後知恵バイアスと物語(ナラティブ)
今読んでる本の話をしよう。
『ファスト&スロー』
https://www.amazon.co.jp/dp/B00ARDNMEQ/ref=cm_sw_r_tw_dp_ZRZEQMGCZ4A5NRTQW5V1
あ、文庫になってる。いいなー。
丁度きのう、店に並んでるときに電書で読んでた内容から。
後知恵バイアス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E7%9F%A5%E6%81%B5%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9
多少アカデミックな内容になるが、浅学なおれのななめ読みとTRPGへの我田引水な記事である。おおらかな気持ちで読んでいただきたい。
* *
「ほらみろ! 思ったとおりだ! おれは最初からうまく行かないとおもってたんだ!」
こんなセリフを聞いたことがあるだろうか。
このセリフへの返しはこうだ。
とはいえ、言った相手も最初からそう思っていた上で、その危険性を告げずにおいて愉悦に浸っていたわけではない。はずだ。
事が起こったそのあとで、誰しもが「なぜ?」と考える。そしてその答えを記憶から探っていくわけだが、ここで我々の脳が悲しきバグを起こす。
その「発生した現象」…答えから逆算した答えに飛びついてしまうのだ。その結果、過去、本当にそう思っていたかどうかにかかわらず、「自分は前からこの考えを持っていた」と考えがちなのである。
そりゃそうだよ。現に「失敗」は起こっているんだから、起こらなかった「成功」に比べれば100%の勝ち馬だ。
まぁ、これは仕方がない部分もある。過去の記憶が刻一刻と劣化していくのは人間だから当たり前。ずーっと記憶を余すことなく保持していたら脳の容量オーバーになってしまう。
だから「今見ているもの」と「あいまいな記憶」を線で結んで因果関係を作ってしまう。失敗という結果に対して、そう思うに足る記憶を集めてひとつの「筋が通った物語」の一丁上がりってわけだ。
人間、自身が思っている以上に「今」に支配されているのよね。
※全然関係ないけど、劣化しない記憶を持つAIの人格なんかはこういう考え方をしない、っていうのは面白い視点になると思う。でも実際に本で読んだりしたらウケにくい気がする。もともと、物語の登場人物はたいてい、実際の人間よりもこういうバイアスに強い。
ただし、これはまた、不確実性から自分の心を守る鎧にもなる。そう、彼の悲劇は予測できたものだ。同じことをしなければおれは大丈夫。なんの理由もない理不尽なんてないんだ。
物語(ナラティブ)の生まれ方
ダイスを振った結果を”解釈”したことはあるだろうか。
TRPGerなら多かれ少なかれ、経験したことはあるだろう。
この間は手傷を押して戦場に戻ったキャラクターがダイス目が悪くなり、「やはり本調子ではないのでは…?」ってな心配をされたりしたものだ。
こんな風に、起こった結果から過去の情報を線で結んで因果関係を作る……。
そう、お気づきの通り。
現在から過去に向かっての因果関係を見出してそれを「物語」として抽出するという過程…「後知恵バイアス」の発生機序とTRPGセッションで後ろに目掛けて物語の線が繋がり、まるで予めそれが予定されていたようにしっくり来るアレとは根っこで同じものなのだ。
TRPGセッションの物語(ナラティブ)を生み出す仕組みと他の後知恵との決定的な違いは、ダイスっていう乱数発生装置によって、それが誰の目にも「偶然」だといい切れるところであり、そこに有りもしない必然を見出すことがフィクションとして了解されているところじゃないか、と思う。
セッションのダイス目に「ほら見ろ! おれはここでファンブルを振ると思っていたんだ!」っていう人は……
少ないとは思うけど、中にはおるな。なんかごめん。
……とか言うと話が進まないので、比較的少ないということにしといてくれ。
ホントは、後知恵バイアスにおける「失敗」も、後から失敗した理由をどれだけあげても「偶然」の要素は以外に大きかったりするもので、実はやっぱり同じだと思うんだけどね。目に見えた乱数発生装置の「お告げ」の力は大きい。
ランダムな結果にさえ、何らかの因果関係を見出し、そこに物語を作ってしまえるのだ。脳の抱えた陥りやすいバイアスだろうがなんだろうが、それを楽しむ目的で使えるなら上等、というところだ。
※ちなみに山本弘先生の描く自我のあるAIは、人間のこの「物語を作る」力を大変大事にしていた。
ここからは私見だが、過去の記憶が薄れることのないAIたちにはバグではなく純粋な知的パズルのようなものに映るのかもしれない。
個人的に気をつけたいこと
ずっと後知恵バイアスについては「失敗」の「ほらみろ!」を例に取って挙げていたが、個人的にはセッションではそれを上回る損失になるんじゃないか、と思っていることがある。
それは「成功」についてだ。「やっぱりね、上手くいくと思っていたんだ」ってやつ。
後知恵が、不確実性に対して自分の心を守る働きになる、というのは先にも書いたが、それってつまり、成功も失敗も「予測できたからそんなに驚かない」というベクトルに働くこともありうる。
だから、後知恵で自分がむしろ怖く感じるのは、上手くいったことの程度をマイルドに認識することによって「ホメられない」こと。
場合によっちゃ「おれはアイツが伸びると思ってだんだ!」って自分の見る目アピールにしちゃったり。
「ほらみろ! やっぱり失敗した!」っていう後知恵を振るいがちな人は得てして褒めるのも下手だという仮説である。
脳は「今」の影響を受けやすい、ということは書いている自分自身も囚われがち、っていうことで。特にホメそびれるおそれがある成功時こそ、後知恵が入らないようにしたいところだ(むしろ褒める方向に物語を結びつけ、「いや全然そこまで考えてなかったなけど」の方がいいかなw)。
おれが周りに大事だー、って言っている「即褒める」っていうのは、後知恵を防ぐために、折に触れてその時おれはこう思っていた!っていうコミットメントになって良い、という側面もあるかも。
最後に
過去にさかのぼって因果関係を見出す、という人間の認知が、片や後知恵のマウントに、片やセッションにおいて物語(ナラティブ)の共有に影響している……というのが今回のお話。
もうひとつ言っちゃうと、どっちも答え(らしきもの)を見つけてお脳は気持ちよくなるんだよな、これが。
同じ筋力を使っているんだからそれをいい方に使おう……なんて都合のいい話になるかというとそう簡単なことではないと思うけど。
「ほらみろ! おれは最初からうまく行かないと思っていたんだ!」という形で稲妻のように閃いた物語を、うまく共有さえできればセッションでは強みになる。
「この失敗って、あの時のアレが影響してた、とかどうよ?」
みたいな提案につなげる事ができれば、周りにキャッチしてもらい、広げやすくなるんじゃないだろうか。
『ファスト&スロー』は心理学的なアプローチから陥りがちなバイアスとかを沢山たくさん紹介してくれていて、おれのようにTRPGに我田引水しながら読むのもまた一興、という名著である(特殊な使い方です)。
特に「今」から過去に向かって連想を繋げ、因果関係の通った「物語」を見出すという流れは、セッションで生み出すたくさんの「物語」に通じる。
そして、曖昧な記憶の中からそれを拾い出すという点では、現実でもセッション内の仮想の現実でも、そこに区別はないのだ。
そして、そんな物語の共有の果てに、神話や国家なんてものも創造しちゃったのが人類なのである。
っとと、なんか壮大な話になってしまったが。
そんなおれたちの頭の働きのクセについて理解を深めておくと、普段から体を動かしている人の身のこなしのように、セッションでも少しだけ、自在に動けるようになるかもしれない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?