幼少期の話。4■言えないイジメ。

中学校1年生になった。

今まで仲良くしていた仲良しグループは皆公立中学校へ。私は自宅から電車を乗り継いで1時間近くの場所にある学校へ通っていた。

あまり朝が強くなく、途中からは父が遅番やお休みの時には学校まで送ってくれたりしていた。
(この頃そのおかげか、父との時間が割と増えたかもしれない。)

受験発表の時、偶然隣になったRちゃん。実は最寄り駅も一緒という奇跡だったので一番仲が良かった。
が、残念なことに隣のクラスになってしまった。

クラスメイトは小学校からの持ち上がり組が殆どで中学校で外部入学する子は学年で1/3居ないくらいだった。

私は初めの頃はクラスの友人とも仲良く、ワイワイとすごしていたが、歪み出したのは夏をすぎた頃からだった。

同じクラスにI君という男の子がいた。
I君はパッと見、優男のイケメンだったため、女子にモテていた。

そんなI君も、なんとおなじ最寄り駅だった。
そしてなんと塾はお隣。
学校が終わって、そのまま塾に向かうため、登下校が一緒になることが増えた。
が、それをよく思わない女の子がいた。Sちゃんだ。

私の班(座席で班が区切られていた)には
先のI君、同じく女子から人気のF君、ちょっとおちゃらけキャラのY君.そして掴みどころのないH君
女の子は私、同じく活発なMちゃん、親のキャラ強めのKちゃん、あまり自分の意見がない振り回されるタイプのDちゃん.そしてSちゃんだった。

Mちゃん、I君、私以外は
小学校からのエスカレーター組。(確か)

だから知らなかった。
当時存在することすら知らなかったが、今なら言える。
スクールカーストが存在した。
その頂点に君臨していたのは紛れもなくSちゃんであった。

普段は
「ひなこ~♥次~教室だってよー!行こーー♥」
と笑顔で話しかけてきていたが、
私とI君が一緒によく帰っているのを知ってからというもの、少しずつ嫌がらせが始まった。

それは我関せず、だったMちゃん、F君、以外のメンバーから。

無論H君は正直どうでも良さそうだった(笑)
跳び箱の3段で複雑骨折をした私を笑っていたのは単なるどんくささへの笑いだったように思う。

というか他にも関わりはあるのだけど
特に嫌な記憶が強いのが先に書いたメンバーなのだ。

I君←♥←Sちゃん
F君←♥←Kちゃん
Y君→♥←Dちゃん

という矢印関係の中に私がいて、スクールカーストトップのSちゃんの好きな人と毎日帰っていたのだ。

そんなやじるしなんて気づくこともなかった私は
私自身の彼氏(仲良しグループに居た幼馴染)が待つ塾まで、I君にひたすら惚気話をしながら向かっていたのだった。

┈┈┈┈┈┈┈┈

あからさまに嫌がらせを受けるようになったきっかけとして
Hくんに笑われた骨折があったように思う。
ひと月近くギプス生活、そして思春期、
どれだけお風呂で綺麗にしても、汗をかいたら匂ってしまうことはある。

それが起因であったのはおそらく間違いない。

コソコソとクサイと言われだしたのだ。

気にした私は制汗剤やトワレでどうにかカバーしようと試みたが、逆効果だったようで、
いじめはもっとあからさまになった。

筆箱の中に
「クサイので学校に来ないでください。あなたがいるだけで迷惑です。」
という手紙が入れられていたり、
クスクスと笑いながら手紙を回されることもしばしば…

正直居心地が悪すぎてほかの具体的なことは
記憶から消してしまっているのかあまり思い出せないのだが、それは多分目に余るものであった。

幸い、入っていた部活には同じクラスの子がおらず、
少人数の部活だったため、大層仲が良かった。

特に合格発表で隣になっていたRちゃんも同じ部活だったので、私はもはや部活をしに学校に行っていた。

教室の中にも何人か仲の良い子はいたのだが、クラスでは表立って仲良くはしなくなっていた。
2人きりの時だけとても話す、というような形。

その中の子が、どうやら担任の先生に私の置かれていた環境を報告したようだった。

特に酷かった女子達は担任から集められた時に
「いじめなんてしてませーん」
「ていうかくさくない?wwwwあと調子こいててうざい」
と笑いながら話していた。(私も呼ばれていたから聞こえてしまった)

とても悔しかった。
けど、私にはそれをイジメだと認める訳にはいけなかった。
私には副担任のおじちゃん先生が聞き取りをした。
同じクラスの水面下で仲の良い友人とふたり、先生に
「嫌なことされてない?」
と聞かれたけど
「大丈夫です、たいしたことないですよ。」
と答えた。

だって認めたら、母が悲しむと思ったから。
母があんなに泣いていたから、私がいじめられている、なんて認めたらまた母に辛い思いをさせてしまう、と13歳の私は本気で、そう思っていた。

後日、夜、自宅で寝ようとしても身体がなんか変だった。
勝手に涙が出てきて、(きついなぁ)とふと思った。

すると、ダイニングにいた母が突然こう言ったのだ。

「あんた、いじめられとるやろ。」と。

びっくりした。
なんで!?なんで知ってるの!?と
思わず叫んだ。

きっかけは筆箱の中の手紙だったらしい。
捨てるにも捨てる場所がなく、筆箱に貯めていた悪口の書かれた手紙。
あろうことか、ごみ溜めてばっかで、と思って整理整頓しようとした母に見つかっていたのだ。
だがしかし、何日経っても何日経っても母に言わない私を母は察していたらしい。

母自身に気を遣っているのだろう、と。

そこにトドメの電話だ。
電話の主はそう、私の担任M先生。
開口一番に先生は母に謝罪したそうだ。

「娘さんが今実はクラスの子からいじめにあっています。ですが、いじめた側もそうですが、ひなこさん自身も認めませんでした。ただ、我々が把握している内容だけでも、、充分酷いいじめを受けています。防ぐことも守る事も出来ておらず、不甲斐ないです。本当に申し訳ございません。」

と母に泣いて謝ったそうだ。

担任はホームベースみたいな形の顔をしていてギョロっとした目でちょっと見た目は怖かったけど、
中身はほんとに真面目で真っ直ぐな先生だった。

だから解決は愚か、守るきっかけすら私が認めないが故に潰してしまっていたので、手も足も出なかったのだ。

ただ、自分が不甲斐ない、となく先生だったが、
直近の私の様子を見て、限界が近いのではないかと思ったそうで、母に連絡することに決めたようだった。

母に知られていると知らない私は
学校のことについて聞かれても、
ん、ふつーに楽しいよー
と答え、シラを切っていたのだが、
母が知っている、とわかった途端、
堰を切ったように涙が止まらなくなった。

嗚咽をこぼしながら、泣きじゃくった私は
母に、「ねぇ、学校辞めたい。辞めてもいい?」
と尋ねた。

母は抱きしめながら、
「当たり前でしょう。あなたに嫌な思いして欲しくて受験してと言った訳では無いのよ。我慢して欲しくて言ったんじゃないのよ。」
と泣いていた。

私は親不孝なことしちゃったなぁ、と思いながらも
あの、針のむしろのような教室に戻らなくていいんだ、とほっとすると、安心して寝てしまうのであった。

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