気付いたら音楽をやっていた①

私が音楽と出会ったのは4、5歳の頃だったと思います。通っていた保育園で開催されてる、ヤマハの幼児科が最初でした。今思うと個性的な幼少期だったと思うのですが、そんな中、不思議と続けていたのが、その後、親友のお父さんの紹介で始めたピアノでした。一人で没頭するのが楽しかったのか、練習しろと言われる事も大してなかったですが、「きらい、嫌だ」という概念すらなく、目の前の曲に黙々と取り組んでいました。当時のピアノの先生との相性も良かったのもあるかもしれません。

先生のご主人が声楽の教授でもあり、趣味の良いご自宅でのピアノレッスンは、私にとって心地よい空間でした。もちろん当時の私はそんな事すら自覚していませんでしたが、子供心に「嫌な気持ち」の一切しないその空間は、余程お気に入りの場所だったのでしょう。市街地の小高い丘の奥にある先生のご自宅の一軒家、西洋風の細長い窓と天窓があり、ヨーロッパの蚤の市で集めたであろうアンティークの小物が所々に趣味よく並べられ、新緑の季節には窓際から木々の緑が木漏れ日をつくり、冬には薪を焚べながら、薪ストーブの上で手を温めレッスンをする‥ピアノのレッスンは今思えば当時のおっとりとした私の数少ないルーティーンの一つでありました。

こうして当時を思い返してみると、そこがいかに私にとっての、心地よい空間だったのかを強く実感しました。なぜかって、今の自分の「好き」なものが全て詰まっていたからです‥!街中ではあっても自然が感じられ、小高い丘からは街が見渡せる。アンティークなどの古いものと一緒に暮らし、薪ストーブで自然の恩恵を感じながら、絵などを飾り芸術も側に感じられる。室内は、深緑のカーテンと茶色、煉瓦と漆喰の壁を基調としており、質の良い家具たちに囲まれながらのそのレッスン室は、今で言う私にとってのパワースポットだったのかもしれません 笑。

すごいですね、こんなに環境って影響を及ぼすのだな、とこの記事を書いていて思いました。そういった意味ではイタリアでの生活は、”好き”を追求している人々が多く、暮らしの中に歴史やアートや、余白が感じられるので、やっと当時の感覚を生活の中に思い出しているのかもしれません。

さて、その暮らしの憧れから、ピアノの先生になり家を建てたい、と小学校の卒業文集に私は書きました。小学校6年時の担任の先生にも、音高、音大に進みたい!と宣言していたのを今でも覚えています。それが同じ学区に住んでいたその先生の目に留まり、「だったら準備をちゃんとしようか」という話になったのでした。

ただ、音楽を続けるための準備や、何が必要なのかを大して考えずに、そのまま中学校に入学したのでした。そう考えると本当に思いつきの直感で動いていた様に思いますが、両親との関係性も、表面的に何をしていくかと言う話に留まっていたので、日々をこなす事だけに必死な中学校生活に突入してしまったのでした。

とにかく、ピアノは好きでしたが、現実的な目標ややるべき事に落とし込む事ができない、本当にフワフワな私でありました。

これらから、私のエンパス体質の片鱗が見られるのですが、実は上っ面では普通に優等生”風”なキャラだったので、と言うか、良くも悪くも、人の感情などを汲み取り立ち回って我慢してしまっていたので、そう言う役回りがきてしまっていましたし、総じて他人からの印象は普通の少女であったと思います。

ただ、知らず知らずのうちにストレスを溜めすぎてしまい、”自分が居ない”長い長い不調の時期にそれから突入していくのでした。

また続きは少しずつ書いて行きたいと思います^^

Monte Bianco Uco



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