見出し画像



スマホの画面を見ると、もうPM11:23。





何も考えたくなくて、目を閉じて

気づいたらうたた寝をしていたらしい。





お風呂に入ろう。




一階に降りて、いくぶんか自分の体が軽いことに気づく。




お湯を張っている間に

冷蔵庫から冷やしておいた桃を取り出す。





昼間のうちに

スーパーでたった1つ買ってきた旬の桃。







税抜き398円。

高いなぁ、と思いながら大事に選んだ。






左右対称で全体的に赤みががっているものが

美味しいと事前に調べておいたのだ。





薄いビニールから取り出すと、

優しくてほのかに甘い芳醇な香りがした。




うぶ毛の生えた、

柔らかい赤ちゃんのおしりのような形が

愛おしくて、頬ずりすると

少しだけちくちくした。




そのまま、指でおそるおそる皮を向く。

最初に果肉に爪を立てた時、罪悪感を感じた。




桃はとても繊細な果実だから。

ちょっと傷つけてしまった途端、30分も経たずしてみるみる変色し茶色く悪くなってしまう。




その瞬間に、私はこの桃を余すことなく、

綺麗な姿のまま食べなくてはいけないような責任と使命を感じた。




桃の皮は思いの外、剥きやすく、半周分くらい向くと、クリーム色をした実が恥ずかしそうにこちらを見ていた。




そのまま、歯でかぶりつく。

思ったより熟れてはいなかったが、甘い。

今の私には丁度いい。




全体の80%近くが水分で構成されていることもあって瑞々しく、かといって果汁が滴って食べにくいという程でもない。




まるかじりしているから、中心の種付近に行き着くと、独特の渋味を感じた。

こんな食べ方をしないと味わえないだろうな、と思った。




4分の3くらい食べ進んだところで、お風呂がわいた音がした。




残りはお風呂上がりに食べよう。

そう思って小さめの深いお茶碗のような皿に入れて、ビニール袋をかける。






ラベンダーの香りのバスソルトを入れた、

緑がかった湯船に浸かりながら、思う。





29歳になってようやく、旬のものを食べる意味に気付けたと。

春夏秋冬、それぞれの季節を味わい、乗り切る為の栄養や効能を旬のものは携えている。





子どもの頃は、何をするのにも毎日が新鮮で、濃厚で充実して楽しかった。

可能性に満ち溢れて、恐いくらい何にでもなれそうな自信があった。

食べるものは何でも美味しくて、食欲旺盛で、

ある意味何でも一緒だった。





今、30年間近く生きて思うのは、生活が何となく単調になり月日が知らぬ間に過ぎ、色んなことに慣れて、感情も鈍くなってきている、ということだ。




そんな日々の中で、旬のものは、

つまらなさそうだと思い始めた、「人生」という本をパラパラと読み飛ばそうとした所に、

サッとしおりを挟んで、

立ち止まらせて余韻をくれる。





学校の階段の踊り場の鏡みたいに、

自分に何かしらの気付きをくれる。





忘れかけていたけれど、いくつになっても

私は今が人生の瞬間で一番若いということだ。





自分で自分の旬を勝手に終わらせて、

いじけてしまうには早いのかもしれない。





回り回って何度もやってくるはずだ、旬は。






お風呂から上がって、

ボディークリームを塗って

顔に化粧水を塗ってパックをしたまんま

冷蔵庫から食べかけの桃を取り出す。






もうすでに変色して茶色くただれている桃に

申し訳なさを感じつつ、

全ての皮を剥いで食べ尽くす。




残った大きな種にまとわりつく繊維が、

果実としての証を残していた。





はぁ、食べすぎた。






ドライヤーをしながら、また来年

桃を食べたいと思った。