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意見を言えなくする空気に気付いた日

1975年に『猫は生きている』という東京大空襲を描いた絵本が人形劇になって映画化された。当時小学2年生だった私は、学校の体育館で体操座りしてこの作品を鑑賞した。内容はほとんど覚えてないけれど、最後のほうにある母親と乳飲み子のシーンが今でも忘れられない。
あの日の私がどう考え、どう感じたか?今でも記憶の片隅に残っている。

鑑賞後、教室に戻り作品についてみんなで話し合った。7~8才の児童達から出てくる感想は「猫が生きてて良かった」だったけれど、幼いなりにも作品に込められた想いをしっかりと受け止めていたと思う。ただ、それを上手く説明する語彙力が圧倒的に足りなかった。
すると、


「猫が生き残ったってしょうがないとよ!」


と、先生が涙ながらに反論した。
教室がシーンと静まり返った。目の前で大人が泣いているということだけでなく、自分達の考えが真っ向から否定されたことにもショックを受けた。
その複雑な気持ちを誰かに伝えることもできず、心の奥に仕舞いこんだ。


あれから約半世紀。
自分の過去を振り返ってみると、小、中、高校一貫して国語の成績は良かった。作者の気持ちに関する問題は、出題者の考えに近いものを答えるのが無難だと知っていた。空気を読んでいた。

SNSなどで誹謗中傷しているのは、意外にも若い世代より中高年に多いと聞く。面と向かって言えないけれど、匿名だったら本音を吐く。汚い言葉で相手を罵倒する。大人気ないこれらの言動は、何か満たされたかったことへの反動ではないかという気がしてならない。

若い世代が意を決して発言しても、周りから押さえ込もうとする空気が漂うようでは何の変化も起こらない。
そんな邪気は浄化してしまえ!










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