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「街にマックがやってきた」昭和な話第2話

日本マクドナルドが進出したのは1971年ですが、ワタシの街m鹿児島にマクドナルドが来たのは、だいぶ後になってからです。ドムドムバーガーとロッテリアの方が早かったのです。地方でよくありがちな話。

ドムドムバーガーは
ダイエーの中のフードコートの店として入ってきてました。
ロッテリアはマックより2年ぐらい早く開店してましたね。 だから中学生の時のワタシはロッテリアのハンバーガーを食べていました。

ただ、ワタシは喫茶店をするために
京都まで2週間がかりで勉強のために旅行をしたことがあります。
その時に京都でマクドナルドのハンバーガーを食べました。ビッグマックでした。当時、ビッグマックのボリュームに「なるほどー」と、納得したのを覚えています。

そのマクドナルドが
ワタシの街にもやってきたんです。ちょうど1年先輩が大学に入ってマクドナルドのアルバイトに受かりました。

あ、という事は、やはりワタシ18だ。ワタシが17歳で、喫茶店を開店してたました。

その先輩の話では、 
夜の閉店から朝の間に
店内を朝まで一人で掃除をするというメンテと言われる作業というです。

 今じゃメンテナンスって 当たり前の言葉ですが 当時は、なんじゃ?なんかカッコいいバイトだなと、感じたというか、、 ぎゃはは 
今考えてみると、
どこがカッコ良かったんですかねーwww

「今から メンテのバイトなんだよね~」って 
今だったら

「大変ですね~ 疲れるでしょ お疲れ様です」 って返したくなりますが 
当時だと
「へーすごいっすねー マックのメンテナンスなんてかっこいーな」なんてねww

しかも、開店準備って言っても
他に誰もいなくて、もちろん営業もしていないんですから、、、
不思議でしたね、当時は

しかも開店2か月前に募集して
1か月前からバイトするというのです。
これまたびっくりしましたねー。
スタッフの研修期間に
掃除専門のバイトが発生する。
しかも毎日。
どうしてそうなるのかもわからなかった。

その先輩の開店前のまだ掃除の研修中の
深夜バイトに差入れと称して遊びに
いや、偵察wwに行きました。

12時過ぎになるとマネージャーも退勤して 完全に一人であの店内を掃除を
朝までずっとしていくのです。
窓ふきも床もマシンも全部ではありませんが一人で夜11時から朝7時まで8時間勤務 。

学生としては最適のバイトです。苦学生ならなおさらです。授業に合わせて夜頑張れば、苦労はしますが、大学で勉強できますもんね

その先輩もこのバイトを見つけたことと
マクドナルドという最先端の職場でバイトできるという二つの面でご満悦です。しかもバイト代がすごく高い。
深夜手当が付くからです。

夜12時半ぐらいに電源の切れた自動ドアを無理やり横に拡げて
隙間に口を当て彼の名前を呼んで中に入れてもらいました。
彼は得意げに中を案内してくれました。
床は、全面タイル貼。
よく考えられた動線配置、明るさ。
すべてにおいでワタシのそれまでの飲食業のイメージを越えていました。

彼は、まだ研修中ですからマニュアルをチェックしながらやっていました。
マニュアルをおいてある机の前の椅子に座りながら、
「ここに座ってますから、休憩になるまで仕事やってくださいよ、それまで広報誌でも読んでおきます。」と言って、眼の前に置いてある他の別なマニュアルを片っぱしから目を通しました。

そうかあ、これがハンバーガーを売る店の為に考えられたシステムなんだ。
と感じましたね。
それまでも
レストラン、コーヒー専門店を経験の上、自分で喫茶店を始めて 
「月刊喫茶店経営」
「月刊喫茶レストラン」などの雑誌で 
飲食店システムについても少しずつ勉強していました。
その最先端が 目の前にやっと現れたのです。勉強していたものの本物の現実に出逢ったのです。
頭の中でその時に全部がつながりました。

珈琲専門店で勉強したコーヒーまでが技術では、なく、システムで提供されるという飲食業の考え方でハンバーガーが作られることになってきていることを知りました。

後日談ですが、その時からずいぶん経ってから、マクドナルドの創業者レイクロックの自伝「成功はゴミ箱の中に」を読んで その当時の驚きがよみがえってましたね。

そりゃあ、あの当時、そんなこと知らずに 先輩のバイト先で読みふけったマニュアルがどういう経緯で作られたかが書かれていたのですから 本当に何十年も経ってから その秘密を知って、その時になっての驚きでした。

自分が経営していた「栗の木喫茶店」という店でもハンバーガーを出してみたいなという気持ちはありましたが、その全貌を見て これは無理だと思いましたね。
絶対に勝てないと思いました。
ワタシ、勝てない勝負はしないんですw
その当時からww

マクドナルドのオープンの日に食べに行って、さらに確信しましたね。

すごくおいしいとは思わないけど、
この味、流れるようなこのサービス 
今までの他のハンバーガーより絶対いい、しかもワタシの街より大きな都市からやっとワタシ達の街に進出してきて その勢力がどんどん拡大してきていることを感じました。

ですから 
一時は、サンドウィッチとかハンバーガーを提供する今で言うドトールやエクセシオールみたいな、地方じゃちょいとオシャレなカフェを考えていたワタシでしたが 
マクドナルドが 進出してきたことで、
大きく考えが変わりました。

ハンバーガーをあれだけシステムとして成り立たせる考え方があると気づいた事は、今までも今も変わらずに二つの面から検証してみるという癖をワタシにつけさせてくれました。

レイクロックには、有名なエピソードがありますよね。ご存の方も多いでしょうが
まだ知らない若い方たちのためにご紹介。

1974年、テキサス大学オースティン校のMBA講座での講演のあと、学生たちに 次の質問をしました。

「私のビジネスは何だと思うかい?」                       

そこにいた学生のほとんどが、レイは冗談を言っている思い、誰も答えません。レイクロックはもういちど同じ質問をした。
「私のビジネスはなんだと思うかね?」                  
 学生たちはまた笑いましたが 
しばらくしてから学生の一人答えました。                    「レイ、あなたがハンバーガーを売っていることは世界中の人が知っていますよ」
「そう言うだろうと思ったよ」                          
「私のビジネスはハンバーガーを売ることじゃない。不動産業だよ」

たしかにマクドナルドの経営戦略上のビジネスの基盤はハンバーガーですが 
それと同時に店舗の立地はとても重要です。それどころか、店舗の立地条件のほうが マクドナルドの成功を左右する重要な要因なのです。
彼は 世界で一番世界の都市の目抜き通りに不動産を 所有している不動産屋だったわけです。

ワタシは
美味しいだけではダメ
誰でも作れるほど簡単でなければダメ
でも 他のところと同じではダメ
凄い資金があるわけでないので
いい場所じゃなくてもいいけど
ターゲットにとってよくなければダメ
いつも必ず そこを考えます。

自分の夢というより、どうやって生きていくかが 先決問題でしたので 自分が出来ることで 何かやらないと思って 喫茶店をやり始めたワタシにとっては、ファーストフードチェーンというものを 中からも 知って それからの ワタシのビジネスに 大きな影響を与えました。

ま、それなりに 楽しい思いもしましたけどね。


【第3話に続く】

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