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『牛乳配達 DIARY』を読む


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『牛乳配達DIARY』INA リイド社

 インタビューの仕事をしていて、よく時間があるときにする質問が3つある。そのうちのひとつが「最近ちょっとだけ嬉しかったことを教えてください」
 数日したら忘れてしまうような出来事がいいと念押しすると、たいていのひとが、しばらく考えこんでしまう。
 先日の翻訳家のひとの答えがユニークだった。庭の草刈りがうまくいったことだという。真意をたずねると、電動の草刈り機で、雑草を刈る。芝生のように一面がきれいになったときの爽快感がたまらない。話し口調があまりに楽しそうだったので、草刈り機について詳しく教えてもらった。
 大病を患い入院中、生い茂っているであろう雑草のことが気がかりで、退院したらと決め、通販で注文した優れもの。いまでは、雑草が伸びるのを心待にするくらいだという。


 さて。『牛乳配達DIARY』だ。この漫画、牛乳配達の若者の目に映るとある町を描いたもの。たとえば「夏」と題されたこんな話。配達を終えたらしい若者に、顔なじみらしい鼻をたらした子どもが「飲み物 ちょうだい!」と声をかける。
 きょうは余りものがないと答える主人公に、彼はペットボトルを指差し「これは?」とたずねる。
 水道水を詰めただけだから、水なら自分の家で飲めばと若者はこたえる。ごくふつうの口調で。しかし、水でいいからとペットボトルを手にした鼻たれ小僧は「うめー」とごくごく飲み「ウチ 水道止まってるもん」という。たったそれだけのやりとりなのだが、もう何回も何回も読み返している。

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 頁をめくるとローアングルで足元を映したコマがあり、俯瞰で青年と小僧と、もうひとり、少年の友達を交えた三人が無言(明るい笑い声は描きこまれている)のコマで終わる。この構成、リズムがすばらしい。
 現代の貧困を切り取っている、という解釈もあるだろうが、もちろんそれもあるだろうが、それに止まらない。ふわっとした「希望」を添えている。

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 この漫画本は、カバーとタイトルで買った(ブックデザインは鈴木成一デザイン室)。コミックエッセイのジャンルにはいるのだろうか。つい先ほどまで、じつは帯の文字が意味するところを勘違いしてしまっていた。そう。「平成30年」を、もっと昔だと思い込んでまっていた。もう元号が覚えられなくなっている。昭和が何年まであったのかも。それで西暦になおすと、これが2018年。2年前だ。それにしては「郷愁」を感じる。

 タイトルにあるように、牛乳配達員たちの日常を綴った短編連作漫画だ。体験記らしく、作中において主人公の青年は、いまは漫画家となり、現在進行形でこの作品を描いている頁が挿入されている。これが単行本デビュー作らしい。
 早速何頁読みはじめ、すでにジャケ買いしたことを後悔しかけた。えっ!? 
 冒頭のタッチとは異なる、ラフ描きを思わせる絵がつづく。うーん、まさか、この下書きの絵をずっと読まされるのか……。
 読了後に、読み返していると、第一話の冒頭「2017年、夏」と書き込んである。だから、読んではいるのに「時代」認識が頭から抜け落ちてしまっていたらしい。スマン!!
 でも、セミの声が聴こえる小さな公園の風景が「懐かしさ」を引き出したのだと思う。そばに電線のたれた大きな鉄塔があり、年季の入った滑り台などの遊具があり、ワンパクそうな小学生がかけっこをしている。そこで主人公は、ホームレスらしき男から、
「おたく 商売むいてないと思うよ」といわれる。
 その男に彼は、栄養ドリンクをもらう。
 男は、たまたま牛乳配達の営業員をかねる主人公がうちひしがれる原因となる場面を目撃していたのだろう。元気をつけなよ、という意味合いだったにちがいない。
 しかし、彼は瓶に口をつけたとたん、顔をゆがめる。
 ラベルを見たら「賞味期限」は二年以上も前だった。公園の水道水でうがいをしながら、こうつぶやく。
「まんがに出来ないかな……」
 考えただけでなく「その後」彼は漫画を描きはじめた。
 そして、買ったことを後悔させるラフにつづくという流れになる。つまり、こういうことだ。すでに漫画家となった青年が、きっかけとなる場面を描いた完成作品の「あとに」わざわざ、ヘタ下手な「はじめて」描こうとするラフを読者に見せていく。
 
 この第一話、じつはもう10回くらい読み返しているのだが、ようやく誤解していたことに気づいた。ホームレスらしき男性は、じつは「上半身裸のおばあちゃん」だった。ラフの絵に登場する、猛暑で、こんな老女の垂れた乳房など誰も見たくもないだろう、と彼ならぬ「彼女」は半裸の姿で外に出て涼んでいた。たまたま牛乳配達の若者がそこに出くわし、目をそらしながらドキマギしてしまう。で、「むいてない」発言となる。
 半裸の身体にタオルを首からさげた男に見えた、おばあちゃん。ラフのコマを目にしたとたん、読者であるわたしの前に何十年も昔に亡くなった祖母の姿が立ち現われた。そうなのだ。小学生の頃、夏の夕暮れ時になると、彼女はいつも垂れ下がった乳房を曝して、庭先に出ていた。タオルを肩から下げているのもそっくりだ。それがみっともなくおもえ、嫌でたまらなかった。思い出したくもないものを見てしまった。

 主人公に半裸の老婆は「おたく… 商売むいてないと思うよ」と断言したあと一度家の中に入り、栄養ドリンクをもってくる。
 ここで、冒頭のホームレスの男と思い込んでいたのが、じつは老婆だと認識するわけだが、それは読み返しも数回目のこと。このあとも数話ほど、短いラフ描きと思われる作品がつづくので「画力の乏しい作家」なのだと判断した。
 しかし、それが間違いだった。おそらく、作者はこのラフレベルから始めて、いまようやく本となる作品を描くにいたった過程を見せようとしていたにちがいない。

 老婆と若者のやりとりから離れたところに「居合わせただけ」の喧騒がある。子どもや、ばあちゃんの表情にも、重ねて見ていくと独特な、気持ちをひきつけるものがある。
 ほかの作品でいうと、「義務」と題された一編。

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 通学路の登校時間なのか下校時なのか、横断しょうとする集団の列が途切れず、ずっと停車している牛乳配達車の前で、学童のひとりが、「先行け」と指示をだす。
 怒ったかのような表情だ。
 最初は何をこの子は、そんなに不機嫌になっているのか。疑問に思ったが、何回か読み直すうち、子どもなりの「気恥ずかしさ」が不機嫌な表情にさせているのだとわかってきた。車を通そうとする「善行」は、ある種スタンドプレーにとられかねない行為だ。
 そう想像して、これは作者のリアルな体験なのだろうと思った。
 ここで描かれていたのがニコニコした優等生っぽい「スマイル顔」なら、何度も読み返すことはなかっただろうが、運転席にいる主人公の一瞬のイラダチが伝わる(もうしょうがねぇなぁという感じにちかい)。スマイルとイラダチなら、まとまりがいい。
 しかし、男の子は「怒っている」かのような表情。善行が無愛想にさせるというのは大人なら、しばしば見かけはすることだ。が、小学生のこのワンパクがねぇ。そう考えはじめると「スマイル」のコマだったらおそらく得られなかったヨロコビが生まれてくる。

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 ところで、主人公の青年はまわりから「イナくん」と呼ばれていて、牛乳配達とともに「営業」も任されている。
「営業」とは一軒一軒訪問し、頭を下げて「試供品」を受け取ってもらう仕事だ。
 いま、わたしが暮らすマンションは転居して4年になるが、日中部屋にいてもセールスマンは一度も現われない。各階二室。階段しかないマンションの四階のためだろうか。そもそも配達店そのものを見かけないが。
 以前、戸建の平屋を借りていたときや郊外のマンション住まいだったときには、試供品をさげた勧誘員がちょくちょくベルを鳴らした。平屋のときには、しばらく配達を頼んだこともあったが、郊外のときは一切断っていた。配達によって生活リズムを拘束されるようで疎ましく思えたからだ。
 ただ、一度、中学生くらいの少年が「家の手伝い」をしていると言い、ひとりでやって来たことがあった。利発で礼儀ただしい少年だった。あのとき断らなかったら、週一回の配達の際に、あの彼と会話することがあったのかもしれない。「ちょっとだけ嬉しい」出来事もその間にはあったのかもしれない。この漫画を読んでいて、そう思えてきた。
 とくにこの漫画には「大きなドラマ」があるわけではない。小さな町の中を行き来するだけの漫画だ。描かれているのは、ささやかすぎることばかりだ。けれども、だからこそ、ひとは本当にちょっとしたことで「きょう、あす」を生きていこうとする活力を、見ず知らずの他人からもらうことができる。その瞬間瞬間がこの漫画のコマの中にはある。

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 表情といえば、p84の揚げ物店の大将のこの顔。
 主人公にとっては、大将は配達先の「お客さん」であるが、この日、彼は揚げたての「カツサンド」をもらう。近い日、彼はお店のお客さんになっていくにちがいない。たわいない雑談後、大将が「お兄ちゃん 何か食べたいのある?」とたずねるコマがけっこう好きだ。わたしが青年なら、これだけで数日は幸せな気分でいられる。

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