ただ「お金を増やす」にこだわることが幸せには繋がらない理由
「お金」という誘惑について
あまり綺麗な話ではないかもしれませんが、お金が好きな人は多いと思います。
だって服や、美容、靴、家具、車など自分の好きなものは全部買うことが出来るし、どんどん自分を綺麗に出来ます。
綺麗で豪華な家にも住めるし、美味しいものもたくさん食べられます。
こんないいことってないと思います。
でもどうでしょうか?
違った視点で見てみると、慣れちゃうんじゃないでしょうか?
もっともっとっていろんなものを欲しがって一時は幸せになれるかもしれませんが、長い目で見たときに本当に幸せって思えるんでしょうかね?
「年収と幸福度」
年収と幸福度にはある程度正の相関があるとされています。
しかし、ここで注目したいところが年収が増えれば増えるほど幸福かというと、実はそうでもない点です。
図を見て頂きたいのですが厚労省の世帯年収別の幸福度の調査では世帯年収が3000万~5000万円までは幸福度は右肩上がりで推移しますが、それ以上では下がってしまう傾向があることです。
お金があれば幸せになるかというと実はそうでもないことが分かります。
「幸せとは」
幸福度には3つのホルモンが関係するといわれています。
①セロトニン系(健康・安心):心身の安らぎを得た際に感じる幸福
②オキシトシン系(愛情・人間関係):愛情やつながりを感じた際に得られる幸福
③ドーパミン系(お金・地位名誉):達成感を感じた際に得られる幸福
いくつかタイプがある中で、これらの幸福は①→②→③の順で得られると、総合的な幸福度が高まるといわれています。
また、これらのどれかが欠けると幸福度は上がりにくくなるという報告があります。
「大切なものは今にある」
これまでの話で分かることとして、お金を増やすことが幸せではないということです。
しかも、お金が増えれば幸せになるということ考え方としては微妙です。
大切なことは「今」にどれだけ向き合えるかということであり、幸せとは未来に感じるものでなく、その瞬間瞬間で感じるものなのです。
「自分の存在意義について」
お金だけ得て、欲しいものを全て手に入れても恐らく満足はしないでしょう。
また、闇雲に多額の資産を築いたとしても使い方が分からないのでは、自分の身を破滅させることもよく知られています。
自分とは何者であり、なぜお金を必要とするのか。
なんのために使いたいのか。
これを明確にしていく必要があると僕は考えます。
ユダヤのことわざから学ぶお金との向き合い方
「金銭は無慈悲な主人だが、有益な召使にもなる。」
こんな有名なフレーズがあります。
自分がお金に支配されるのではなく、お金を支配する有能な召使として扱えるようになる必要があるという意味です。
前述しましたが、このフレーズからも、なぜお金を稼ぐ必要があるのかということは考えていく必要があると思います。
いろんな人がいるこの世の中ですが、目先の誘惑に惑わされることなく、軸を持って生きていきたいですね。
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