中尾彬さん真島茂樹さん死去(死生観)
中尾彬さんが急逝された。
以前に大病なさっていて、終活をしていたそうで、割と直前まで仕事をされていたそうだ。
中尾彬さんといえば、ネジネジのネクタイがトレードマークだったが、粋なひとだったように思う。周りに媚びるようなことはせず、自分の生きたいように生きられた人ではなかっただろうか。正直、周りに媚びて生きてきた僕にとってはかっこよくて眩しいものだ。
そして、真島茂樹さんも急逝された。若い人はあまり知らないかもしれないが、マツケンサンバ(正しくはマツケンサンバⅡ)の踊りの振り付けをした人だ。死因は虚血性心疾患だそうだ。
マツケンサンバは昔に1度流行ったのだが、コロナ禍でまた流行った。どんなに落ち込んでいても笑えるというスゲーコンテンツだ。あの踊りがなんともいえずいいのと、皆さんはマツケンのYouTubeをみたことがあるだろうか?暴れん坊将軍の曲のやつなど、編集がチープなのにマツケンさんの顔の作りがマジ!それが絶妙に面白いのだ。本当にオススメだ。一度は見てほしい。
そんなお二人が急逝されたのだが、おじさんとしては時代が移り変わっていくなぁといった感じだ。
今回、急逝したひとを取り上げたのには少しワケがある。皆さんはどう死にたいですか?ちなみに僕は急逝したいと思っている。ある日突然死にたい。介護とかダラダラ入院して生きていたくはない。それは一つの価値観だろう。
高須先生はがんで余命幾許といったところだが、がんで死ぬことは幸せだとおっしゃた。それはどういったことかというと、あと何ヶ月で死にますとなったら身の回りの整理や、会いたい人に会うとか、最期の挨拶ができる。
事故などで急逝するよりよっぽど幸せなことだというのだ。
なるほど。確かに。寝たきりの管人間みたいになっていたら困るが、高須先生は働くける時は働くという生涯現役を貫いておられる。
僕もおじさんになり、人生の折り返し地点を超えて思うことがある。
「どう死にたいか」
「どう死にたいか」という問いは「どう生きたいか」とか「どう生きてきたか」という問いと同意としていいだろう。
僕は何かを残したいとはあまり思わない。技術も知識も自分が好きで掘り下げているだけで、それをどこかに繋げようとは思わない。興味を持ってもらえることが多いので、そのひとたちにはなるべく提供しようとは思っているが、それぐらいだ。
自分が残したものといえば子どもが大きい存在だとは思うが、子どもには子どもの人生があると思うので、本人の意志ををなるべく尊重したい。僕の遺志みたいなものをなるべく排除して本人の人生を歩んでほしいのだ。
皆さんはどのような死を選び、どのような生を選ぶのだろうか。もしよければコメントでお聞かせいただけたら嬉しい。