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日本全国写真紀行

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取材で訪れた、日本全国津々浦々の心にしみる風景を紹介します。ページの都合上、書籍では使用できなかった写真も掲載。 日本の原風景に出会う旅をお楽しみいただけます。
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【日本全国写真紀行】 54 熊本県阿蘇郡小国町下城杖立温泉

熊本県阿蘇郡小国町下城杖立温泉 98度の源泉で町じゅうに蒸気が噴き出る山あいの温泉地 阿蘇郡小国町にある杖立温泉は、他では見られない独特の雰囲気を持つ温泉集落である。小国町は福岡県柳川市と大分県別府市を結ぶ線の真ん中辺りにあり、杖立はその最北の山間部に位置する。山奥に分け入って杖立川の渓谷が見えてくると、川を挟んで突然レトロな町並みが現れる。杖立川にはいくつもの橋が架かり、両脇の町のあちこちから湯けむりが立ちのぼる。九十八度という高熱の温泉から噴き出る蒸気だ。  湯に入りて

【日本全国写真紀行】 51 大分県大分市戸次本町

大分県大分市戸次本町帆足本家を中心に古い建造物が点在する 大分の市街地から国道10号を南下して、大野川にかかる白滝橋を渡ったあたりに広がるのが戸次地区である。大野川の水運や日向街道の交通の要衝として栄え、江戸時代に市場ができると商家の町としてさらににぎわった。  なかでも莫大な財を成してこの町に隆盛をもたらした商家が帆足家である  帆足家は、12世紀のはじめに守護大友氏の家臣となり、江戸時代には臼杵藩治下の大庄屋として戸次の町を取り仕切った豪農である。その後、酒造業を手掛け、

【日本全国写真紀行】 50 佐賀県小城市小城

佐賀県小城市小城 砂糖の道、長崎街道沿いの羊羹の町 江戸時代、長崎の出島と北九州の小倉を結んでいた長崎街道。鎖国下にあって、出島は海外との唯一の窓口であり、さまざまな舶来品が出島に荷揚げされた。それらのひとつに砂糖がある。砂糖は、長崎街道を通って京都や大阪、江戸など全国に広がり、それにともなって砂糖を使った菓子づくりの技術も各地に広まっていった。特に長崎街道沿いの町では、その風土にあったお菓子が数多く生まれた。  例えば、長崎市のカステラ、嬉野市の金華糖、佐賀市の丸ぼうろ、

【日本全国写真紀行】48 福岡県福津市津屋崎

福岡県福津市津屋崎 「津屋崎千軒」ー海運で栄華を極め、塩で九州を支えた町 津屋崎という美しい響きのこの町は、町の西から北にかけて玄界灘に面した風光明媚な土地で、古くから筑前を代表する港としてにぎわっていた。江戸時代には廻船業の拠点として栄え、その繁栄ぶりは家が千軒もひしめくようだったことから「津屋崎千軒」と呼ばれた。当時、家が千軒も並ぶほど栄えていた港町は、福岡の芦屋千軒、下関の関千軒と津屋崎の三カ所だけだったというから、その隆盛ぶりが伺える。またもう一つ、津屋崎の名を九州

【日本全国写真紀行】46 長崎県長崎市茂木

長崎県長崎市茂木 通称「長崎の奥座敷」、 美味い魚と「びわ」が自慢ののどかな港町「茂木」という地名は、古くは「裳着」と記されていた。その昔、神功皇后が三韓征伐の際、この浦に船を入れ、上陸して裳(衣の下袴)を着けたことから「裳着」になったと言い伝えられる。そんなことから地名が? と驚くが、昔の地名の名付け方は案外そんなものだったりする。この小さな浦に皇后が立ち寄って着替えをすることなど、そうそうあるものではない。その名前が今も町の象徴である「裳着神社」に残っている。  茂木は

【日本全国写真紀行】45 長崎県佐世保市三川内町三川内皿山

長崎県佐世保市三川内町三川内皿山 庶民には手の届かなかった高級品、 今は誰にも広く愛される器に 16世紀末、豊臣秀吉が朝鮮に出兵した「文禄・慶長の役」は、日本、朝鮮、明の三つ巴の戦いとなったが、決着がつかぬまま秀吉の死によって終息。この戦争は侵略した側もされた側も甚大な被害を被ったのみで、何の成果ももたらさなかった。だが、戦いに加わった大名、特に九州の大名たちは、朝鮮の進んだ文化技術を取り入れようと、半島から多くの陶工たちを連れ帰った。そして九州各地にはさまざまな窯場が誕生

【日本全国写真紀行】43 長崎県平戸市田助町田助

長崎県平戸市田助町田助 幕末の志士たちが未来を語り合った、九州の片隅の小さな港町 平戸市の中心街から北へ3.5キロほど行ったところに、田助という小さな港町がある。田助港が開かれたのはおよそ400年ほど前。平戸藩初代藩主・松浦鎮信がここに港を作り、小値賀島、壱岐、呼子などから約50戸を移住させ、臨済宗妙心寺派の天桂寺を創設して田助の管理を任せたのが始まりである。  江戸時代の後半には、日本各地からやってくる船の風待ち、潮待ちの港として栄えた。特に上方へ向かう薩摩船は田助を寄港

【日本全国写真紀行】38 岩手県二戸市浄法寺町

岩手県二戸市浄法寺町世界へ日本の漆文化を発信する漆の里 日本の代表的な工芸品として世界にも知られている漆器。磨かれた木地に漆を何度も塗り重ねることで完成する。漆は、傷をつけた漆の木から滲み出た樹液を集めたものだが、いまの日本では98%が輸入で、国産は全体のわずか2%にすぎない。その国産漆の約6割を生産しているのが、二戸市の浄法寺地区である。  漆が生産できれば、当然のことながら漆器生産も可能となる。幸い二戸には木地となる木材も豊富にあり、漆器生産に携わる木地師、塗り師といった

【日本全国写真紀行】 31 埼玉県秩父郡東秩父村

埼玉県秩父郡東秩父村 和紙づくりの伝統を守り続ける県内唯一の村 日本が世界に誇る技術の一つに、手漉き和紙技術がある。文字どおり和紙をつくる技術で、熟練した手技によって生み出された和紙は洋紙よりもはるかに強く、ヨーロッパの美術館では絵画の修復にも用いられている。まさにものづくり日本を象徴するものといえるだろう。  和紙は古くから日本各地でつくられてきたが、中でもその技術が卓越しているとして2014年にユネスコ無形文化遺産に登録された三紙がある。島根県浜田市の石州半紙、岐阜県美

【日本全国写真紀行】 24 千葉県銚子市外川町外川

千葉県銚子市外川町外川紀州の漁民が拓いた、一大漁港の夢のあと銚子の漁業は、関西、特に紀州の漁師たちによって発展した、ということをご存知だろうか。  紀州和歌山は都に近く、造船や航海術、漁法が発達していたが、土地の九割が山地で農業が発達しなかったこと、また近世に入って漁獲物の需要が増大したことなどから、漁民たちは豊かな漁場を求めて、東は東北へ、西は五島列島まで遠征する「旅漁」を行なっていた。「旅漁」とは、船に漁具のほか生活用具一式をのせて一隻に16名ほどの漁師が乗り込み、各地の

【日本全国写真紀行】23 東京都西多摩郡檜原村

東京都西多摩郡檜原村東京とは思えない山間の風情ある里東京に檜原村という村がある。島嶼部をのぞけば東京唯一の村で、都の最西端に位置し、約2,000人の人々が暮らしている。多摩川の支流である秋川の上流にあるため、村のほとんどが山林で占められており、江戸時代にはその資源を生かして、江戸の木材供給地として繁栄した歴史をもつ。 ※『ふるさと再発見の旅 関東』産業編集センター/刊より一部抜粋 他の写真はこちら↓でご覧いただけます。

【日本全国写真紀行】22 栃木県那須郡那珂川町小砂

栃木県那須郡那珂川町小砂森と樹々と水田と素朴な焼き物、郷愁をそそる美しい村栃木県の北東、那珂川町の北部に位置する小砂地区は、本当に美しい村である。人口は約800人。総面積の64パーセントが森林で覆われた山間の村で、八つの小さな集落で構成されている。 とにかく絵になる風景が連続している村で、各集落を包む緑の濃淡がひたすら美しく、それが水田に光り輝きながら映る光景は、心のどこかに潜んでいる郷愁を呼び起こすのだろうか、いつまで見ていても見飽きない。日本の山里は、やはりどこの国よりも

【日本全国写真紀行】21 茨城県常陸太田市

茨城県常陸太田市 七つの坂と路地を楽しむぶらり歩きの街茨城県北部にある常陸太田市に、鯨の形状をした丘がある。かつて、この地を支配した戦国大名佐竹氏はこの丘に町をつくり、太田城の城下町をつくりあげていった。 その後、江戸時代に佐竹氏が秋田へ国替えになると、城は廃城となり、当然のことながら城下町も廃れていくかと思われた。ところが、その町は水戸と福島の棚倉を結ぶ棚倉街道がとおり、さらに水戸や那珂湊へ送る物資の集積地だったため、商家が林立する商家街に生まれ変わっていった。それが鯨ヶ

【日本全国写真紀行】20 三重県亀山市

三重県亀山市 「さびしき城下町」という別称をもつ六万石の城下町 江戸時代、11代126年間続いた石川氏の城下町として歴史を重ねた亀山。天正十八年に築城された亀山城は三層の天守閣をもち、その優雅な姿が蝶の舞に似ていたことから粉蝶城とも呼ばれていた。多聞櫓や石垣の一部がわずかながら今も残っている。  譜代大名六万石の城下町であった亀山だが、“市中はまったくにぎわいなし”と伝えられている。宿の規模が小さいこともあるが、それよりもこの宿が徳川将軍の宿泊所として使われていたことが大き