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創業当初から海外インドネシアでのIT展開まで-モノタロウ勤続20年のエンジ二アの軌跡

※本記事の内容は取材時のものであり、組織名や役職等は取材時点のものを掲載しております。

モノタロウには3本の成長の柱があります。1本目は国内向けEC、2本目は大企業向けEC、そして第3の成長の柱が海外向けECです。長年に渡ってモノタロウの受発注システムの基盤開発に携わり、インドネシアのIT責任者を担当してきた中西さんにインタビューしました。

中西さん(43歳 取材時)
入社以来、15年に及びモノタロウのシステム開発/運用を幅広く担当した後に、インドネシアの首都ジャカルタの現地法人PT MONOTARO INDONESIAに5年ほど出向してIT部門を統括していました。2021年3月に帰任して、現在はIT部門の中の3つのグループに所属しています。
・OMSグループ(Order Management Systemの導入)
・海外IT支援グループ(海外事業や子会社のIT活動のサポート)
・VPoE Officeグループ(組織・プロジェクト横断的な取り組み)
プライベートでは、久しぶりの日本で家族と楽しくのんびり過ごしています。

Q. モノタロウに入社して20年近くの長いキャリアはどんなものでしたか?

「派遣社員で入社してインドネシアのIT部門の統括に」

専門学校を卒業後に大手通信企業子会社に就職して料金系システムのオペレーターと社内システムの開発を3年ほど経験しました。2002年に派遣社員としてモノタロウで働き始め、2005年に正社員となりました。社内システムを中心にECサイトも含め幅広くモノタロウのシステム開発/運用に携わってきました。そして、2016年夏にインドネシア子会社に出向してIT部門の統括を約5年間担当して、2021年3月に帰任しました。

現在は、国内事業向けの新しいOrder Management Systemの導入に携わっています。これは受注管理システムであり、多様な状況下において最適な配送方法を選定する機能により「商品の到着を待つ時間短縮」 とオペレーション負荷平準化・荷別れ抑制機能により 「配送・物流関連コスト抑制」を図るものです。私がインドネシアに赴任する前に開発・運用に関わっていた現行システムからこの新しいシステムへの移行を進めていて、2022年にリリース予定です。

また、インドネシアで培った経験を基に、海外IT支援グループというグループを立ち上げ、海外子会社および海外事業全般のIT活動を支援する業務を行っています。これは、海外事業において私自身が苦労したことや課題に感じていたことを、モノタロウが海外展開する各国(韓国、インドネシア、インド)や越境EC(タイ、フィリピンなどへの日本からの販売)において共有して解決する取り組みです。まずは、定期的なコミュニケーションを行なって、ナレッジを共有する場を作ることから始めています。

Q. 20年前のモノタロウはどんな会社でしたか?

「内製で何でも自分たちで作り上げていく文化がその頃から根付いていた」

モノタロウの創業は2000年10月で、私がモノタロウに入社した2002年頃は東大阪に自社の物流センターを立ち上げたばかりの小さな事業規模でした。当初は外部ベンダーによるシステム開発/保守がされていましたが、モノタロウの販売商品のMRO(工具や消耗品などの間接資材)においては、商品点数が多くて検索のしやすさが重要だと当時から捉えられていたので、お客様にとって使いやすいECサイトを実現するために自社内でのシステム開発/運用へと移行していきました。エンジニアの人数も現在とは比べ物にならないぐらいに少なく、和気あいあいとした雰囲気で仕事をしていましたが、ECサイトも社内システムも「何でも自分たちで作り上げていく」という気概があり、それは現在にも通じています。当時は会社近くのマンションの一室を借りてサーバールームとして使用していて、夜遅くまで仕事して電車で帰宅していたら、携帯電話に通知メールが届いて、次の駅で逆方向の電車に乗り移って会社に戻るなんてこともありました。

IR資料を読み返してみると、2003年の売上は約24億円、ユーザー数は約5.2万口座でした。2020年では売上が約1,518億円で63倍、ユーザー数は約550万口座で105倍に事業成長しています。昔からは想像できない規模に会社が大きくなりました。振り返ってみると、2006年の東証マザーズ上場と2009年の東証一部上場の前後と、売上が1000億円を超えた最近の5年ぐらいが、特に企業が急成長して会社が変わったと感じたタイミングです。以前はエンジニアの採用にかなり苦労しましたが、モノタロウの知名度も上がって採用が進み、現在は専門性の高いエンジニアが沢山在籍しています。

Q. 5年間のインドネシア駐在のきっかけは?

「新しいことにチャレンジしたいと手を挙げた」

英語を話すこともできず、中国でのオフショア開発で海外出張に行くぐらいだった私が、インドネシアに駐在することになったきっかけは2016年に社内のIT部門のマネージャーが集まった会合でした。部門長から「誰かにインドネシアでの子会社立ち上げを担当して欲しい」という要望がありましたが、皆それぞれの業務に忙しく、正直、私も余裕があったわけではないのですが、すでに入社して15年近く経っていたので「新しいことをやりたい」という気持ちが勝って立候補しました。

現地法人PT MONOTARO INDONESIAは、住友商事が現地で展開していたインドネシア市場向け日用品ECサイト「Sukamart スカマート」を継承する形でのスタートでした。BtoBの間接資材の販売に特化させるための事業転換のリブランディングから始め、商品管理システムの導入、在庫引当や自動発注など業務上必要不可欠な機能の開発に取り組みました。社内システムの改善などは自身のこれまでの経験が活かせました。

2016年10月から事業を開始しましたが、当初の月間売上は1000万円程で、まずは新規のお客様を集客する必要がありました。顧客獲得の為にオンライン・オフライン問わず様々な施策を行いましたが、ITとしてはSEOや機能の改善をメインに行いました。以前日本でもECサイトの開発に携わっていた時期はありましたが経験は少なかったので、知見のある日本からのサポートがとても助かりました。SEO改善に最も効くパフォーマンス改善や安定性向上のためのクラウド移行、商品検索精度の向上や決済方法の拡充など様々な改善を継続して行った結果、月間売上も2020年初頭には4000万円程にまで成長しました。コロナ禍ではインドネシア全体の経済が大きな打撃を受けた影響もあり、売上は下がってしまいましたが、徐々に回復しつつあります。販売している商品点数も、当初は数万点でしたが、現在は250万点にまで増やすことができました。

インドネシアではメッセンジャーアプリとしてWhatsappが最も良く使われていて、ビジネスでもメールの代わりに普通に利用されています。電話番号がアドレス帳に登録されていてお互いがWhatsappを使っていればすぐにメッセージを送ることができるので、個人商店のような小規模事業者でも大多数がWhatsapp番号(携帯電話番号)を公開していて、問合せから注文までWhatsappでやり取りされることが多いです。また、決済ではクレジットカードではなく銀行振込が最も良く使われますが、注文しても支払わないユーザーが多く、注文はそのまま自動キャンセルになるのでキャンセル率が高いです。このように日本とは購買行動や商習慣が異なる点も多くありますが、現地で得たこれらの知見と日本での経験をミックスさせながらIT全般の戦略を立案し推進していきました。経営層に近い立場での仕事だったので自分の責任で意思決定することがこれまでと比べてかなり多かったのですが、意思決定することの難しさや重さなどを改めて実感したこと、経験できたことがインドネシアで得た最も大きな成果でした。

私がインドネシア駐在で最後に取り組んだのが、世界的に普及しているオープンソースのECプラットフォームMagento2の導入でした。元々インドネシアではMagento1を利用していましたので新規導入ではなくアップグレードだったのですが、Magento1と2は互換性がなく全ての機能を作り直しました。モノタロウでは海外子会社がそれぞれ独自のシステムを各自で開発/運用しているため、使っているソフトウェアも技術スタックもそれぞれ異なっていますが、ECサイトについてはインドネシアがMagentoを利用していた影響から、越境ECサイトもMagento2を採用し2019年に移行しました。基盤を統一すればナレッジの共有もしやすく、エクステンションで機能が拡張できるので、一つの機能を作ればそれぞれのECサイトにも適用でき、日本からの開発サポートもしやすくなります。今後はこういったグループ全社に対する最適化や改善なども行っていきたいと考えています。

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Q. インドネシアで苦労したことは何ですか?

「ITチーム採用とスキルアップの仕組みを工夫した」

出向2年目には家族を日本からインドネシアに呼び寄せて生活しました。当時、子供が1歳と3歳で、2019年にもう一人生まれました。ジャカルタでの住居は外国人向けの立派なアパートではあったのですが、それでも虫が大量発生したり、エアコンが水漏れしたりとトラブルにもたくさん見舞われました。そんな大変なことがあっても、インドネシアの人々の明るくて、おっとりとした性格には和ませてもらえました。レストランなどどこに出掛けても、子供に優しく接してくれるのが嬉しかったです。

私がインドネシアで特に苦労したのはITチームの組織作りです。2016年の現地法人PT MONOTARO INDONESIAは社員が30名ぐらいで、ローカルのITエンジニアは2名しかいないような状況でした。プロジェクト推進は日本からのサポートにも助けてもらいながら、採用を頑張って現在では12名に増員できました。

インドネシア国内には多数のITスタートアップがあり、優秀な人材の取り合いが激化しています。そして6つのユニコーン企業があり、優秀な人材を抱え込んでいる傾向が見られます。また、エンジニアの多くは3年ぐらいで転職を繰り返して年収をUPさせていき、年収もインドネシア国内の一般的な会社員の3〜5倍の高水準なので採用は簡単ではありません。面接では質問したことに対して、いかに的確で詳細な回答を返してくれるかということを重視した結果として、しっかりと仕事に取り組んでくれるスタッフに恵まれました。入社後もモチベーション高く、長く働いてもらえるように、取り組むプロジェクトに関して「こういう課題があって、これに挑戦することであなたにはこんなスキルアップができる」ということをしっかりと説明してスタッフに伝えることを心がけてきました。

Q. これからのモノタロウのエンジニアへのメッセージは?

「“何でも自分たちで開発していこう”という姿勢は失わないようにしたい」

インドネシアで働いてみて、日本のエンジニアは優秀だなと感じることが多かったです。インドネシアでは、例えばトラブル対応だと場当たり的な対応で済ませられることがとても多いのですが、日本だと正確に原因調査をして暫定対応も恒久対応もしますよね。比較対象がインドネシアだけなので正確ではないですが、他の国で働いているエンジニアからの「日本のエンジニアは優秀だ」という意見もよく見かけますので、言葉の壁さえ越えられれば、日本のエンジニアは世界で活躍することができると思います。

一方、日本では同じ背景や文脈が共有されていれば、あうんの呼吸で「2つ、3つ伝えれば、10やってもらえる」と期待してしまうところがありますよね。しかし、海外でそのノリで仕事を進めてしまうと、ほとんど伝わってなくて全然違うモノが出来上がってしまいます。コミュニケーションは正確に細かく伝えなければいけません。同じような問題は日本人同士でも起きていると思いますので、日本人同士という状況に甘えずにコミュニケーションすることが大切だと考えています。

私は会社の規模が小さい頃から長くモノタロウに勤めているので、ECサイトも社内システムインフラも、開発も運用も一通りの経験があって、会社のビジネスを支えるIT全般を見られる自負があります。会社の規模が大きくなり専門性の高いエンジニアが増える一方で、組織が細分化され担当範囲も狭まり全般的な経験を得ることが難しくなっています。海外事業においてはまだまだ事業規模も小さく、いろいろな要素が足りていなくて自分で何でもしなければならないことが多く、幅広い経験が活かせる場面が多々あります。私よりも技術的な専門性に長けたエンジニアは社内にたくさんいますが、海外出向を通してゼネラリストであることも自身の専門性の一つであると考えるようになりました。ですので、幅広く経験をしたい方は是非海外事業に関わっていただきたいです。

会社の規模は私が入社した20年前とは比べ物にならないぐらいに大きくなってはいますが、モノタロウの本質は変わっていません。社員みんなが課題を解決することに努力し続けないと、この成長は維持できません。また、エンジニアにとっては事業規模が大きくなったことによってシステム課題も大きくなっており、解決していかなければならないことは増えています。現在は事業状況に応じてパッケージなどの既製品を選択する判断をすることもありますが、エンジニアとしてフットワーク軽く「何でも自分たちで開発していこう」という姿勢は失わないようにしたいです。

モノタロウはどんな会社か、一言で説明するのは難しいですが、行動規範にもあるように「周りに敬意をもって接する」ということが一貫して守られていることが特徴です。組織構造がフラットで階層の上下が少ないので、意見も通りやすく、風通しの良い働きやすい会社だと感じています。私も新しく仲間になった人たちからこれまでのモノタロウに無かった良いことを沢山学ばせてもらって、昔からのモノタロウの良い点は語り継いで、引き続き会社の成長に貢献していきたいです。


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