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私(達)はどう生きるか

生まれてすぐのことはもちろん覚えていないのだが、かなり小さかった頃の記憶に、
秩父に住んでいた遠い親戚のお婆さんのお通夜(もしかしたらお通夜前だったか)に行った事の記憶がある。
古くて、でもとても綺麗に整頓された日本家屋の和室に布団に寝かされた亡くなったお婆さんがいる。
顔に白に布、布団の胸の辺りに小刀が乗っていた。

子供心に
【あのナイフみたいなんで刺されて死んだんか!!!!】
と怖くなり、ずっと父親にしがみついていた。人が死ぬことが初めて得体の知れない怖い事なのではないか?とよぎった瞬間でもあった。

生まれて何十年かは【誕生】に背を向けて上を見ながら山登りをしている感覚に似ている。
子供の頃だって辛いことも悲しい事もあったけど、なんだかんだ希望に満ちていた。
(気がしただけかも)
それはヒャッハーしすぎた10代も20代も同じだ。
ところがどうだろうか、30を過ぎて結婚をし、子供を産めないと悟る30代後半にそれは突然やってきた。
山あり谷ありではあったが、登山していたと思っていた山をいつのまにか下山し始めていたのだ。

若い頃の【誕生を背にして歩く】感覚から、確実に【死に向かって】下山し始めていることに気がついた。
死に直結した病気をしたわけでもないし、身近な人がどんどん亡くなったわけでもなかった。

人生100年時代とはいうが、それにしても折り返しはちょうど半分ではないことに気がついた。後半がとにかく長い。

私は丁度(?)長生きはしたくない方なので、死ぬこと自体に恐怖はないのだが、それにしても50歳にもなると死を考えるチャンスが度々巡ってくる。


結婚の遅かった父と、長女と歳の離れている私は父と40歳の歳の差があり、父はめでたく今年で90になるのだが、現在は重度認知症で施設に入所している。

結婚して実家を出て一緒に住んでいなかったので日々の予兆は見逃してはいたが、認知症である事を家族全員が自覚したのが今から5年前の免許の更新が出来なかった事だった。

高齢者講習のテストで、点数が取れず、ショックを受けていたのだろう父を時間をかけて説得し(点数取れないんだから更新はできないのだが)免許を返納してもらった。
すぐに父は車を処分し、自転車であちこち出掛けるようになった。

その半年後

自転車で朝出かけたきり帰ってこないと泣きながら母親から電話がかかってきた。
今夕方の6時。

なんとなく思い当たりそうなところを友人にも手伝ってもらい、車で捜索するもなかなか見つからず、最終的に警察にお願いしてパトロール中のパトカーに家から5kmほどの田んぼの中を自転車を押していたところを保護された。夜9時のことだった。

その時初めていわゆる自宅に帰れなくなった認知症高齢者の父が爆誕した。

家族全員ショックを受けた。
もともと認知症の進行はあっただろうが、免許返納したことで一気に加速してしまった。

その一年後にもまた自転車で行方不明のところを、親切な方に保護していただいたことで、自転車を取り上げた。(自転車で転んで怪我をしてうずくまっていたところを助けていただいた)

その後、今度は歩きで気が狂うほど徘徊を1年半程続けた父は(母がずっと後ろからついて歩き監視していた)2023のお正月に持病で入院し、歩行困難になりその後施設へと入所することになったのだが、家族の事は最初の自転車事件の半年後にはもう分からなくなっていた。失語もすぐに発症し、会話は成り立たなくなり、相当進行が早かったのだが、今は施設で半寝たきり(姿勢保持して貰えば車椅子に乗れる)状態で、ほとんど喋らず、でもご飯はもりもり食べて、お風呂もマシーンに乗せられ入浴し清潔にしてもらい、自宅で家族と奮闘しながら認知症に向き合っていた頃より健やかに健康に過ごしている。

よく、認知症のことについて書かれている本などには、認知症を完全発症(まだらでなく)すると、本人はとても幸せな世界に居るのだという。

なぜ神様は人生の最後に苦痛の先の最高の幸せ(お金がなければ成立しないが)を用意するのだろうか。
死に方を選べないのは幸せなのか不幸せなのか。

父上、あなた今どんな世界で生きてますか?
ぜひ人生の先輩として教えてもらえませんかね?
もっともっと話したいことあったのよ。
(死んでないけど)

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