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自らの限界を知る

久しぶりだとか書くのはやめた。前回の更新は8月半ばくらいだったと思う。今はすでに10月末。夏からすっかり秋になった。前回の更新時は何をしていたのだろうか? 多分、兵庫県立ピッコロ劇団「いらないものだけ手に入る」の台本を書いていたんだと思う。いやいや、そうか。来年上演予定の台本ももう一本書いていた気がする。

とにかく季節は変わった。書いていたはずの「いらないものだけ手に入る」も無事に終了した。このページのヘッダー写真がその時の舞台セット。MONOの奥村君のプランだ。とにかく一ヶ月間、私は19年ぶりに尼崎に通った。稽古場で動き回って演出し、本番では毎日一箱のフリスクを食べながらメモを取り、そして千穐楽を迎えた。今は配信で観られるので興味のある方は是非。クリックしてもらえばカンフェティの配信ページに飛びます。→ココ

……どういうわけだか書くものが溜まってしまっている。数えてみたら来年末までに書かなければいけない舞台が9本あった。これは異常だ。これまでで最も多いかも知れない。そのうちの一つが「いらないものだけ手に入る」だったので8本になったのか。まあ、それでも多いね……。

現在は12月に上演する「徒花に水やり」を執筆中。この宣伝もしておかないといけない。またページに飛びますをやろう。さっきが「ココ」だったので、今回はサイトにあるビジュアルを貼る。画像をクリックしてください。

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同時に来年のMONOの新作も構想をノートにまとめている。数が多いからといって手を抜くことはできない。一つ一つ丁寧に書かなければいけない。……ただ、正直言って苦労しているものもある。どの作品を書くのも容易ではないけれど、その作品に関しては明らかに自分の力不足を感じている。21歳から台本を書き出し、30歳手前からはテレビや映画の脚本も数多く書かせてもらって来た。完璧に書けたと思えるものは一つもないけれど、それでも劇作家、脚本家としてそれなりにやって来たという微かな自負もある。けれど歯が立たないというか、どうもうまく体重が乗ってくれないもどかしさを抱いている。自分の能力の限界を知らされた気分だ。意外と落ち込んでいるようで、最近は嫌な夢ばかり見る。この前は壁を叩きながら目が覚めた。右指を突き指していた。

書くにあたっては技術は必要だが、何よりも書く時の熱量というか、強いモチベーションが必要になる。このモチーフをどうしても書きたいという情熱でもいいし、それが見つからない時は誰かへのラブレターのつもりで書く。公演を成功させたいとか、評価されたいとか、そうした社会的なベクトルだけでは作品は書けない。とにかく個的な衝動が必要だ。職人としてどんなものでもうまく書ける人も存在するけれど、どうも私にはその才能はないようだ。まだまだ勉強だね。もっともっとうまくなりたい。そして何より書くときの高い熱量を持っていたい。

 


 

 

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