し、経験し、感じて味わって、わかったのです

そんなこんなを、このnoteという場所で書いていこうと思います

この記事の前、最初の投稿に2022年に書いた『羽化と白雨』という短編小説を置いておきました
名刺代わりと思って読んでくださればうれしいです
ショート・ショートなので10分くらいで読めます
某文学賞に応募して、見事に落選した作品です笑

自分がまったく変わってしまった・けれどまったく変わってはいない

その今の自分の状況を感じたとき、この小説のことを思い出し、そしてそれを最初に持ってきて、新たな名義でモノを書いていこうと思い至った次第です

どうぞ、よろしくお願いします


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