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第6橋 「佐賀推し」にはたまらない! 旧国鉄佐賀線の上に作られた橋 筑後川昇開橋 後編 (佐賀県/福岡県)|吉田友和「橋に恋して♡ニッポンめぐり旅」

「橋」を渡れば世界が変わる。渡った先にどんな風景が待っているのか、なぜここに橋があるのか。「橋」ほど想像力をかきたてるものはない。——世界90か国以上を旅した旅行作家・吉田友和氏による「橋」をめぐる旅エッセイ。渡りたくてウズウズするお気に入りの橋をめざせ!!

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「佐賀推し」にはたまらない!
旧国鉄佐賀線の上に作られた橋

 ひたすら真っ直ぐ走って行くだけなのは楽チンでいい。全長約5キロの「徐福サイクルロード」。その先に、今回のお目当て「筑後川昇開橋」がある。

 これほど走っていて気持ちのいい自転車専用道はなかなかないと感じた。道の両端に樹木が植えられ、伸びた枝葉が道の上を覆う。さながら、「緑のトンネル」とでもいった雰囲気だ。植えられているのは桜で、春になると1200本もの桜が咲き誇る「桜のトンネル」に化すという。次はその頃にも来てみたい。

緑のトンネルがどこまでも続く。絶景の自転車道だ。


 この自転車専用道は、かつての鉄道・旧国鉄佐賀線の線路跡につくられている。当時の名残がところどころ見られて興味深い。駅のホーム跡や、駅舎が残っていたりする。といっても廃墟のような朽ちた状態ではなく、きちんと保存されていて感心させられる。

徐福サイクルロードの入口。
すぐ近くに南佐賀駅跡が残っている。


 旧国鉄佐賀線は佐賀駅から順に、東佐賀、南佐賀、光法、諸富と駅が続いていた。これらのうち南佐賀駅跡から先が徐福サイクルロードになっている。諸富が佐賀県側の最後の駅だ。すなわちここを過ぎると橋があり、筑後川を渡って福岡県に入る。

 自転車専用道は進行方向ごとに車線が分かれている。といっても、対向車とすれ違うことは数えるぐらいしかなかった。アップダウンはほとんどないし、一般道と交差する場所も限られているから、子どもが自転車の練習をするのにも良さそうだ。

 全長5キロは結構長い気がしたが、いざ走ってみると気持ちよくてもう少し長くてもいいぐらいだった。途中のんびり写真を撮ったりしつつ、約30分でゴール地点の「橋の駅ドロンパ」に到着。予定通り、乗ってきた自転車はここのステーションに返却したのだった。

橋の駅ドロンパでは、地域でとれた野菜や特産品などを手頃な価格で買える。
いわゆる「道の駅」と似た施設。


 建物の後方が土手になっていて、階段を上ると橋の雄姿が望めた。長い、そして赤い——これが第一印象だった。

 さすがは九州を代表する一級河川の筑後川だ。川幅がドーンと広くて、そのぶん上方の空間がひらけている。ダイナミックな風景の中に架けられた真っ赤な橋が強い存在感を放つ。赤といっても、正確には朱色と表現したほうがいいかもしれない。

鮮やかな朱色が青い空によく映える。


 筑後川昇開橋は、現存する国内最古の昇開式可動橋である。開通したのは1935年。1987年に国鉄が民営化された際に佐賀線が廃止になり、筑後川昇開橋もその役目を終えた。その後、1996年に遊歩道として整備され、2003年には国指定重要文化財となった。

 可動橋といえば東京の勝鬨橋なども有名だ。勝鬨橋は跳開橋といって橋が左右に跳ね上がるのだが、昇開橋は上下にスライドする。仕組みこそ違うものの、船の航路を確保するという目的は同じだ。

 まずは土手の上から、対岸の福岡県側の街並みを入れながら写真を何枚も撮った。川沿いにずっと歩いて行けるので、撮影アングルの自由度は高い。橋旅のときは毎回そうだが、橋を渡る直前の、橋の外観写真を撮っているこの瞬間がとくに心がときめく。これからあの橋を渡るのだ! と想像して興奮するのだ。

 佐賀に別れを告げ、いざ橋へ。全長507メートルと横に長い橋だが、中央付近に上下動する機構があるためにその部分だけ山型という、ほかにはないシルエットが特徴的だ。屹立する2つの鉄塔の高さは約30メートル。細長い鉄塔が2つ並んでいるさまは、なんだかウサギの耳のようにも見える。

遊歩道をテクテク。手すりに赤い糸が張られているが、これはカモメよけ。


 歩を進めるうちに、その「ウサギの耳部分」が段々近づいてきた。そして、その下には管理人と思しき男性が待機していて、これ以上進まないように制止された。これから橋桁を上下させるので、そこで待っているように、とのこと。

 おおっ、なんというグッドタイミング! と喜んだが、遠くまで見回しても航行する船の姿などはない。要するに、首からカメラをぶら下げた見るからに観光客らしき人間——筆者のことだけれど——が来たので、気を利かせて上下動させてくれる、ということのようだった。サービス精神旺盛なのだ。

 実は事前にネットで調べたときには、1日に8回上下動が行われるという情報が出ていた。ところが、実際にはそんなに厳密に決まってはいないようだ。見物客がやって来たなら、その都度作動してくれる。こういうゆるい感じ、嫌いじゃない。

 可動橋の長さは約24メートル。この部分が高さ約23メートルまで上がるようになっている。可動中はウゥゥゥ〜という大きなサイレン音が鳴り響く。実際にこの目にすると、上げ下げする速度は焦れったくなるほどゆっくりだが、あまりに早いと危険な気もするのでこんなものなのだろう。

ショウを観覧するような気分で橋桁の上下動を見守った。


「どちらからいらっしゃったんですか?」

 管理人の男性が気さくに話しかけてくれたので、こちらもいい機会とばかり、色々と質問させてもらった。

 ここからはその男性から聞いた話になるが、まず筑後川昇開橋は佐賀県佐賀市と福岡県大川市が共同出資する形で管理・運営が行われている。その男性は佐賀市から出勤しているそうだが、その場にいたもう一人のスタッフは大川市から来ているのだという。県境の橋ならではのエピソードだ。

 大川というところはかつて港として栄えた町で、東京行きの船の便なんかも出ていたという。それゆえ、佐賀線がまだ現役だった頃は、鉄道よりも水運のほうが優先度は高かった。たとえば船と鉄道が橋を通行するタイミングが重なってしまった場合、鉄道のほうが待たなければならない決まりがあった。手前の駅で待機し、橋を上下させて船が通り過ぎてから出発したのだという。

 鉄道の乗客にとってはいい迷惑だよなぁ、などと考えるのは現代人の発想なのだろう。当時の人たちは、これはもうそういうものなのだと割り切っていたに違いない。滔々と流れる筑後川のように、ゆるやかな時間の流れに身を任せる。不便ではあるものの、だからこそ享受できていたであろう輝かしいスロー・ライフの日々に思いを馳せた。

 橋は通行可能な時間が決まっている。3〜11月は9〜21時、12〜2月は9〜17時。一日の業務が終わると、必ず橋を上げてから帰るのだと男性は言った。鉄塔の下では土産物なども売られていて、思っていたよりも観光地化している印象だ。とはいえ橋自体は通行料もかからないし、上下動をその都度見せてくれるなど良心的である。

 橋を渡って福岡県側に入った後は、当初の計画通り路線バスで西鉄柳川駅へ移動した。バスは橋の最寄が始発で、そこから乗った客は自分一人だけだった。

渡った先は筑後若津駅跡地になっている。




吉田友和
1976年千葉県生まれ。2005年、初の海外旅行であり新婚旅行も兼ねた世界一周旅行を描いた『世界一周デート』(幻冬舎)でデビュー。その後、超短期旅行の魅了をつづった「週末海外!」シリーズ(情報センター出版局)や「半日旅」シリーズ(ワニブックス)が大きな反響を呼ぶ。2020年には「わたしの旅ブックス」シリーズで『しりとりっぷ!』を刊行、さらに同年、初の小説『修学旅行は世界一周!』(ハルキ文庫)を上梓した。近著に『大人の東京自然探検』(MdN)『ご近所半日旅』(ワニブックス)などがある。


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