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私が慶應に縁があったのは、古墳が導いた運命なのか⁉︎

慶應日吉キャンパス。今日2020年3月21日も訪れて、博士論文の執筆を図書館でしていた。私は慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科の博士課程に籍を置いている。現在は博士論文作成のため、遅々たる歩みだがなんとか進めている。

半日図書館にこもって執筆後、帰ろうとしたとき、今更ながら校内に飾ってあった1枚のパネルに、目が釘付けになった。

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そこには、「秋草文壺」と「日吉加瀬山古墳発掘の様子」が!  何度もこのパネルの前を通っていたはずなのに、気づかずにいた私のバカーーーーー‼︎

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   更にパネルを読み進めると「弥生人たちも住んでいた!」の説明が。

そこで改めて調べてみた。

日吉キャンパスおよびその周辺に5ヶ所にわたって日吉台1~5号墳と名付けられた円墳があるそうだ。

1号墳は綱島街道のすぐ東側崖の上にある。直径24m、中は2.3mx60cmの範囲に粘土床があり、その上に木管を置いたらしく、人歯が2ヶ所残っていたという。その他にも、大型の銅鏡2、竹櫛1、短剣1、鉄鏃1、ヒスイの勾玉5を含む1700をこえる玉類(琥珀の勾玉、管玉、ガラス玉、丸玉、ナツメ玉など)が見つかっている。優れた遺物が発見されて、一括国宝に指定されたそうだ。

日吉付近の古墳は、いずれも弥生式竪穴の直上に構築されている。2号墳は3号墳と同じ丘の東端にあり、円墳の形はよく留めているという。この丘の東側を削平して野球場ができる前に調査したところ、ここは弥生式竪穴約20個が密集していたそうだ。

4号墳、5号墳は慶應の寄宿舎のほうに伸びた丘にある。5号墳からは殆ど何も出土しなかったそうだ。

いやはやいやはや!  灯台下暗し。

日吉の墳活をしてこなかった私のバカーーーーー‼︎

そしてこんなに古墳がある地の大学に縁があったのはもはや運命かも、と福澤諭吉先生に語りかけたのであった。

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