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3か月ぶりの墳活!大井公園内古墳

3か月ぶりの墳活!
withコロナにあってなかなか墳活ができなかったが、今日は自宅から1時間ほどテクテク歩いて、墳活を楽しんだ。
向かったのは京浜急行線鮫洲駅方面。

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「大井公園内古墳」は、鮫洲駅のそば、品川区東大井4丁目の大井公園内にある。『東京都遺跡地図』には品川区の遺跡番号20番の古墳として登録されている。

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都心部遺跡分布調査団により行われた昭和58年度の品川区大井地区の古墳分布調査では、円筒埴輪片が採集されている。
この埴輪片の発見により、それまで公園の造営時に盛られたものであると思われていたようだが、元々存在した古墳を流用したものと現在では考えられている。

残念ながら発掘調査は行われていないため、埋葬施設や周溝の有無については不明である。

大井公園の坂の下には、品川区教育委員会により設置されている説明板がある。

古墳についての記述は見られないが、江戸時代のこの周辺は下屋敷であり、この下屋敷内に所在したと云われる塚について、以下の記述があり興味深い。

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「旧・越前鯖江藩間部家下屋敷跡
(元:陸奥仙台藩伊達家下屋敷跡)東大井4丁目

この地より高台に向かう一帯には、越前国(現・福井県)間部下総守の下屋敷があった。

もともとは、万治元年(1658)に仙台藩伊達家が麻布(現・港区)下屋敷を返上して、新たに大井村に拝領した下屋敷であった。

この屋敷内には高尾太夫の器を埋めたという塚があり、その上にはひと株の枝垂梅があったと伝えられている。

元文2年(1737)に、鯖江藩間部家大崎屋敷と伊達家品川屋敷の一部を交換し、間部家の下屋敷となった。その後、一部は再び伊達家の所有となった。

安政2年(1855)頃の鯖江藩主間部下総守詮勝は5万石の家禄があり、上屋敷は常盤橋御門内(現・千代田区大手町)にあった。
                   品川区教育委員会」

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ちなみに私の夫は鯖江出身だ。不思議なご縁にビックリしている(^-^)

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