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Voicy緒方憲太郎さんと話してしまった主婦の話

それは昼下がりのことだった。

ありふれた、いつも通りの平日の午後。
子供と自分の食事が終わり、食器を片付け、子供と自分の歯を磨き、バタバタなお昼時がやっと終わり、子供の昼寝の前にフゥと一息。

一息つくときにツイ廃がやることは、呼吸をするようにTwitterを開くこと。

3年前息子の妊娠中に切迫早産となり3か月安静を強いられていた頃からTwitterに入り浸り、今では立派なツイ廃(=ツイッター廃人)

そんなツイ廃主婦が開いたタイムライン上に、Voicy社長の緒方憲太郎さんが現れた。

Voicyは声のブログと呼ばれる音声配信媒体。
文章よりも発信者の人柄やメッセージが直に伝わってくる。好きなパーソナリティは虹色の朝陽さんと川原卓巳さん。

最近Twitterに実装された「スペース」という機能。
文字でつぶやく従来のツイート機能とは違い、リアルタイムの音声で会話を楽しむことができる。
まだ実装されて日が浅く、ほとんど使ったことがないけれど、そういう機能ができたことは何となく知っていた。

主婦、社長とお話する

そんな中、ポンと現れた緒方憲太郎さんのスペース。
「これ、ボタンを押したら緒方さんのリアルタイムの話が聞けるのかな」とドキドキしながらスペースを開いた。

すると開けたばかりの部屋はまだリスナーが10人程と少なく、そんな中で緒方さんが「誰か話せる人いないかなぁ~?」とおっしゃっていた。


  「もしやこれは大チャンスなのでは…?」


スペース機能はその前日に友人とテスト通話をしただけの初心者。
どこをどう触ればお話しできるのかわからないけれど、必死に会話許可ボタンを探した。

気持ちが前のめりになりすぎて手はしっとりと汗をかいていた。

「あ、誰か話せる人いるみたい」
と緒方さんがスピーカーに上げて下さった。

そこからは興奮と緊張で細かい経緯は忘れてしまったけれど…
気付いたら私は
「発達障害児の育児をしている元精神科看護師で、発達障害のことを一人でも多くの人に知ってもらいたい」
と話していた。

緒方さんは「あまり詳しく知らないから聞きたいのだけれど」と、発達障害はどういう障害なのか?それは生まれつきのものなのか?発達障害の人って増えてるの?など聞いて下さった。

今思えば、「より多くの人に知って欲しい」という私の希望を汲んで、そういう場を作って下さったのだと思う。
その時は必死すぎて配慮に気付かなかったのだけれど…(ごめんなさい)


発達障害の息子について

私には広汎性発達障害の2歳の息子がいる。

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発達障害にはその障害ゆえの特性がある。
例えばこだわりが強く同じ行動を繰り返したがったり、ルーチンをこなさないと物事を進められない時があったり、何かに集中してしまうと他のことが目に入らなくなることも。

そういう特性から「みんなと同じ時にみんなと同じこと」ができず、集団生活で浮いてしまうことがある。
そういう場面で「言ったとおりにできないダメな子」というレッテルを貼られてしまうと、「自分はできない子なんだ」と自己肯定感が下がってしまい、集団生活への恐怖から不登校になったり、二次障害としてうつ病や適応障害を発症することがある。

一方で、発達障害の特性のある人(子供)は得意なこともある。
何が得意かは人によって違うけれど、息子の場合はずば抜けた集中力があり、物事の観察能力が高い。視覚記憶が強く、一度見たものをそのまま覚えることもできる。

上記のように発達障害の特性で苦労するのか、あるいは特性と上手く付き合いつつ得意を活かすことができるかは、周囲に障害特性を理解してくれる人がいるかどうかで大きく変わる。

子供を育てる中で、親であれば誰もが抱く「我が子にのびのびと育っていってほしい」という気持ち。
それを実現する方法が、私の場合は「発達障害を理解してもらうこと」だった。

だから今、育児や息子の障害のことを発信している。
そんな話をしたと思う。

緒方さんの問いかけ

うんうんと聞いて下さった後、「発達障害以外にもいろんな病気や障害があるけれど、全ての人の願いを叶えることは難しいよね。それについてはどう思う?」
そう緒方さんが投げかけて下さった。

これは社会福祉・障害福祉の抱える問題のひとつだと思う。
世の中にはあらゆる病気・障害があり。病気・障害以外の困りごとを抱えている人もまた多い。
それら全てを平等に知ってもらうことは難しい。

だけれども。

発達障害を知ったことで、「目に見えない困りごと」を抱えている人が他にもいると知ってもらうきっかけになるかもしれない。
他の疾患や障害や身体的特徴で困っている人がいることにも気づいてもらえるかもしれない。

発信は、その入り口になる可能性を感じている。

マイノリティ(少数派)の人が、暮らしやすい社会ができたとして。
その時マジョリティ(多数派)の人達はマイノリティのために不便を強いられることはない。

足が不自由な人のために、階段しかなかった場所にエスカレーターが作られたら、階段を登れる足を持つ人たちにとっても便利になるように。


誰かに優しくすれば、回り回って自分にとっても住み良い世界になる。

そういう「優しい世界」を息子には生きてほしい。
そのための小さな小さなきっかけづくりをしている。


他者理解の根底には豊かさが必要

「優しい社会の実現のためには余裕がないといけないと思うんだけど、それについてはどう思う?」
これが次に緒方さんが問いかけてくれた言葉だった。

これは本当にその通りだと思う。

例えば、産後間もないお母さんのメンタルケアをしたければ、話を聴くことよりも、まずはそのお母さんがゆっくり眠れる時間と安心して眠れる場所が必要。
そんな時間を作るためにベビーシッターやヘルパーが必要かもしれないし、それらを利用するための金銭的余裕もまた必要だったりする。

自分の身の安全が確保されていなければ、隣人に優しくできない。

だからこそ、社会は色んな側面を持って同時に進んでいく必要があると思う。

例えるなら車輪のような関係。
「困っている人がいる・こんな風に困っている」と訴える人と、
「心の余裕や豊かさを生む仕組み」をつくる人

どちらか一方だけが進むのではなく、二つの車輪が同時に進むことで、優しく豊かな社会ができていく。

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豊かさと優しさの循環

発達障害の人が暮らしやすい社会。
その先にあるのは、障害特性のある人たちが各自の強み・得意を活かし、持って生まれたクリエイティブ性を存分に発揮できる社会だと思う。

並外れた集中力と探求心で今までにない新たなシステムを生むかもしれない。それによって社会はより豊かになる可能性をはらんでいる。

最近アスペルガー症候群であることを公表したイーロン・マスク氏
https://www.bbc.com/japanese/57059511

発達障害の特性が理解され、発達障害のある人が自分の強みや得意を活かせるようになったら、今度はその人たちが「心の余裕や豊かさを生む仕組み」を作るかもしれない。
心の余裕や豊かさによって、自分以外の誰かに優しくなれる人が増えるかもしれない。

そうやって『優しさ』と『豊かさ』が循環する。

話を終えて

「ごめん、13時半からミーティングだった!」
緒方さんがそうおっしゃった時、時間はすでに13時32分だった。
お話できたお礼を伝え、通話が終了した。
私はしばし茫然と…

する暇もなく、息子のオムツを交換した。
実は会話の途中からずっとうんち臭いことに気が付いていた。
だけど流石に「息子がうんちをしたので」なんて緒方さんに言えなかった。(言えるわけない)

息子のお尻を拭きながら、家にいながらお話できて、その30秒後には息子のオムツを交換しているこの状態は一体何なんだすごすぎる。と興奮で思考が渦巻いていた。

緒方さんの目線で見えている世界はとても広くて、今の私からは想像もつかない大きな規模で物事を見られていた。
お話できた時間の中でそんな空気に少し触れることができ、自分のやりたいことや、その理由がよりはっきりと見えた気がした。

緒方さんにとってほんの少しの立ち話だった時間が、私にとっては人生の中で忘れられない体験のひとつになった。

どこでも誰でも音声通話が可能になった現代

育児は孤独だ。
子供はかわいい。夫も優しい。家族で育児ができている。

だけど、社会から孤立している感覚は否めない。

未就園児育児、下手すれば夫以外の大人と喋らないまま終わる日もざらにあって。
あの日私が喋った相手は、お昼に行ったマクドナルドのドライブスルーの店員さんと、夫と、緒方さん。

 こんなん現代のバグじゃん。奇跡じゃん。


そんな時代に生まれた幸福と興奮を感じた。
こうやって自分の想いを書き示す場所があることも、こうやって見てもらえる環境があることもまた、僥倖。

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それならば、この時代ならではの手段を存分に使って、私は母として、我が子がのびのびと生きていける社会を作っていこう。

ほんの1mmでもいい。理想に近づけたい。

我が子には、優しい社会の中で生きていって欲しい。
その先で持てる力を存分に活かして欲しい。



ただの主婦である私ができることは限られているけれど、できることを粛々と続けていこう。
その過程でもし誰かや何かに役に立てば、それ以上嬉しいことはない。


そんなことを思ったいつも通りの昼下がり。

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