noteはじめました

noteに何か書き書きたいと思って、時間だけが経過してしまった。

全くやらなかったというわけではなくて、何度か挑戦した。けど、正しいことが書けているのか、とか生意気と捉えられないか、とか考えるたびに題材を変ては頓挫するということを繰り返して結局は諦めてしまった。

なんだかな、と思ってしまう。こんなことばかり繰り返しばかりだ。
恥ずかしい、とか自信がない、とかはもちろんあるけど、やってみて駄目だったからしょうがないんじゃない、っていう考えが根本的なとこにあるのが一番の問題。その考えが逃げであることは察していたけど、やっぱり見たくないものって見ないようにしちゃうあたりずるいなぁとか思うよね。

昔から人よりいろんなことができなかった。卑下とかではなく、事実として。客観的にはみるのは難しいけど、多分間違いない。でも結構楽観的で、挫けたりせずに時間だけは人一倍かけてきた。

「あなたは努力の才能があるから」
という親の言葉を信じていた。多分認められた才能ってそれだけだったから。とにかく頑張っていたんだと思う。あと単純に負けず嫌いだったしね。今思えば、兄が天才で親戚とかご近所さんとかみんな褒めてて、あまり私を見てくれなかった。だから親が必死に何かを認めようと思ってそう言ったんだと思う。

でも、親から見た努力の指標って多分わかりやすく時間をかけること、なんだよね。
だから結局時間をかけて何かを取り組むこと、に価値を見出しちゃってその結果は重要視してなかった。だからそれは努力と言えるのか?っていうことになるんだけど、言ってはいけないんだろうな、とは思う。
「努力しているつもりの人間がこの世には多すぎる」
ってソシャゲでヴィル様も言ってたし。
「自分で頑張ったつもりになっているだけでは評価も成果も得られぬもの」
ってリリアちゃんも言ってたし。

そう思うとこれまでの自分を否定することになっちゃうから、なんだかしんどくなる。
でもちゃんと自分に向き合いなさいって怒られそうだなって思って、とりあえず何か書こうかな、と思ってとりあえずnoteを更新してみた。自分が思っていることを書けば別に間違いではないんだろうし、あくまで個人の見解です、みたいな文章をつけながら読んでほしい。

これから何かしらテーマをつけて、毎日書いていこうと思う。と思ったけど、毎日は言い過ぎかな、睡眠時間は削りたくないし。週4以上で書いていこうと思う。自分のことを知ってほしい、とかではなくてこれはあくまで自分に向き合うために書いていくつもり。とりあえず1ヶ月向き合ってみて、読まれることにも慣れたらなにかできたらな、とは思ってる。

とはいえ、本当に内容がない記事になってしまったので少しだけ付け加えてみる。
noteを更新するぞって前にto doリストを書き出してみたのがとても良かったから紹介したい。

だらしがない人間なので、私にはやらないといけないことがたくさんある。人としてどうなんだって憂鬱になるくらいたくさんある。noteを更新すると決めてしまえばそれがやりたいことリストからやらないといけないリストに変わってしまうのがとても億劫だった。
そう思うと中々踏み出せない。このままだといけないな、という思いはずっとあった。

ついにやるぞ、と決めてからぼんやり頭の中にあるやることリストを書き出してみた。そしたら案外すぐ終わるものもたくさんある。もう本当に落ち込む前になんでやらなかったのかと自分に腹が立ってくるほどだった。

これなんか知識としてうっすら知っていたな、と思ってたのでパラパラ本を読み返していたら見つかった。
それが、デビット・アレンさんが提唱しているGTD(Getting Things Done)というメゾット。
やり残しているものを徹底的に書き出してリストアップしてすぐできるものはただちに終わらす。
すぐできないものはいつやるか決める。タスクが発生するたびにそれを繰り返す。

という単純なもの。たまたま開いた本にあったからここを切り出したけど、未消化のタスクを書き出した方がいいという内容は複数の本で読んだから、違う書き方でも書かれているとおもう。

曖昧にしておいた方がやらなくて済むから今まで書き出しとかしてなかったんだろうけど、書き出すとこれだけか、となるし終わりの目処がつくので本当におすすめです。あと本当にやらないといけないこと、と実はやらなくてもいいこと、が見えてくるのもいい。

ここまで読んでくれてありがとうございました。

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