見出し画像

「これは私の狭山闘争なんです」

『被差別部落に生まれて 石川一雄が語る狭山事件』(岩波書店)の著者、黒川みどりさんに聞きました【後編】

話すひと/黒川みどりさん
聞き手・構成🌖朝山実


石川一雄さんを招いての特別講義(2023年6月、立教大学にて。撮影/朝山実)
右端でマイクを持つ黒川さん。左から石川早智子さん。片岡明幸さん。背を向けているのが石川さん。
黒板に自作の短歌を書く石川さん。上の写真は話し終えてから消している。

(前編からつづく)

「狭山事件」とは、1963年5月、埼玉県狭山市で女子高生が下校途中に誘拐された。身代金要求があり、受け渡し場所に現れた犯人を警察が捕り逃した後、被害者は遺体となって発見。「吉展ちゃん事件」に続く失態に、当時の国家公安委員長が「生きた犯人」を捕まえるよう号令をかけた。警察は近隣の被差別部落を集中捜査し、石川一雄(当時24歳)を窃盗などで別件逮捕。否認を続けていた石川が一転「自白」。一審「死刑」判決。二審では「自白」を全面撤回、冤罪事件として争うものの「無期懲役」判決。最高裁の「上告却下」で刑確定後に再審請求を行い、94年仮出獄の後も第三次再審請求を行っている。

🌖さきほども言いましたが、「狭山事件」には不可思議なことが多すぎます。事件の展開として、雇用人だった男性や被害者の姉をはじめ相次ぐ自殺者、変死者がでる。さらに警察のずさんな張り込みで、身代金を取りに現れた「犯人」を捕り逃がしている。
その後に別件逮捕した石川さんへの巧妙な「自白」の誘導など、前半部分は禍々しいミステリーを読む印象がありました。取り調べに関わった刑事、警察官の「証拠」発見への関与が詳細に明かされていて、これが犯罪小説なら今年のベストワンにあげたいくらいです。
さらに何故冤罪が生まれたのか。自殺者がでた後、国家公安委員長が「生きた犯人」を捕まえるように号令をかけてしまったがため、現場は何が何でも「生きた犯人」を捕まえなくてはならなくなる。いまの政治状況ともつながるものを彷彿させるコワさも感じます。
しかも捜査にあたる警察官が「まさか?」というくらい、証拠品を素手で掴むというなど、思わずツッコミたくなるくらいの雑な捜査で「物証」を次々と「発見」する。その最たるものが、二度にわたり大量動員して家探しても出てこなかった被害者の「万年筆」を、わずか3人の家宅捜索ですぐに発見する。しかもその「万年筆」は真新しく、インクは被害者が日頃使っていた色とは異なっていた。
怖いと思うのは、警察はもう走りだした以上は石川さんを「犯人」に仕立てあげようとする。それを厭わない警察官たちの「正義」とは何だろうか、と。
そうした「コワさ」とは別に、この本の面白さ、あえて面白いと言いますが、狭山事件のことを書いたこれまでの本と異なるのは、石川さん「個人」の話に耳を傾け、個人史のささいなエピソード、石川さんが見てきたものを拾い上げられています。
たとえば刑務所の中では野球チームが作られていて、社会人野球の経験者が入ってくるというのでスカウト合戦が起きる。鳴り物入りで入ったその人は、ボールが軟式だったために勝手がちがい、活躍するのに二年ぐらいかかったという話を石川さんが客観的な目で話されている。
ほかにも石川一雄さんは次男で、長男のお兄さんだけが「白米」を食べ、自分たちは芋だったとか。きょうだいの中で兄だけ特別というのはウチもそういうところあったなぁとか。


やはり、「長男」が大事にされていたんですか?

🌖そうですね。とくに祖父が元気だった頃は、跡取りの長兄とほかの姉弟との扱いの差は座る場所からしてちがっていました。そうした「個人史」のこまかな聞き取りに紙幅を割かれているのは、意図されたものなんですよね。

そうした意図は、片岡(明幸)さんにありましたね。学生時代から狭山闘争に関わられ、長年、石川さんを支えてこられ、今回聞き手に加わっていただきました。
片岡さんが言うのは、「冤罪」の犠牲者となったけれども、つらいことばっかりではなくて、石川さんにもあたりまえの青春はあったんだよ、ということを知ってほしい。それで私もこのように書いたのは、石川一雄も本来「ふつうのひと」で、そのひとに84歳のいまにいたるも冤罪を背負わせているということを伝えたい。
ただ、まとめながら、鎌田慧さんの『狭山事件の真実』(岩波現代文庫)を読み返すと、人間的な面をかなり書き込んでいらっしゃるんですよね。だから、私がやることに意味があるんだろうかと思ったりもしました。

黒川みどり(くろかわ・みどり)さん
1958年三重県生まれ。早稲田大学第一文学部日本史学専攻卒。静岡大学教授。著書に『増補 近代部落史 明治から現代まで』(平凡社ライブラリー)、『被差別部落認識の歴史 異化と同化の闇』(岩波現代文庫)、『評伝 竹内好 その思想と生涯』(共著 有志舎)など。


🌖鎌田さんの本もよかったですが、そこには書かれていなかったことや、より詳しく書かれている点がたくさんあったように思います。

ありがとうございます。石川さんが被差別部落に生まれたということで、読み書きができず無知だったために、こういう目にあわされている。そこをしっかりと描くことで、いままでとは違うものは出せるんじゃないか。どうしても、これまで書かれてきたものは「狭山事件」「狭山闘争」に焦点が当てられていて、最初にアサヤマさんが言われたように石川さん「個人」を見ずに運動をしてきたところがあったのではないのか。
ここで人間「石川一雄」に焦点を当てることで、いかにひとりの人間の人権がないがしろにされてきたのか。事件の重大性を、いまの若い人たちにも、そこを打ち出すことによって、伝えられるのではないかと考えたんですね。

🌖いま現在、「狭山事件」について書かれた本で、書店で入手できるものは、この本以外には?


編集の吉田さん
この本の刊行にあわせて、鎌田さんの『狭山事件の真実』を岩波現代文庫で復刊したんですが。新刊書店で入手できるのはこの2冊だけでしょう。類書がないというのもあって、2冊ともよく売れています。
さきほどアサヤマさんが「自白を迫った警察官がなぜあのようにふるまえたのか」と問われていましたよね。言い換えると、そのふるまいの背景に、石川さんが「被差別部落出身者」だったという要素がどこまで働いていたのか、ということだと思うんです。
黒川さんの見立ては、被差別部落出身者という要素が決定的だった、というものです。それが、この本を書かれた理由であるとともに、他の冤罪事件とは異なるところだと思うんですね。

🌖奇妙というか、特殊なのは、一審の公判で弁護団は「冤罪」を主張する一方で、被告の石川さんは「自白」を維持しつづけた。背景には、取り調べにあたった刑事が、一家の大黒柱だった長兄への嫌疑と逮捕をちらつかせるとともに、窃盗などの別件全部合わせたら「20年以上の刑になる」のを自白してくれたら「10年で出してやる」「男の約束だ」と誘導。結局、兄の身代わりに「自白」してしまった。
まさかそんなバカな話と思うんですが、石川さんが弁護士に猜疑心をもち、逆に取り調べの警察官に信頼を寄せていった。そこには「関さん」という顔見知りの交番勤務の巡査が、毎日弁当の差し入れをするなどして、気持ちをとらえた役割が大きいんですよね。

そうなんです。なんで?と思うことも、石川さんの話を詳しく聞いていると、不思議ではない気がしてくるんですよね。
「袴田事件」については、朝日文庫になっている本を最近読んだんですけど、袴田さんは取り調べの際にすごい暴力を受けている。それに対して石川さんには、関源三さんという人を差し向けて情で落とそうとしたのかと考えますよね。

🌖別件の窃盗などにつついては早くに供述しながら、本件については否認しつづけていた石川さんが、関さんが取り調べの刑事の言うようにしなさいと説得することで「自白」に転じた。関さんは、抜擢されたということなんでしょうか?


そうですね。彼は、本来は交通係なんですよね。ただ、石川さんのいた野球チームの試合相手が(被差別部落のチームというので)なかなか見つからなかったときに対戦チームをあっせんしたり、グラウンドを用意したりして「ありがたい存在」として入りこんでいたんですよね。それは日露戦争後くらいから、部落改善政策を実施するにあたり交番を部落のそばに設置していくことが多かった。
そこには生活改善指導とともに治安目的もあって。たぶん、戦後の関さんもそういう役割を担っていたんでしょうね。

🌖ほるほど。関さんは、二審の法廷で尋問を受けた際に、差し入れはしたけれども、自分は交通係だから取り調べに関与した覚えがないと証言をしていますよね。どんなに問われても、自分は知らぬ存ぜぬを通した。

本にも書きましたが、石川さんも「関さんが生きていたら、どう思ってあんなことをしたのか、いまでも聞きたい」と話されています。そして石川さんは、今も関さんのことを慮る側面もあります。お気持ちがやさしいのだと思います。

🌖特異なのは、一審で「死刑」判決が出た直後も、石川さんはなぜか、まったく動揺していなかったという。拘置所の同房者から「おまえ、ダマされているよ」と言われても信じない。
理由は彼が弁護人という存在を理解しておらず、どうもインテリな人と合わなかったのか。警察は逆に「弁護人はウソつきだ」と弁護団への不信感を煽りながら、関さんをあてがい信じこませていった。一般の見方からすると、このあたりの心理は詳しく聞かないと不思議でしかたないところですが、黒川さんはその点を丁寧に紐解かれています。

石川さんが、インテリが苦手というのはそうだったんでしょうね。二審に入ってから共産党系の弁護団から、部落解放同盟系の弁護団にかわるんですけど。そのとき石川さんは、自分に寄り添ってくれるということに魅力を感じたんですよね。
その前の弁護士の中田さんはすごく有能なひとなんだけど、石川さんにとっては有能さよりも寄り添ってくれかどうかなんですね。仮釈放で出てきたときも、弁護士のひとがネクタイの結び方を教えてくれたとか、そういうことにものすごく感謝する。そういうところが当時の石川さんには大事なポイントなんですよね。もちろん、石川さんは、最初は弁護士が何をする人なのかもよくわかっていなかったというのが一番大きいのですが。

🌖なるほど。親身に耳を傾けてくれる人のほうがいいと。

いまの弁護団長の中山武敏さんが、彼は被差別部落出身者の弁護士ですが、彼が法廷で「水平社宣言」を叫んだということは当時から狭山闘争を支える人たちの共感を大いに呼び起こしたようで、『解放新聞』に報じされています。法律論よりも部落問題を理解したうえでの弁護というのは、運動にあっては大きかったと思います。

🌖あと、本として読んだときに、手の込んだ面白い構成をとられていますよね。石川一雄さんと妻の早智子さんのインタビューを柱としながら、一問一答的なインタビューの構成をとらず、多様な資料などを織り込んだ地の文章のなかに各々の「語り」を挿入され、その部分が生き生きしています。
すでにある佐木隆三さんの『ドキュメント狭山事件』は小説ふうで、鎌田慧さんの『狭山事件の真実』はノンフィクションの王道であるに対して、事件もののノンフィクションとしては、黒川さんはかなり変則スタイルで、新鮮さを感じました。

これは私の直球で。書くと決めてから、スタイルを考えるなんてそんな暇はなかったですから。逆にこれしか思いつかなかったんですよね。

手法として練りに練った末のというわけでは、ない?

歴史学だと自然にこういうスタイルになるのかもしれません。時間軸、時系列でたどるというふうにしないと私は気持ち悪い。裏付けが必要なものは、その都度探して、というのも歴史学研究者の習い性なんでしょうね。

🌖なかで印象に残ったエピソードのひとつが、死刑判決が出た後、移送された東京拘置所で若い看守さんから、石川さんが初めて文字を教わるところ。ふたりの交流。看守さんが立場上、妻の名前を借りて『広辞苑』や切手などの差し入れをしていたという話が出てきますよね。発覚すれば職務を逸脱していると言われかねないのに。そこまでする魅力を石川さんがもっていたというのがわかります。

そうなんですよね。純粋で誠実なお人柄の魅力ですね。

🌖そういうリアルな断片から、読み物としても面白く読めました。

そう読んでいただけたとしたら私としては本望というか。石川さんはすごくまじめな人なんだけど、その真面目さゆえにユーモラスでもあるんですよね。格好つけない人だし。わたしの取材のときも、いつもご夫妻で早くから来られて待ってくださっているんですよね。集会所や公民館でやっていたんですけど。10数回やりました。インタビューじたいは、話題がいったりきたりだったので、時系列に並べ直すというのはしました。

🌖その文字起こしは誰が?

それは自分で。聞きながらその場でパソコンを打つときもありました。わりと打つのは速いかなあ。

🌖それにしても本になるまでが速いですね。

もうちょっと裁判記録も読みこみ、運動をやってこられた人に話を聞いてみたいという思いもあったんですが、11月の上旬ぐらいの何回目かの聞き取りのときに、片岡さんから「速ければ5月に再審請求の結果が出てくるかも」と言われ、狭山事件60年に加えてそれがあるなら、そこまでには間に合わせたいというのがあって。1月6日までに本文の原稿を入れるということでやりました。

【一回につき5、6時間のインタビューを10回ほど重ねたということも驚きだったが、すべての文字起こしを黒川さん自身が行い、尚且つ、濃度の高い原稿を3か月くらいの短期間でまとめたというのはライターの仕事をしている身からしても驚きだった。
それに対して編集の吉田浩一さんからこんな捕捉がありました。
「これは慎重にやるべきテーマですが、迅速に出来たのは、黒川さんが部落問題の第一人者というのと、片岡さんが加わってくださったというのが大きいと思います。こちらですべての裏を取らないといけないというのではなくて、ここは任せられるというのが。
それで先月、記者会見があったときに黒川さんが話されていたことで印象に残っている言葉がありました。
これまで狭山闘争に関われず、遠巻きにしていた感じできたけれども、知れば知るほどこれは自分がかかわるべき問題だと思った。この本を書くというのは、私なりの狭山闘争だ、と」

このインタビューは岩波書店の会議室をお借りして行った。とくに「前編」で黒川さんの子供時代の頃の体験を時間をさいて聞いたのは、映画『私のはなし 部落のはなし』に登場する黒板を使った「語り」の独特さはどこから生まれてくるものなのか。根っこの一端を探りたいと思ったからだった。】


最後までお読みいただき、ありがとうございます。 爪楊枝をくわえ大竹まことのラジオを聴いている自営ライターです🐧 投げ銭、ご褒美の本代にあてさせていただきます。