(2)〇〇しなければならぬ!の呪い

自分語りをしようと思った時、これは書かねばなるまいて。

「〇〇しなければならぬ!の呪い」について。

多分誰にでもあると思うし大小在れど経験していると思う。固定観念というか、こうじゃなくちゃ駄目だ!ていう決めつけってヤツね。

私はそれがとても強い。私が?いや、うう~ん。私も強い・・・が、私の祖母が強かった。とてもとても、と~っても強かった。

自分語りの場だけれど、早速外れて祖母の話になってしまうが・・・大いに関係があるので良しとしよう。


祖母は、もう故人だ。随分前にアッチの世界に行ってしまった。戦争を体験していて、想像もできない生死を乗り越えて来た人。精神的にとんでもない強さを持った人だった。家族親族誰も彼女には太刀打ち出来なかった。

そして、彼女が白と言えば何があっても白だった。そう、ボスの立ち位置である。

彼女の逸話は数多あるが、まず一つ軽めのを書くならばコレだろう。

「頭痛なんてものは気のせいだ!そんなもの、鉢巻で頭をギュッと閉めれば無くなる!」と、頭痛がしたら鉢巻でこめかみを締め付けて、絞めた痛みで頭痛の痛みを消すという・・・。いやそれ、結局痛いやん!?!?と思うのだけれど、そうやって対処する人で。

自分だけソレでなく、周りにもソレを強要。従うまで何度でも根気よく「躾」てくれる方で。「教え」てくれる方で。

頭痛がするから休みたい?そんなのは、我が家では許されなかったのである。

こう書くと悪い事だけを思うけれど、良い面も素敵な面も沢山ある人だったことを書いておこう。ただ余りに超人的すぎて、それに付いていくのは本当に大変で・・・。祖母についてしっかり語ろうと思ったら何時間かかる分からないので、今回は簡易にする。とにかく家族親族に影響力の強い、とても心の強い、立場の強い人だった。

彼女はとにかく「こうでなくてはならない」というルールが沢山あった。例えば「自分より他人。他人の役に立ってこそ生きる意味がある!人の役に立たねばならぬ!」とか「何事にも全身全霊かけぶつかって行かねばならぬ!」とか「逃げず立ち向かわねばならぬ!」とか「正義を貫かねばならぬ!」とか、書いたら切りがないくらい「こうであるべき」という指針を沢山持っていた。そしてそれは、兄弟親戚親類子供孫に至るまでみなそうでなくてはならなかった。

心が鋼の如く強い彼女は其れを貫く事が出来ていたが、心が弱かったり、身体が弱かったりする者は当然それについてけず。破滅する者も少なからず居た。破滅、とは言葉が悪いが・・・そう書くのが一番分かりやすい。

かくいう自分も、破滅した側である。

祖母からの教えの正義感や倫理観、社会マナーにルール。それに染まろうとしたが染まれず、付いて行こうとしたが付いて行けず脱落。でも中途半端に叩きこまれて身に沁み込んでしまって、それに苦しむ事になる。

具体的な事象はさておき。「こうでなくてはならない」という暗黙のルール的な祖母の常識は、私や私の家族親族一族みんなに染みついている。

それは、あたかも「呪い」のようだと私は思っている。

その呪いによって、自分で自分の首を絞めている。

例えば。「困っている人が居たら助けねばならぬ!」とある訳だが、それはまず自分が困っていない状況であることを前提とし、人を助ける余裕がある場合に、目の前に困窮する方が居たら手助けする・・・なら良い。だが我が家は違うのだ。「例え自分が困って居ようが、自分を差し置いても人を助けよ!」なのである。自分が死んだとしても誰かの役に立つ事を優先せよ!なのである。

小さなころから、物心がつく前から祖母のその教えを受けて来た。だからそれが間違っていると考えたことが無かった。

けれど、自分が死にそうなのに、苦しくて辛くてもがいているそんな時に、人を助ける事って本当に出来ると思うだろうか? どんだけのパワーがそれに必要だと思う?

ぶっちゃけ、自分には不可能だった。いや、努力した。努力しちゃった。結果力不足で自分は死にかけたし、目の前の人は救えたかもしれないけど、自分に酷い致命傷を負った。それを誰も褒めてはくれない。だって、当たり前の事だから。

そういう事が沢山あった。「こうしなくてはならない」という暗黙のルール。それを守っていると、身を削られた。心を削られた。でもそれに従うのは当然で必然だった。

でも、それに沿えないわが身。

例えば頭痛について前述した通り、祖母は「病気というものは気の持ちようでなんとかなる」という考えの持ち主だ。「具合が悪いと【休む】なんて以ての外!休息は悪である!体調が悪くても休んではならぬ!」という「ねばならぬ」があった。

しかし、私は病気があり病弱で、頻繁に倒れては休む子供だった。そうなるとどうなるか?

「休んではならぬのに、休んでしまっている」という現実があり「ダメな事をしている」という罪悪感を産むのである。結果私は「休んでしまっているダメなヤツ」のレッテルが貼られたし、自分でもそのレッテルを顔面に貼っていた。休まなくては(言葉通り)死んでしまうので、休む。病気な訳だから療養なのだけれど、その療養は「悪」だった。少なくとも私の中ではそうだった。「休んではならない」のに「休むしかない実情」。それに苦しんだ。

そういうのを繰り返しをしてきて、大人になって、社会に出て、我が家の常識が相当ズレていると分かった時に、この呪いが身を蝕んでいると気づいた。けれど身に沁みついた呪いは簡単には剥がせないし、こびり付いたレッテルは容易には消せない。

「どうして休んじゃいけないの?どうして自分の身体を優先し大事にしたらいけないの?自分を大事にすることをどうして【悪い事】だと思うの?」

そう家人に問われ、初めて気が付いた。

どうして?どうしてって、そういうモノだったから。そう決められていたから。それが「正しい」と教えられたから。

そうとしか答えられなかった。初めて自分にかかっていた呪いに気が付いた。自分に染みついた概念がオカシイ点を自覚した。

気付いてから20年ちょっと。やっと呪いは薄れてきた。けれどまだ呪われているので事有る毎に「〇〇しなくてはならない!」というオカシナ概念で考えてしまうし動こうとしてしまう。

こうしなくてはならない、という「決まり」なんて、もう無い。祖母は居ないのだから。

でも呪いにかかった自分が心の底でその決まりを命じるらしい。

「インフルエンザの感染期間が過ぎたのだからもう元気にならねばならない!元気になってバリバリ働かねばならない!」

いやいやいや・・・無理だから!まだ治ってないから!そう思うのに、まだ動けないのに、頭では分かってるのに「休むのは悪である!」と呪われた私が言うのだ。そして強い罪悪感を産むのだ。

改めて書くけれど。祖母はとても強い人で、その「〇〇せねばならぬ!」を全て実現実行していた人だった。本当に凄い人だった。めちゃくちゃな人だった。あの精神力。あのパワー。あのバイタリティ。誰も敵わぬ超人だった。皆祖母を尊敬し、あの人の様に生きようと見習っていた。皆の憧れの人だった。素晴らしい人間性の持ち主だった。

だが、それは祖母だったから出来ていたのであって、常人が、ましてや健常でない身体の持ち主がマネして出来る物では無かった訳で。そうやって彼女の教え通りにやれない破綻した私のようなヤツは、どうしたって劣等感を持ってしまう。それは致し方ない事だと思う。

ここまで書いておいてなんだけど・・・「呪い」という言葉はとても的を得ていると思っている。言葉は悪い。祖母がもし生きていたとして、それを祖母に言えるかと問われたらNOである。

でも祖母にとって当たり前で普通で当然のその決まり事たちは、それを実現させるのが難しい私からしたら「呪い」でしかない。もっと早い段階で「これは呪いだ」と気づいて、その呪いの場から逃げ出せたら良かったし、「呪いにはかからないぞ!」と跳ね返すだけの「強さ」があれば良かったが、残念な事に私には難しかった。というか、これはある種の洗脳でもある訳で。1人の考え方、生き方、行動理念、信念、倫理観正義感概念エトセトラ・・・を、他者に「押し付ける」なんてダメだろうに。その人に憧憬し見習い目指すというのならそれはそうしたいと願った人の自由意思だ。だが、祖母に育てられた子供たち(私の父とその兄弟)は自由意思で無く「洗脳」で彼女の後を辿っていた。そして彼らはそれを配偶者と子に強いた。

祖母本人が、祖母の生き方が、あまりに素晴らしかったが為に、余りに壮絶で伝説的すぎたが為に、誰もその洗脳を間違いだと思わなかった。それに染まっていれば祖母のような素晴らしい人間になれると思っていたのだろう。けれど現実はそうは問屋が卸さない。弱い人間は潰れ、破滅していった。脱落者が増えるごとに、皆気付いてはいた。

あの人と同じにはなれない、と。

けれど、気付いても逃れられない。一蓮托生どんぶらこ。みんな同じ船に乗ってしまっていたからね。下りれば大海原。泳げるならいいけど、泳げない人は溺れ死ぬ。乗っていても大変だけど、飛び降りても大変。呪いの船は今日も絶賛航海中。

・・・ん?なんの話だwww まぁ、祖母が他界したその後も、一族揃っていまだに彼女の幻影を追っている訳です。呪いを呪いと気付かず過ごしている人も居ますし、呪いと分かっていて敢えて従っている人もいる。私の様に破滅しちゃった人もいる。

あ、でも船から飛び降りて、溺れたんだけど、小舟を寄せて乗せてくれた人が居たよ。それで助かったよ。生きてるよ。拾って貰って今は、呪われた身だけどどうにか生きてるので、結果オーライなんですが。

ただ、この「〇〇せねばならぬ!」の呪い・・・多岐に渡って自分を縛ってくるので、本当困ったものです。過去にも問題はいっぱいあったし、現在もまだまだ絶賛呪われ中(==;)

今度小学生の時のイジメの話も書きたいけれど、そのイジメだってこの呪いが一因だしね!!

「先生のいう事に逆らってはならぬ!掃除はサボってはならぬ!良い子で過ごさねばならぬ!悪い事をしてはならぬ!」この「ねばならぬ」を真に受けて正義感振りかざした品行方正な完璧主義の小学生。病弱で病気持ちで学校休んでばかりなのに偉そうな口をきいて悪者(と相手を決めつけ)に正論ぶちかます小学生。そりゃイジメられるわwwwwwww

と、そっちの話はまた今度。

今日も「家にいるなら家の事を完璧にやらねばならぬ!」の呪いに苦しみつつ「体調悪くても休んではならぬ!」の呪いを吐く心の奥底の幻影に必死に「そうじゃない!自分の命大事!自分大事に!休むの大事!」と言い聞かせつつ過ごす。

今はまだ解呪が出来ないので、上から別の呪文を上掛けしているに過ぎない。いつかこの呪いを笑い飛ばして解呪出来る日が来るといいなぁ。一生の課題になりそうだけどw