レントンと、レントンに憧れた愚かな少年の20年。

 4月8日の公開から3週間。

 3回も観てしまった。別に複雑なストーリーじゃない。伏線らしきものもない。1度見れば充分だ。それでも何度も足を運んでしまう。理由は色々あるが、ただ単に「思い入れ」という言葉で片づけてしまってもいいだろう。

「T2 トレインスポッティング」

 1996年に公開されたトレインスポッティングの続編。20年後のストーリーだ。確かこの映画を初めて見たのは18歳だったから、おれの中でもちょうど20年。25歳だった主人公レントンは46歳になっていた。

 不況にあえぐスコットランドの首都エディンバラ。定職に就かずヘロイン中毒で窃盗・強盗を繰り返す実家暮らしの街のゴロツキ。それがかつてのレントンだ。幼馴染の腐れ縁であるシック・ボーイやベグビー、スパッド達もいずれ劣らぬロクデナシ。そこには未来への展望などかけらもない。そんなどん底から抜け出したいレントンは、仲間たちとヘロインの取引で大金を手にし、それを持ち逃げする。「なぜ友達を裏切ったか?それはおれがワルだからだ。でも、これからは変わろうと思う」と言い残して。

 18歳のおれはそんなレントンに強い共感を覚えていた。ドラッグといえばシンナーぐらいだったが(おれは全く好きになれなかった)、偏差値底辺の公立高校で時間を無為に過ごし、学歴もなければ得意な事もない。悪いことに、レントンと違って腐れ縁の友達すらいなかった。そんな堕落した暮らしを続けていた高校3年の秋、ちょっとした事件が起きる。普段から態度がナマイキなおれの事を疎ましく思っていた何人かの同級生が「お前にヤキを入れる。おれたちのバックにはヤクザだっているんだぞ」というような脅しの電話を実家にかけてくるようになったのだ。心当たりはあった。だから、何をするにせよこの街からは出ていかなければ、と思った。先輩後輩のしがらみやカーストに組みこまれるのはゴメンだ。つまり、レントンが最後に街を出ていくシーンは、経緯こそ違えど自分自身と重なるような部分があったのだ。

 おれは実家を出て東京に来た。そして歌舞伎町で新聞配達をしながら音楽の学校に通った。結果として、そこも半年で中退することになる。レントンのように持ち逃げした金などない。けれども、とにかく挫けそうになる度に14型の小さなテレビで「トレインスポッティング」のビデオテープを見て自分を奮い立たせた。そして職歴もないまま持ち前のハッタリと度胸で小さな印刷会社に就職。運よくデザイナーとしての道を進むことになる。毎日、映画のサウンドトラックを聴きながら通勤した。一時期はイギリス人になりたくて土足で暮らしたりもしていた。今となっては笑い話だ。けれども、その時は本気だった。

 ITバブルの波に乗り、当時は珍しかったWEBデザイナーに転身すると仕事は軌道に乗り始めた。ドメインの転売で小銭を稼いだりもした。金銭的に余裕が出てくると、今度はヘロインを試してみたくなった。探してみたが見つからず、だが、手に入る他のドラッグには何でも手を出してみた。新大久保にコンシャス・ドリームという合法ドラッグの店があり、そこにもよく顔を出した。また、これは人の手伝い、というかシノギだったが、まだ日本で認可が下りないスマートドラッグをロスで買い付ける仕事もした。もしかしたら他のものも運んだかもしれない。クラブでは時々エクスタシーを齧った。1錠は勿体ないから4分の1だ。錠剤はとても苦くて、それをミネラルウォーターで押し込んだ。同世代でトレインスポッティングの音楽やファッションに影響されたって人間は少なくない。けれども、ドラッグカルチャーまで追体験しようとする奴は殆どいなかった筈だ。なぜそれをおれがやったか?バカだったからだ。定職に就かずヘロイン中毒で窃盗・強盗を繰り返す実家暮らしの街のゴロツキに憧れるような、そんな愚か者だ。

 ここでようやく「T2」の話だ。あれから20年。レントンは逃亡先のアムステルダムからエディンバラに帰ってきた。街の様子は随分と変わっていた。ユーロ誕生による好景気で街は観光都市と化し、最新型の路面電車が市街地を往来していた。なぜこの街に帰って来たのか?レントンはアムスの地で結婚し、会計の仕事に就いていたという。だが会社の合併を受けて失職、子供が出来なかった事もあって妻とも離婚したのだった。3カ月前には心臓の手術を経験した。傷心の46歳はまず実家に戻り、そこで母親が死んだことを聞かされる。「いつか戻ってくると待ち続けていた」と父親は静かにこぼした。

 次にレントンが向かったのはスパッドの暮らす公営アパートだった。唯一20年前の分け前を残した気のいい友達。だが、その分け前でヘロインをしこたま買い込んだスパッドは、一度は土木関係の仕事に就くものの、ドラッグ中毒から抜け出せず、家族からも見放され自殺する直前だった。レントンはスパッドを救い出したが、そこで過去の行いを詰問される。物語はこの瞬間から加速する。

 もう一人の親友、シック・ボーイことサイモン。レントンはこの男の所にも顔を出した。自分が裏切った男。きっと恨んでいるだろう男。けれども結局、レントンが戻る場所はここにしかなかったのだ。あの時の分け前は返したものの、結局サイモンには殴られ、それでも二人は一緒にビジネスをすることになる。それは決して和解ではなく、「隙あらば裏切る」「でもコイツしかいない」つまり腐れ縁としか言いようのない関係の復活だった。

 エディンバラの再開発からも見放された僻地で親類から譲り受けたバーを経営するサイモン。しかし本当のシノギは売春婦を使った盗撮と恐喝だった。ベロニカというブルガリアの若い娼婦と組んでいたが、このビジネスをもっと太くするために、レントンを抱え込んで窃盗を働く。好景気に沸くエディンバラにあっても、学歴も職歴もない彼らは時代に取り残されてしまっていた。無軌道で享楽的な20代を過ごし、そのまま40代を迎えた彼らの現実は、当たり前のように悲惨だった。それでも、終わりのない日常を生きていかなくてはならない。

 自殺を免れたスパッドはレントンに誘われてエディンバラの小高い丘をランニングしていた。そして頂上にたどり着いたとき、ドラッグとは別の「何か夢中になれる事を」とレントンに促される。「例えばボクシングとか」などと軽口を叩くレントンの言葉を真に受けてジムに通ったりもする。だが、ひょんな事からベロニカに文才を見出され、過去の行い、つまり20年前の出来事を写真と共に文章で振り返り、小説にしようと書き物に没頭する。

 そしてもう一人の仲間、ベグビー。殺人で20年の懲役を食らい、服役中だったが仮釈放の申請を取り消され脱走を試みていた。結果としてそれは成功した。逮捕の原因となったレントンへの復讐に燃えるベグビーは、その手掛かりを探るためにサイモンの元に赴く。混沌が始まる。

 T2では「トレインスポッティング」で明かされなかった数々の由来が語られている。そのタイトルの理由であったり、「人生を選べ=Choose Life 」とはどういう事か、であったり。ここからはストーリーを振り返りながらの感想だ。

 皮肉っぽいレントンの「2017年版Choose Life論」はベロニカの目の前で堰を切ったように披露される。

「おれたちは麻薬中毒だったけど、FacebookやTwitter、Instagram。 結局みんな何かの中毒者だ。過去の選択を後悔するか 、同じ過ちを繰り返すか 。リアリティ番組、リベンジポルノ、2時間通勤でゼロ時間契約。子供に同じ人生を押し付け、誰が作ったかもわからないクスリで痛みをごまかす 。そして深呼吸だ。中毒者なら、中毒するものを選べ。愛するものを選べ。未来を選べ。 人生を選べ」と。


Choose life. Choose Facebook, Twitter, Instagram and hope that someone, somewhere cares. Choose looking up old flames, wishing you'd done it all differently. And choose watching history repeat itself. Choose your future. Choose reality TV, slut shaming, revenge porn. Choose a zero-hour contract, a two hour journey to work. And choose the same for your kids, only worse, and smother the pain with an unknown dose of an unknown drug made in somebody's kitchen. And then... take a deep breath. You're an addict. So be addicted, just be addicted to something else. Choose the ones you love. Choose your future. Choose life.

 20年前の自分と同じ年頃のベロニカにこそ、レントンは「人生を選べ」と伝えたかった。それはともすると中年親父の説教の域を出ないのかもしれない。けれども、この言葉こそが20年という時間のもたらす実感として、おれの心に重く響いた。結果はどうあれ、おれはこの映画に影響されて、良くも悪くも「人生を選んで」きたからだ。みんな結局何かの中毒者。その通りだ。

 もう一つ印象的なシーンがある。若くして死んでしまった彼らの友達トミーの「墓参」。2時間に1本しか来ない辺境の駅に降り立つ3人。スパッドはトミーへ手紙を書き、花束をそっと添え死者を悼むが、サイモンはレントンに「お前がドラッグを教えなければトミーが死ぬことはなかった」と責める。レントンも「それを言うならドーン(サイモンの子)もお前がヘロインに溺れずちゃんとしていれば死ぬことはなかった」と反論する。過去はなかった事には出来ない。罰は消えても罪は消えない。

 言い争いをした二人はその晩、久しぶりにヘロインを打つ。痛みを抱え、痛みを忘れるためにドラッグに逃げる。20年前の再現。相変わらずダメな奴らだ。けれども、そこに刹那的な絶望はないように感じた。明日を生きるための、免罪符としてのドラッグ。スパッドは膝を抱えてそれを眺めていた。彼もまた、明日を生きるために敢えてヘロインに手を出さず、けれども彼らの友達として、そして痛みを共有する者として傍に佇んでいた。優しい男スパッド。ある意味では彼がこの物語の主人公であり、語り部でもあったろう。

 床一面に広げられた昔の写真と、壁に貼り付けられたメモ帳の数々。スパッドが綴る「トレインスポッティング」。それは過去の悲惨な思い出が美しく蘇る瞬間だ。あの乱暴者ベグビーさえもがスパッドの文章に惹き込まれた。そして、記憶の底から掘り起こされたあの出来事。

 ドラッグの取引で訪れた廃線の駅。中年の酔っ払いに「お前ら鉄道オタク(トレインスポッティング)か?」と声をかけられ、バカにするように笑い飛ばした仲間たちの中で、一人だけ後ろでバツが悪そうに立ち尽くしていたベグビー。なぜなら、その酔っ払いはベグビーの父親だったのだ。そんな酔っ払いの父親の下で育った手の付けられない悪ガキ、学校でレントンの隣に座ったベグビーは年上の落第者だった。年上のガキ大将にレントンやサイモン、もちろんスパッドが逆らえないのも当たり前の話だ。だからこそ20年前のレントンはそんな負の連鎖から抜け出そうとしてエディンバラを出たのだ。友達を裏切ってでも。

 そんな出会いの一つ一つを、スパッドは克明に文字として刻んでいく。初体験の相手、初めてのドラッグ、サッカーに興じた事。色々あったけど、あの頃はみんな友達だった、と。

 時おり差し込まれるスパッドが小説を書くシーンには、胸が締め付けられた。おれにはそんな友達すらいなかったから、率直に羨ましいと思った。それは「スタンド・バイ・ミー」を見た時に感じた気分と似ていた。

 友達を裏切ったレントン。裏切られたサイモン、スパッド、ベグビー。それぞれの再会は、20年分のあらゆる感情をぶつけ合う形で収束する。

 レントンに復讐することで自分が再び刑務所送りとなり、もう家族と会える保証がない事を予期したベグビーは息子にこう言う。「おれがガキの頃は選択肢なんかなかった。おれの親父は酔っ払いで、おれは乱暴者。でも、おまえには違う道がある」と。20年という時間を刑務所で過ごした彼もまた、それが叶わなかった自身の人生を顧みて「人生を選べ」と息子に伝えるのだった。

 吹っ切れたベグビーはレントンを始末しに、サイモンのパブへと向かい、物語はクライマックスを迎える。

 結局、ベグビーの登場やマフィアの横やりによって、レントンとサイモンが企てたでかいビジネスはまたもや水の泡となった。ベロニカも故郷のブルガリアに戻った。だが、全てを失った彼らは「元の腐れ縁の友達同士」に戻った。スパッドは書き上げた小説を持って家族の元に帰ろうとしている。それぞれがまた日常に戻り、日常が始まる。この何もなさが、逆に心に強く響く。映画は終わった。けれども、彼らの人生は続いていく。自分と同じように。

 この映画を初めて見てから20年。おれはどんな生き方をしてきただろう。スパッドみたいに思い出を振り返って後から「楽しかった」と言えるだろうか。そんな人生を歩んできただろうか。映画の様に刺激的な出来事はそうそう起きるもんじゃない。だが、節目は何度もあった。危ない橋も渡った。少なくともレントンが言う「人生を選べ」という言葉に忠実に生きてきた自分なら「まあまあかな」ぐらいは言えるだろう。

 24歳の時、ある事件をきっかけにドラッグを止めた。ヘロインが手に入らなかったおかげで、せいぜい社会が許容する範囲内でのロクデナシ程度で生きてこられた。オーバードーズは一度経験した。今は亡き恵比寿の「みるく」で乱闘騒ぎを起こした事もあった。仕事をクビになった事もあった。ビジネスでは裏切りもあった。地元に帰ったり東京に行ったりを繰り返した。音楽仲間と自主製作のインディーズレーベルを立ち上げたり、地元にフットボールのプロチームが出来て、熱狂的なファンになった。結婚をして子供が出来た。色々あって別居中だが、今の所なんとかうまくやっている(はずだったが、この後すぐ離婚した)。稼ぎはそれほど多くはないが、少なすぎるという事もない。全て自分が「人生を選んで」きた結果だ。

 20年前にこの映画に出会えてよかったと思う。そして、20年後に続編を観る事が出来てよかったと思う。この映画に影響されなければもっとマシな人生があったかもしれない、なんて思わない。イギリスに憧れ、ファッションにかぶれ、音楽の沼にはまり、フットボールに熱狂した。充分だ。悪くない人生だった。

 レントン達のこの後の話は、もう映画にはならないだろう。イギリスがユーロ離脱を表明し、その事でスコットランドでは独立運動が高まりを見せている。映画はその最中に撮影されたもので、「属国」スコットランドを取り巻く情勢は更に混迷を極めるだろう。格差は広がり、景気の先行きはますます不透明になっていく。そして今日この日から、世界はまた変化を始めていく。その中で彼らがどう生きていくか。その回答は、自分自身の中にあるのかもしれない。

 余談。実はベグビーについては、原作者のアーヴィン・ウェルシュによるとアメリカに渡り、彫刻士として生活するという後日談があるのだという。日本語訳はまだのようだから詳細はわからない。だが、あくまでもそれは原作の話だ。アーヴィン・ウェルシュ版の小説「トレインスポッティング」と続編にあたる「ポルノ」は、基本的には映画と同じストーリーだが、主人公たちのバックグラウンドがより複雑に書かれており、映画とは別物だ。特に「T2」はポルノから更に10年後の話だから、ストーリーも結末も当然違っている。

 当時は革命的だったイギリスの音楽シーンについても少しだけ書いておこう。この映画を見る限り、20年前からシーンはそれほど進化していないように思える。実際アンダーもオーバーも、それほど目新しい音楽はイギリスからは生まれていない。ある意味成熟したとも言えるのだろう。Coldplay、MUSE、ビッグバンドは次々と誕生したが、それらは目新しい何かではなかった。劇中で流れる音楽は相変わらず刺激的だったけれども、ノスタルジックでもあった。クラヴでQUEENのRadio Gagaを合唱するなんて、一体どういう事なんだ?何が起きているんだ?

 ラスト直前で流れたWolf AliceのSilkにも言及しておこう。全てを失った46歳の男たちがそれぞれの居場所に帰っていくシーンで流れた曲だ。例えば、前作のラストではUnderworldのBorn Slippyが流れていた。BoyとSheが入り乱れる支離滅裂なリリックと高揚感のあるトラックに、泥沼を抜け出そうとする25歳なりの未来を感じた。

 今回、その役割を担ったのがUKロックの新星Wolf AliceのSilkだ。特に目新しくもないグランジやパンク、ネオサイケをベースにした今どきのオルタナバンド。なぜ彼女たちの曲がYoung FathersやFat White Familyではなく、ラストシーンでダニー・ボイルに採用されたのか。

 それは恐らく、この「Silk」のリリックにあるのだと思う。劇中で流れるシーンで特に耳に残ったフレーズを書き出してみる。歌の中で何度も繰り返される、いわゆるサビの部分だ。

ちょうどいい守護者を探しているだけ
時が過ぎても神は手を差し伸べてはくれない
愛はある それは救世主
でもわたしのじゃない
わたしの愛は徐々に自分を蝕んで
ゆっくり死んでいく事もできた
彼女は眠りについてブルースを聴く
白と黒の陰影を見ながら
Just looking for a protector
God never reached out in time
There's love, that is a savior
That ain't no love of mine
My Love it kills me slowly,
Slowly I could die
And when she sleeps she hears the blues
Sees shades of black and white

 特に耳に残ったのは「Slowly I could die」というフレーズだ。「私はゆっくり死んでいく事もできた」と。これはつまり「だけど、それを選択しなかった」という解釈だ。46歳の男たちが「夢敗れて」日常に戻る場面で、25歳の女の子が歌うこのフレーズが繰り返し入るのだ。グサリと突き刺さる。ダニー・ボイルの皮肉交じりの愛としか言いようがない。確かに主人公たちは「ゆっくりと死んでいく事もできた」はずだ。

 時代は変わる。価値観も変わる。テクノロジーは進化する。でも、そうでないものもある。何が正しいかなんて、誰にもわからない。結局、それすらも「好きなものを選べ」という事なんだろう。

 映画館を出て、UNDERWORLDのLIVE盤「EVERYTHING EVERYTHING」に収録されているトレインスポッティングのテーマ曲「Born Slippy(Nuxx)」をヘッドフォンで聴きながら家に帰った。ドン・ドン・ドン・ドンという4つ打ちのリズムが鳴り始めてから、ピストバイクのペダルを踏み込む。アウトロが終わって歓声と拍手が聞こえる頃、ちょうど自宅のガレージに着く。きっかり11分。時速25kmで流れていく街の明かりを見ながら、エディンバラはどんな街だろうと想像を膨らませる。いつかそこに降り立つ時が、それを選ぶ日は来るだろうか。

 やりたいことが、まだある。

 最後に、UNDERWORLDが去年ベルリンで開催したBorn SlippyのLIVE映像を紹介する。客席を見ろよ。20年後のレントンやシックボーイ、スパッド、ダイアンみたいな奴が一杯いるぜ。みんな同じように歳をとった。相変わらずだ。おれもそうだ。最高だな!



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