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池江璃花子さんオリンピック内定🎉

池江璃花子さんが100mバタフライでオリンピックの切符を手にしたとニュースが入った。本当に嬉しいことで素晴らしいことだと思います。彼女は4年前に病気で倒れた。東京オリンピックにも出場できなかった。当時まだ19歳で今でもまだ23歳だというのだ。なんと厳しい人生を歩んでいるのだろうか。

東京オリンピックがコロナで延期になる数年前ぐらいからドンドン頭角を表していた。当時はまだ高校生だっただろうか。競泳選手のピークは若いことが多いがそれでも素晴らしい結果を残していた。まだまだ若いこともあり、タイムもドンドン縮んでいたし、とんでもないのが現れたなと思ったものだった。

彼女はケガをしたことがなく、痛みを抱えたことがないとのことだった。僕の理論でいうと身体の中の力の流れに滞りがないことを表している。非常に素晴らしい。身体の使い方に問題ないわけだからあとは練習をして、練習強度を上げ、ドンドンタイムを縮めていくというだけのフェーズだったと思う。

その矢先、病魔が彼女を襲う。病名は白血病。あまりにも残酷だ。彼女は正しい努力をしっかりしているひとだ。評価されるべきなのだ。よく「こんなに頑張っているのに!」とか「周りの見る目がないんだ!」みたいなグチを言っている人がいる。僕が見る限りそういったひとは努力が足りないか、目的に対して努力方向が間違っていることが多い。彼女は違う。間違いなく正しい方向に進んでいたのだ。それを病魔が襲う。

僕は正直助かるのか?とさえ思った。闘病生活をしている彼女の写真がたまに見れたが筋肉の落ち加減や生気が抜けている感じがしたからだ。

しかし、彼女は帰ってきた。それも日常生活にではない。競泳の競技者として帰ってきたのだ。最初プールで練習始めましたという写真を見た時、あまりの身体の細さに涙が出た。あれほどの結果を出す努力をした身体がなくなったのだ。どれほど悲しかっただろうか、それともプールに戻れたという嬉しさの方が多かったのだろうか?それは僕の知る由のない話だ。

そこから再度石を積み上げるような作業をすることとなる。
友人がXでこんなことを言っていた。トップ選手ほど練習に効率を求めないというトップトレーナーの話を受けてのことだ。

「トップアスリートの練習は石を積み上げて山を作ることに似ている。
そこに効率性はなくて、強いて効率性を述べるならより大きい石をより多く運べるかだけ。
石の大きさ=質 多く運ぶ=量
そしてトップレベルはとんでもない山を作る。
山=功績、運動能力」

そして彼女は石を積み出した。オリンピックに向けて。報われる保証のないものに対して、延々とより大きい石をより多く。

そしてそれが報われたのだ。それがパリオリンピックの切符なのだ。

そこには人生があり、物語がある。凡人では辿り着けることのないゴールに辿り着いたのだ。しかし、彼女は内定をもらった時のコメントでこう言っている。

「泣かないとは思わなかった。」

僕の勝手な予想だが、彼女はオリンピックのメダルを目指しているのではないだろうか。まだまだ目標の途中ということなのだろう。泣くところではない。

僕は池江璃花子選手がパリオリンピックの舞台で表彰台に乗ると信じている。

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