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本って読まなきゃ買う意味ないの?

本が好きだ。ジャンル問わず、新書も文庫も雑誌も、絵本も写真集や画集も、できればどんなものでも琴線に触れる本は身近においておきたい性質の人間だ。 

「手に入れたい」と欲望がうずくと、その本の事を片時も忘れることができない。夢にこそみないが、起き掛けにハッとその本の表表紙が目に浮かぶことも、たまにある。

欲しい本は、大抵地元の書店にはストックがない。だから、主にネット書店で購入することが多い。大型書店にはたまにしか行かない。なるべくたまにしか行かないようにしている。

ネット書店の「欲しいものリスト」「お買い物カート」には、大抵たくさんの本が私によって入れられている。

お買い物カートには便利な機能がついている。カートには入れて置けるけれど、今すぐ買わなくても良いというものだ。

だから、会計する時には、緊急性かつ優先度の高い本と、欲しいけど単なる欲の塊、しかしできれば今すぐにでも欲しい本が並列に存在する。

いよいよお会計、という時にカートにはあるが今すぐ買わないという機能を、どの本に付与するかどうかを散々悩む。頭に血がのぼりボーっとしてくるぐらい悩む。そして、いよいよ意を決して本当に今すぐ購入したい本の決済に入るのだ。

この一連の作業を辛いと思ったことは一度もない。

次に、欲しいものリストの中身について説明しよう。
欲しいものリストには、希少性は低く、ベストセラーだがいつかのタイミングで手に入れてみたいものだ、と感じる本をストックしている。

それに加えて、自分の人生にしっくりきそうだが、今すぐ手に取りむさぼり読みたいという情熱がイマイチ湧き起らない本もここに入る

何様のつもり?に尽きるが、私は本を選ぶときは真摯に、読むときは努めて謙虚にを心がけている。まあこれは、購入する本だから、自分の資産になるのだからそれだけ真剣なのです。

本が買われるために待っているウェイティングリストには現在、200冊ほどある。

中には、身に覚えのまったくない本も入ってたりして、「なんで入れたのだろう」と、思い出せない本もある。それでいて、「なんか面白そうな本だな。さすが私だな」とも思う本である。忘れているけど再び読んでみたくなるなんて、感覚というものは案外ブレないもんだなと感心する。

ちなみに、このリストを作ったり見返したり、再び緊急性の高いリスト(いわばお買い物カート)に入れようかどうしようか悩むことについても、辛いと思ったことは一度もない。

その時その時で話題にのぼる本、というのがある。雑誌で取り上げられる、新聞の書評にのる、私が信頼をおく人が、この本についてこう思ったんだけど、と話してくれるなどなど、世間で話題になる本ばかりでなく、自分にとってのホットでタイムリーな本。

こちらは、今すぐ手に入れて読みたい!の本は優先的にオンライン書店のショッピングカートに入ることになるが、「そこまで行かないが、つまみ食いをしてみたい」というちょと横しまな気持ちがヒョッコリ出てきたときは、公共の図書館で借りることが多い。

通読することもあるが、圧倒的に「つまみ食い読み」が多い。本が好きなうえ、読んでない膨大な本が自宅にある。その上、借りてきた本まで通読していたら体がもたない。この時は、ちょっとしたつまみ食い読書法を利用して、短時間でその本をなんとなく知る。これが、今一番達成感が持てる読書の方法である。

図書館の本は公共の共有物なので、自分の思い通りに本を手に入れることが難しいことがあるので、借りたい本が近くの図書館にないと、蔵書している図書館に今からでもすぐに借りに行きたい、という欲望を抱えることは少なくない。

しかし、最近では、インターネットでの蔵書検索や、他の図書館での蔵書取り寄せや予約が簡便に出来るようになった。それにしても、時間差で借りた本を返したかなと気をもんだり、あの本はいつ私の手元にくるのだろうかともやもや待ったりというこのひとときも、やはりまったく辛くはないのである。

ここまで書いて気が付いたが、本が好き以上に、本にまつわる日々の様々な営みを楽しんでいるのかもしれない。

最近では、電子化された本が増えてきて、まるで本当に紙をめくっているかのようななめらかな感触のブックリーダーがあるが、やはり紙媒体の本には本の内容を楽しむ以上の楽しさがある。だからこそ、私はこんなにも毎日本のことを考え、やきもきし、時には「買ってばかりで全然読んでねーじゃん」と、罪悪感にかられるのだ。

私の尊敬する児童文学作家の中川正文さんは講演で、

「借りてきた本と買った本では大きな違いがある。短期間の付き合いか、手に入れてずっと長く付き合うか。そして、買った本には、私だけの本という慈しみの想いが湧くものだ」

こんな感じの話をしておられた。

これを自分の都合の良い方向に持っていき日々せっせと本を買っていたが、本は読むものという前提で本を購入していると、読まれずに積まれていく本たちを見るたびに罪悪感を感じることも時々ある。

しかし、その罪悪感が吹き飛んでしまう言質を得ることに成功した。


「ぼくの趣味は読書ではなく買書だとはたびたび言ってきました。ところが買書も一種の読書ではないかと思うのです。

読むだけが読書ではなく料金を払って所有することでその本のイメージを買ったのです

買うという行為を通さなければ、読書の入口に到達したことにならないのです。」
「言葉を離れる」(横尾忠則 青土社)

これで益々、買うばかりでなかなか読まれない本が積まれていく気しかしなくなってきた。でもいいのだ、幸せなら!

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