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もう少し気楽にいこうよ

2001年9月11日。
アメリカで同時多発テロが起こり、世界中が騒然となった。
日本国内を旅行中だったカナダ人が、そのニュースを英語で聞きたくてある公共施設に入った。テレビ画面にはBBC(英国放送協会)が映っていた。
誰も視聴していないし、CNN(アメリカのニュースチャンネル)のほうが詳しいはずなのでチャンネルを変えてほしいとお願いしたところ、受付の人は「少々お待ちください」といって奥のほうに消えていった。

しばらく経って戻ってきてからひと言。
「上に確認したのですが、今日はBBCの日ですので変更できません」

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ここに出てくるカナダ人旅行者は私のパートナーで、実際にあった思い出話である。日本と日本人が大好きで、全国各地を自転車でほぼ網羅している超親日家だ。そんな彼の西洋人フィルターを通して見た日本や日本人に対する感想は、日本人の私でさえわからなかったような気づきがある。

チャンネルを変更してくれなかった件は、よくある日本的な対応だとして同意見だった。もしもカナダ・モントリオールでのことだったら、受付の人は上司に確認することもなく、即答で「OK!」と言ってCNNに変えてくれただろうと想像できる。ほんの小さな出来事だけれど、双方の責任感に対する考え方の違いが如実に現れていると思った一件だった。

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私の大好きなnoterさんであるくまさんが投稿された「責任とリスポンシビリティ」についての投稿がとても面白いので是非ご覧ください。

ここからは先は、くまさんの記事を読んで思った個人的な考えです。

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日本語の「責任」には、個人が担える範囲以上の重みがあるような気がしている。誰が責任を取るのか?と問い詰められた時の対策として責任の所在を曖昧にするということもよく見受けられる。
私が思う日本あるあるだ。

一方、英語の「リスポンシビリティ」には、日本語の責任ほど個人に降りかかってくる重みはないような気がする。結果はどうであれ、できることをやろうとする気持ちだけは感じられる。

Can I help you? 

できる範囲で手伝いますが、その決定権はあなたにありますよ」
と言われているのだから、必要ならばお願いすればいいし、必要なければ
ニッコリ笑って断ればいいと解釈している。ここに後腐れはない。

できる範囲が責任範囲。それ以上の責任を負う必要もないし、相手にも負わせない。たった一度の人生なんだから、もっと気楽に生きたいものだ。

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