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それでも私は世界を愛する。私は私の意志で世界を選ぶ。

今日は古いノートを片付けている。

何かのセミナー
何かのセッション

そのメモたちに眼を通しながら、ゴミ袋に詰めていく。
読まない方がいいのかもしれない。
でも、そういう「セオリー」や「やり方」さえ、今の私には「べき」でしかなく、誰かの正解、誰かが作ったルールでしかない。


「助けはこない」

古い古いメモの中に、その文字を見つけた。

自分の奥の奥に、そんな信念体系があることに気づいたとき、とにかくびっくりした。とてもとても驚いた。ショックだった。

このメモが、そのときのものだったかさえ、もはやわからない。
ああ、ここにもこんなことを書いているなと、
ぼんやり思った。


この信念体系をどうにかすべく、長い間、あれこれと自分の癒しに取り組んできた。
おかげでずいぶん、生きるのがラクになっていった。
副次効果として、自分を縛っていた、たくさん鎖が外れていったから。

だけど、いちばん根底にある、

「助けは、来ない」

だけは、消えることはなかった。

古い古い記憶をたどっていくと、必ずしも助けが来なかったわけではない。事実、助けは来たのではないか?
ならば今の私はこの感情感覚を、手放すことが出来るのでは?

古いメモをながめつつ、かんたんなワークを試みた。
でも、薄れていく体感はない。


で、

唐突に思った。


「助けはこない」
それが本当か本当でないかは、どうでもいい。
だってそれをどうにかしようとしても、どうにもならなかったから。

そんなことは、もうどーでもいい!

それでも私は世界を愛する。


これが私の意志。

そしてきっと、私の遺志。
この世界に遺したいものなのだ。


「そうしなければ」とか、「そうすべき」とか、はたまた「そうしたい」とか。
そういった感情はいっさい無い。

これは私の選択。

純粋に、私は私の意志で世界を選ぶ。


私がずっと縛られていたのは、

「助けはこない」という信念体系は、あってはならないもの。
それは癒されなければいけない。
手放さなければいけない。

それがある限り、あなたは幸せにはなれないんだよ、という、心理学や自己啓発やスピリチュアルの知識や教えから刷り込まれた価値観だった。

私が手放すのは、こっちの信念体系だ。



「私は我(が)の強い人間だから」

いつも自虐的に言っていた。

そう、つまり、

我が強いのはいけないこと、悪いこと。
エゴは手放さなければいけない。

こんな誰かの価値感・世界観に、からめとられていた。


私を幸せにしない「正しさ」なんて、私はいらない。
ごちゃごちゃ御託を並べるのはもう飽きた。

誰がなんと言おうが、

それでも私は世界を愛する。


それが私にとっての幸せ。
私にとっての、たったひとつの正解なのだ。


私は私の意志で世界を選ぶ。
私が世界を選ぶ。
私が世界を創る。

「そうしたい」のでもない。
「そうあって欲しい」のでもない。

ただそうであるだけ。

だってこの世界は愛するに値する。
泣けるほど美しいから。

それを知っている。

確かに私は知っている。


それが私が生涯かけて伝えていきたいこと。
生涯かけて伝えていかなければいけないこと。

天命なのだと、いま思う。


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