見出し画像

夜が、またどこか行ってしまう

毎晩、なぜか忙しい時間を過ごしています。昔からのルーティンで寝る前に次の日のことを考える習慣が付いちゃいましたが、最近はその考えることの幅がとてつもなく広がってあります。出かけることも自由に出来ないのに服のコーデネーションで頭がいっぱいなったり、もしお出かけをするとなれば何を食べようか、行きつけのカフェは何を乗って行こうか、まるでくだらないことだらけでございます。1日中一番元気で、一番生気があって、瑞々しく、なんでも出来そうな夜が、ただただ、私のそばに寄ってくれます。でも、起きるのはそのせいでほぼ午後、重い体、怠い午後だけが残ります。前夜、私だけの完璧だった夜はどこへ行っちゃったのでしょうか。その夜は、そもそも存在するものだったのでしょうか。私は、ただぼんやりするだけでございます。

画像1

今のコロナは人々にそれぞれの影響を与えていると思いますが、私の場合、そもそも出社する人間ではなかったこともあり、目に見える影響はほとんどないのでございます。ただ、一つだけあるとしましたら、自分の生活の窮屈さがより鮮明になっちゃったような気がしております。会社をやめて、家に戻り、何もしない生活を送るというのは、何も見えないもので、自分の生活を語る言葉が、どこにも見当たらなかったです。と言っても、実際何もないということではないのですが、人に言えるほどのものが、多分一つもありませんでした。今日も遅めに起きて、遅めの朝ごはんを食べて、コーヒーいっぱいとタバコ一本を済ましましたが、今日、私は何をしたのでしょう。もちろんこういう日々が今までなかった訳でもないのが、今更、改めて少し分からなくなた気がしております。朝起きると、どこか言っちゃたような前夜の光みたいに、まるでそういう日々がただ流れております。

画像2

分からないからとりあえず生きて見ようとします。辛いことだから、たまには知らないふりをしようと思います。今日はすごく大変なことがあったけど、これで終わりではないから、大丈夫だとも自分に言い聞かせます。要すると、また次に。自分はあまりポジティブではなく、逆に希望を持つのが苦手な人間でございますが、これぐらいならなんとなく出来そうなので、ずっとこうやっております。つまり、(表には出さないのですけど)正直な気持ち、明日を待っております。たまには妄想もし、馬鹿馬鹿しい想像もしたり、少し笑ってまた隠しておきます。また夜になると、それを引き出していつになるか分からない計画の修正とかもしております。本当にくだらないですね。前夜の景色は朝になると見えなくなりますが、私はそのそこはかとなく響いた夜景を信じてるのでしょうか。忘れられないの気持ちがする休日、もう午後になっちまいました。

画像3

失ったものではなく過ぎて行くもの、終わったのではなく変わっていくもの、すると、無くなったのではなく、遠い、遠いところにいて、遠過ぎてまだ届いてないことにもなるのでしょうか。一応、分からないから、そう信じることにします。元気よく、そうすることにしてときます。

p.s. コロナは、多分私に夜のことを教えようとしてるかも知りません。


& 写真は、上からBOOK AND BED歌舞伎町、 ギャラリーKEN NAKAHASHI




この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?