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落合陽一氏、堀本見氏と手打ち

概要

人物紹介

落合陽一

落合陽一氏は有名な研究者でメディアアーティストを名乗っておられる超有名人だ。わかりやすくいうとめっちゃ賢いひとで、おそらく僕が見ている未来の2個も3個も先を見ている。
例えば、落合陽一氏が提唱しているデジタルネイチャー計算機自然)という概念は、コンピュータと非コンピュータリソースが親和することで再構築される新たな自然環境であり、「「人・モノ・自然・計算機・データが接続され脱構造化された新しい自然」という新しい自然ビジョンである。

正直僕もなんとなく「う、うん、、、」ぐらいしか理解できない。というか理解できていない。それぞれの単語の意味は一応それぞれはわかるけれども、、、ぐらいの感じだ。

そもそもの二人の問題はこういうことから端を発するので少し心に置いておいてほしい。

堀元見

ゆる言語学ラジオやゆるコンピューター学ラジオのパーソナリティをしていて、著書に「教養(インテリ)悪口本」や「ビジネス書ベストセラーを100冊読んで分かった成功の黄金律」などがある。

ざっくり言うと、他のひともしくは他のひとのコンテンツを批評するのだが、悪口という切り口を使っていて、正直敵を作りやすいコンテンツだ。しかし、内容をしっかり見ると実は堀元見氏は頭が良く、本当にその本やコンテンツを読み解き批評していることがわかる。

このインテリ悪口で有名になったのだが、その一番大きいきっかけとなったのが、落合陽一氏との事件なのだ。

例え、堀元見氏の批評が正しいものであったとしても悪口という名の批評をされているひとは堀元見氏からの悪口をそこまで深くは読まない。言われている方は気分が悪いだろうし、触りを見てバカにされていると受け取るだろう。

二人の印象(個人的見解)

落合陽一氏に関しては言わずもがな、天才と言って問題ない時代の寵児だろう。対談できるものなら対談してみたい。僕は賢いひとが好きなので、どんな価値観でどんな未来を見ているのかに非常に興味がある。

堀元見氏に関して僕はゆる言語学ラジオで知った。非常に興味深いコンテンツを作るなと思ってみていたが、その後、衒学チャンネルや落合陽一氏との事件を知り、こういうタイプのひとかぁと思った。

正直、好きなタイプだ。

僕はゆる言語学ラジオから知ったので、堀元見氏はだいぶ丸くなったというか牙の尖りをなくさずかつもう少し世間ウケを考えた立ち居振る舞いができるようになってきているようだった。

事件

確かNews Picksのウィークリーオチアイという番組で落合陽一氏が難しい内容を話し、「わかりません」が言えずに「あ〜そういう見方ね」みたいな顔をして周りのひとが滑稽だ。みたいなイジり方をして、大バズりをしこれをきっかけに堀元見氏は有名になったまである。これに味を占めてというよりは元々そういう方向に行っていたが、完全に方向が決まったというところだと思う。

「現代のアラン・ソーカル事件だ」などと言われ、落合陽一氏はもちろん理解して発言していると思われるが、周りのひとはこの天才の発信をどこまで理解できているのだろうと思うのだ。
結果、僕の「それぞれの単語の意味は一応それぞれはわかるけれども、、、」に繋がる。

この堀元見氏の記事にNews Picksや落合陽一氏が激怒し、「法的措置をとるぞ」と言われたりしていたというのが僕の把握している事件の全貌だ。

その後

堀元見氏視点

堀元見氏に関しては、自分の記事について「解像度が低い人はこの記事を「落合陽一が嫌いだからディスった」と捉えているのだけれど、そうではない。僕はむしろ彼のことが大好きだし、「これはエンタメとして再構成すると極上だ」と確信があって記事を書いた。ディスりたかったのではなく、おもしろいものを作りたかっただけだ。」としている。

これに関しては、おそらく本心だと僕は考えている。彼の文章を読み解き、簡潔にわかりやすく説明する能力は非常に優れている。簡潔に説明するためには文章を本当に理解しないといけない。ゆる言語学ラジオなどを観ていると「若干概形過ぎないか?」とか「もはや変形しているのでは?」と思うこともあるが、厳密性を言い出すと語尾がどうしても断言できなくなってしまってわかりにくくなるのだ。

ある記事で落合陽一氏のポストにこう書いていた。

落合陽一氏のツイートは

「みんなスクショして「引用」しようか.「著作権法上の引用の範囲内」で.当事者相変わらず,人類のアテンションエコノミーに当人が寄生した人類の悪意や老廃物のようなコンテンツに生きる人類であるのは間違いなく.触りたくもない人の悪意のコンテンツを見ているやつを皆で軽蔑しよう.私はカスみたいなコンテンツは触ると相手の特になるのでそんなことはしないが,「そういうコンテンツを見るやつの気持ち悪さ」をみんなでちゃんと指摘できる社会になってほしい.」

という内容だったのだが、これを「この堀元ってヤツ、最悪だからみんなで軽蔑しようぜ」とまとめたのだ。

おわかりいただけただろうか?僕はこの文章を見て堀元見氏も天才だと思った。もちろん落合陽一氏と比べたら劣るだろうが、文章の理解力、そしてまとめ力はかなり群を抜いているだろう。

堀江貴文氏や箕輪厚介氏の本をバッサリぶった斬ったりしているのだが、おそらく堀江貴文氏や箕輪厚介氏の本を読んだひとの中では相当深く理解して読んでいると僕は思う。悪口だったりイジりという方向でキャッチーにしているが、内容をよくよく理解した上での批評であるので芯を喰っているのだ。

堀元見氏の悪口の記事をちゃんと読んだ本人は箕輪厚介氏であれば、堀元見氏と対談していたし、元Quiz Knockのこうちゃんに関しては、「「それはそのとおりだな。。。」という箇所が多いなと思います!だから参考になるし、素直に反省。色々考えなきゃな。何年か後には僕のことを褒めちぎるノートが書かれるように頑張りたいなと思いました!(書かれた方への攻撃等は私は本当に望まないのでおやめください。)」と書かれていた。

箕輪厚介氏も堀元見氏に対して「わかってやってますよね?」とか「めっちゃちゃんと読んでる」とエンタメにする方法に関心しているように僕には見えた。

こうちゃんに関しては、そもそもこうちゃんがいいひとで頭もいいということもあるのだが、「それはそのとおりだな」と思う内容なのだ。

言い方は面白くする過程でひどい言い回しになっていたりするので、その部分には腹が立つ部分はあったと思うが、内容は芯を喰っているのだ。

堀元見氏曰く、内輪ネタでなるべく表に出ないように、本人に見えないように細心の注意を払っていたが、自分が有名になって内輪ネタがわからない層にまで届くようになってきてしまったとのことだ。

落合陽一視点

落合陽一氏は当初の事件に大変ご立腹でずっと根に持っていた。いつか来るかもしれない仕返しができるタイミングで仕返しをするぞと思っていたのだろう。天才を敵に回すととんでもないことになる。

こうちゃんの件を出したのは落合陽一氏がこの件に参戦してきたからだ。「この堀元ってヤツ、最悪だからみんなで軽蔑しようぜ」のところのツイートがそうだ。

その他にも少しでも堀元見氏とのことを茶化そうものなら「あなたは誹謗中傷が好きな反社会勢力ですか?」とツイートしたりしていた。(後日消されている)

落合陽一氏の絶対に許さないという確固たる意志を感じる。

こうなると天才は相手が一番困る方法をその天才の頭脳で考えるのだ。本人は覚悟の上で諸々の発言をしているわけだから、本人を攻撃しても意味がない。外界との接触を断とうと考えたわけだ。では、周りを攻撃されるのは嫌うだろうと。

この度のゆる言語学ラジオのテーマが「バズれ!」だったので、落合陽一氏も「このタイミングだ!」と思ったのだろう。堀元見氏の周りを質問の程をとったりなどし、攻撃(と言っていいと思う)をしたのだ。

積年の怨みを感じる。ただ、堀元見氏のコンテンツはこういう敵を生み出す可能性のあるものだ。これは覚悟が必要だろう。

【解決済みです】落合陽一さん僕のことは攻撃しても構いませんが、周囲のひとを攻撃するのをやめてください。

そして、この事件は最終的にこの記事に着地する。

この題が全てなのだが、「堀元見氏は自分は攻撃されても構わないが、周囲の人を攻撃するのはやめてください」と言っている。ただ、これは少し虫が良すぎるかなと僕は思うのだ。

堀元見氏が言うように、法治国家において私刑は良くないし、落合陽一氏のしたことは、反社会的とも取れる嫌がらせの行為だと思う。ただ、「炎上を厭わない相手」を相手するときにできる行動としては正直妥当だとも思うのだ。

おそらく、僕も「炎上を厭わない相手」や「無敵のひと(守るもののないひと)」を相手するときはこういった行動をするのではないかと思う。

今回でいうと「炎上を厭わない相手」に法的措置をとるとか、事件が大きくなることは「炎上を厭わない相手」とってポジティブなことだからだ。そして、謝るまでもありきに考えていて、謝罪すら自分が有名になるためのコンテンツでしかない。それでは当初の被害者側としては腹の虫が治らないだろう。

もちろんいい行動だとは思わない。しかし、実際堀元見氏にダメージを与えるという面では成功していると思う。(周囲の人を攻撃することを推奨する意味はない)

これに関しては堀元見氏も法的措置を辞さないとしていた。これは堀元見氏が取れる正しい対応だと思う。自分の周囲の人を守るためにはそうするしかない。裁判になったらお互い疲弊するだろうが、それはお互い覚悟の上だろう。

手打ち

しかし、ここで堀元見氏は心から謝罪するので手打ちにしてもらえないかとお願いした。
「僕は心から謝罪をします。落合さんを茶化す記事を書いてしまい、ご不快な思いをさせてしまい、たいへん申し訳ありませんでした。もしよろしければ、ご都合の良い場所まで謝罪に伺いますので、メールアドレス(ここでは伏せます)までご連絡ください。」
としている。
これは本当に謝罪してるのではないだろうか?僕がゆる言語学ラジオで見ている限り、堀元見氏は自分で書く文章に誇りを持っている。嘘や自分の気持ちを偽るようなことはしないと思う。

これらの記事を読み落合陽一氏の回答は、
「記事を最後まで拝見させていただきました.手打ちにしましょう.私はあなたが好きです.そのうちどこかで楽しく会えれば謝罪は必要ありません.…」

としてこの事件は収束を迎えた。

落合陽一氏、堀元見氏の両方好きな僕としては本当に良かった。落合陽一氏の言葉にファンである僕も救われた気持ちだ。

ただ、堀元見氏は教訓にしないといけない。今回相手が話のわかる文章の読める落合陽一氏だったから通じただけだ。そうでなければ、事務所総出でボコられるかもしれないし、自分の周囲の人に迷惑をかける可能性がある。それは理解しておくべきだろう。

おそらく堀元見氏の根本は変わらないであろう。それだけの矜持があって文章を書いていると思うし、また堀元見氏という人間に関わる人類(堀元さんの記事を読んでね)もそれを覚悟で関わって面白がっていると思う。

いちファンが願う今後

せっかくここまで事件が広がったのだから利用しない手はない。この事件を足がかりに社会的に意味のあるコンテンツを考えた。

落合陽一という天才の考えを堀元見が翻訳し、社会に届けるのだ!

落合陽一氏が天才であることはおそらく全ての人類が認めるところだろう。しかし、あまりにも時代を先んじていたり、考えが深淵に行き過ぎて一般人には理解し難いところがある。

ここで、簡略化の天才である堀元見氏の登場だ。落合陽一氏の未来像や考えていることを一般人にも理解できるレベルまで咀嚼し、一般人が嚥下できるところまで持ってくる翻訳をするのだ。

今回の発端のなった事件のように意識高い系の人たちだけが理解している風の発信ではなく、高卒ぐらいの知性があれば理解できるような内容にしたいのだ。

僕は落合陽一氏、堀元見氏の両方が好きだ。双方いいように解決して本当に良かったと思う。

そこでこの僕の考えた「落合陽一という天才の考えを堀元見が翻訳し、社会に届ける」というコンテンツどうでしょうか。今回の一連の事件を社会利益にまで昇華した素晴らしいコンテンツだと考えている。

最後に一言

最後に一連の事件の僕なりの批評をつけたいと思う。

二人の天才の始まりのエピソード0

お二人の今後の活躍をお祈り申し上げます。
ここから何か始まる気がしています。

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