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平手友梨奈という人間について


今日、ちゃこさんの平手友梨奈についての記事を読んだ。

「好きになる前でよかった」とちゃこさんは仰っていた。自分の魂を売ってしまう程誰かを好きになる恐ろしさは痛いほど分かる。私も過去にジャニオタをしていて、熱愛報道などで心がどん底にたたきつけられた思いをしたことがある。 欅界隈が過激なのもその通りだ。掘れば掘るほど平手のアンチコメントと信者コメントが存在し、特に彼女以外のファンからの批判はひどく、直視するのは難しい。 好きになる前でよかった。傷つかなくて済むから。 そのくらい真摯に向き合ってしまって、それで傷つくこともすごく分かる。四六時中彼女、彼のことを考えて、パフォーマンスに涙して、アンチの声を憎んで、なぜちゃんと理解してあげないのか、彼女、彼がそれでどれだけ傷つくか分かっているのかと憤慨する気持ち。めちゃくちゃ分かる。
私はすでに平手友梨奈が十二分に好きになってから脱退報道を見た。
それでも平手友梨奈のことを好きになってよかったと思っている。傷ついたって、それでも好きになれてよかった。あくまでも個人的意見だ。誰の意見を否定したいのではなく、ただちゃこさんの記事を見て、今まで言葉にしづらかった思いを記してみようと思った。
彼女が出演している番組はかじりつくように観て、雑誌に掲載される彼女の造形美とただならぬオーラに感嘆し、ライブDVD、特に欅共和国2018の不協和音で彼女が「僕は嫌だ」と叫ぶのを観る度に涙していた。 大人が作り込んだ社会に反抗する少女像に苦言を呈する人たちの気持ちも分かる。でも私はどんな歌を歌おうと、彼女のその表現力に、危うさに、力強さに惹かれていたと思う。アイドルらしいバックグラウンドを知らなくても、ただパフォーマンスする姿を、儚いあの目を一目見ただけで惹かれていたはずだ。 そんな感じで、彼女の姿を目で追いかけるのが私の生活の一部だった。 だから脱退報道を見た時、息が止まった。傷ついたか傷ついてないかといえば確実に傷ついた。動揺し、これからもう彼女の姿を観ることができないのかと思うと心臓が張り裂けそうになった。 彼女は私の友達でもなければ、知り合いですらない。 本当に遠くの、遠くの方から眺めている、ただのファンだ。私が好きになろうとならなかろうと彼女は彼女の人生を生き、私は私の人生を生きるだけ。 その事実は、彼女にどれだけお金を積んだファンでも、古株でも新参でも、みんな同じだ。酷だけど私はそう思う。そんな遠い関係なのである。 それでも私は確実に平手友梨奈に支えてもらっていた。こんなに真っすぐで嘘がつけなくて、色んなもの背負って、色んな荒波にもまれて、誤解されて、それでも何度も立ち上がって泣きながらパフォーマンスしている、そんな人が存在する世界って悪くない、そう思わせてくれた。それが私にとっての平手友梨奈だ。 彼女を応援するようになってから、ある意味変なことだけど覚悟していた。絶対このままがずっと続くはずがない。 だから彼女がこれからどんな選択をしても受け入れよう。 おかしなことだけど本気で彼女を信じていたのだ。身近な人間でもないのに信じるとか裏切るとか変な話だけど、いつも見返りはもらっていたから、彼女の選択を信じようと思っていた。そして本当にそういうことが起きてから一層強くそう思った。 平手友梨奈を好きになって、心を震わせる瞬間をたくさんもらって、本当によかった。 彼女がこの世界にいる限り、私も生きたいって本気で思う。完全に痛いファンだけど、そんな存在に出会えてよかったって思っている。危うくて、消えそうで、でも誰よりも強烈な光を放つ彼女が、これからも大好きだ。






バナー画像はニッポン放送NEWS ONLINEから引用 [https://news.1242.com/article/185246](https://news.1242.com/article/185246)

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