見出し画像

『芝浦屠場千夜一夜』の山脇史子さんに聞きました(インタビュー田原町01)

「そうそう。ケガの多い職場なだけに、いつもみんな何かあったら飛びだせるような身体の態勢が出来ていて、すごく安心感がありました。あの場所がもっている大きな歴史があって、闘っていた歴史もあるし。だから魅力も大きいんですよね。それこそあの場にいることの魅力は、ライターの仕事よりも面白かったりしたんですよね」(山脇史子さん)


インタビュー田原町01
30年を経てかつて働いた居場所『芝浦屠場千夜一夜』を書かれた山脇史子さんに聞きました。


浅草・田原町のReadin’Writin’ BOOK STOREでほぼ月イチ開催してきた「インタビュー田原町」も来る4/27㈯の『死なれちゃったあとで』(中央公論新社)の前田隆弘さんで9回め(番外編を含めると10回)。
これを機に昨年6月10日㈯に行った第1回の「インタビュー田原町01」、
『芝浦屠場千夜一夜』(青月社)を書かれた山脇史子さんの回の記録をまとめました。
対談ではなく、インタビュー。それも客席を設けオープンな場で行う。この日までお互い会ったことはない、ぶっつけ本番(雑誌などで行ってきた著者インタビューはいつもそうなんですが)という初めてづくしの試みでした。
会場参加の15人の半分は本書を未読ということもあり、それを意識しながら、後半には質疑の時間もとり、現在の芝浦の食肉工場で働いている青年が来られていたのでその彼に話を聞いたりもしました。
当初は一回キリのはずだったのが、Readin’Writin’ BOOK STOREの落合さんから「月刊でやりませんか?」と声をかけていただき、いまや絶滅危惧種となりつつある「ノンフィクションの書き手にきく」シリーズとなりました。

店主自ら可動棚を移動させ会場設営中
Readin’Writin’ BOOK STOREにて
(撮影©️朝山実)

『芝浦屠場千夜一夜』
この本の面白さは、著者自身が1991年から98年までの7年間、東京・品川区にある食肉解体工場で働きながら体験した屠場の仕事とそこで働く人たちの様子が詳しく書かれていることです。
差別とたたかう労働組合の「確認会」(人によっては糾弾会といったりもする)の活動も、ライターらしく客観視点で丁寧にレポートされていて、30年も昔の出来事なのについ数日前のことのように想起できる。とくに会話がいきいきしていることに驚かされました。そうか、30年かけてこういうノンフィクションを書くことが人によってはできるのだと。


話し手/山脇史子さん
聞き手(構成)🌙朝山実


🌙まず出だし、屠場で働くことになる初日に山脇さんは、スカートとパンプスのいでたちで、現場のリーダーに呆れられるんですね。

山脇さん(以下略) あの日は、見るからにヤワな女が来たというので驚いたとあとから聞きました。無理だと言われたんですよね。ただ、組合のほうに事前に話は通っていて、受け入れるということにはなっていたんだそうですが、見たらとても働けるとは思えないのが来たから断ろうとしたんだそうです。

🌙その日は面接的な意味合いもあったんでしょうね。この職場で働けるかどうか。どうして、パンプスにスカートで行かれたんですか?

そういう場所なんだからジーパンにスニーカーで行くというのは、決めつけているようでおかしいんじゃないか? そう考えて、いつもの仕事する恰好で行ったんですよね。

🌙それはライターとして取材するときのふだんどおりの服装であるにしても、読者としてはなんでこの恰好なの?と、現場のリーダーの伊沢さんも同じ感想をもったんだと思いました。

すみません。でも、私はそう思わなかったものですから。

🌙それで、職場には女子トイレがなかった。当時、女性が働くということをまったく想定されていなかったということ?

はい。それはわかっていました。牛と豚、それぞれ一日ずつ解体するのをとても丁寧に見学させていただいたので、状況は理解していました。牛の内臓を扱うところには、すこしだけ女性はいたんですけど。それは経営者の家族で、当時は食肉に解体するほうは女性はゼロ。ただ、できないこともないだろうと。

🌙だけども、スカートは。

それは着替えをするのだから。みんな、通勤してきて着替えているんですね。その点、ユニホームのある工場と同じだと思ったんですよ。

🌙ああ、なるほど。

だから働きはじめてからもずっと同じ格好で通っていました。いちおう着替える場所はあったので。ただ、女性は私一人で、部屋に鍵をかけてパパパッと着替えていました。だから服装については何も言われたことはなかったです。

🌙なるほど。この本の主人公的な存在となるのが冒頭に出てくる、職人っぽい棟梁みたいなひとで。

伊沢さんですね。あの方は接してみると、何事にもとても柔軟なひとで。やってみて判断しようという。最初からダメだとは言わないひとなんですよね。

🌙では、山脇さんではない人が、「働きたい」と申し出たとしても可能性はあったかもしれない?

あると思います。ただ、東京都の場合は都の職員なので、働きたいと言っても都の試験を受けてくださいということになるんですが。私が働かせてもらっていた内臓業者のところは、それとは別に経営者が一人でやっていて、そのひとの判断だったんですよね。

🌙解体とそこから出る内臓を扱うのとでは、職場の関係、雇用形態が違っていたんですね。

そうですね。ただ、私が働かせもらっていたそのひとは組合発足に関わりもした親分的な存在で、そのひとがいいと言えば通るという。

🌙伊沢さんは、本を読んでいくとすごく魅力的なひとなんですね。ぶっきらぼうなんだけど、頼りがいがある。ドラマ的な場面もあったりして、その伊沢さんとの会話が小説を読むように面白い。
それで、細かいことなんですが、登場する人たちについて、ほぼ敬称をつけずに書かれている中で、「伊沢さん」だけ「さん」がついている。ノンフィクション作品だと、敬称をつけるか省くか統一しませんかと言われそうに思ったんですけど。ちょうど今日、担当編集者のKさんが来られているので、お聞きしたいんですが。

Kさん そこは言わなかったんですね。なぜ? さきほど小説的と言っていただきましたが、そういう味わいを大切にしたいと思いました。

🌙これは持ち込みの原稿だったんですよね。そうすると、編集的な直しはあまり入っていない?

Kさん  そうですね。ほぼ。

山脇さん  アドバイスということでいうと、最後、伊沢さんが亡くなったところで終えていたのを、その後のことも書いてくださいと言われ、2022年の芝浦を新たに見に行き、最後の章を書いたのは編集の方のアドバイスでした。

Kさん それは、そもそも20数年前のところで最初の原稿が終わってしまっていたので。屠場の様子も今と当時では違っているだろう。今を知りたいというと、喜んで行かれたんですよね。

山脇さん  そうでしたね。嬉しくて。センタービルは私が行かなくなってからすぐに建て替えられたそうなんですが、それ以外はそんなには変わってないように思いました。ただ、昔とちがうのは外から中が見えないようになってはいるんですね。シャッターがついたりして。コロナのこともあって、入れたところが限られていたというのもあるんですけど。

🌙山脇さんはその後、職場を離れてから20年以上にはなるんですよね? そもそも昔の職場のことを書こうとされたのはどうしてだったんですか?

それは、とてもはっきりした理由があったんです。ちょっと整理してきたので、ノートを見ますね。
(しばらくノートに目を落としている)


【ひとは記憶の容れ物だ。

「いちばん読んでほしかったひとに、面白くない。こんなんじゃ売れないな、とつまらなそうな顔で突き返されてしまったんですよね」】


🌙(
ノートから目線をあげたのを見て)ああそうそう。お会いしたら、山脇さんにぜったいこれは聞こうと思っていたのは、本の中でメモは当時とっていなかったと書かれていて。それにしては、すごく細部がリアルなんですね。よく覚えているなあと驚きました。

メモは書こうとはしたんです。毎日、現場に行って、きょうは何をしたというのを。ただ、文章力がなさすぎて、書けなかったんです。何月何日に芝浦に行ったというのは書けても、あの現場のことを言葉に出来ないんですよ。
言葉は耳に入っているんです。ふだんの取材記事なら簡単にまとめることはできたんですけど、あそこは目に見えるものが地球みたいに大きくて。見たもの全部文字にするというのはできないんですよ。
音も、仕事の声とか作業する音とかが混じって。その中から何をメモしていいのかわからなかった。正確にいうと、だからメモすら書けなかったんです。
ただ、その後、何か書けないだろうかというので、断片は書いたりしていたんですね。だけども伊沢さんが亡くなられたあと、かなり早くにあきらめてしまったんです。

🌙それはどうして?  もともとは取材して屠場のことを書こうというのはあったんですよね。

ええ。何らかの形になるものは書こうというので、最初に「私はライターです」というのは言っていましたし。ただ、書けないと思うことや、もう書かなくともいいと思ったりしていて。あるとき、「ひとは記憶の容れ物」だと思うことがあったんです。
自分にとって大切なひとがなくなるというのは、そのひとが記憶していたことも消えていくものなんだと実感することがあって。それは伊沢さんが「この目で見て、頭に刻んだものは死ぬまで忘れないものだ」と口癖みたいにして言っていたんですね。それだけのものを俺は見てきたんだ、という思いがあったんでしょうね。そう言っていた伊沢さんが亡くなることで、言葉も記憶もなくなってしまうんだ。
同じ頃に父が死んだというのもあって。そのひとたちがもっていたものも、消えたんだというのがあって。ただ、ほんの一部かもしれないけれど、私はそのひとたちの言葉を聞き、記憶を受け継いだんだというのもあるんです。言い方は傲慢かもしれないですけど。
それで、伊沢さんがいた芝浦をこの私だって見たんだぞというのもあって。
もちろん立場はちがうし、生きてきた背景も異なるんだけれども。見たことを伝える意味はあると思ったんです。伊沢さんが「河岸の石松があるのに、屠場の石松がないのは何故だ」といっていたのも、私に書けと言ってくださっていたんだと思うことにしたんです。面白いもの、ひとに読んでもらえるものを書けよと。
そうそう。まだ伊沢さんが生きておられたときに、体を悪くして入院した時期、それまで伊沢さんに聞いたことを一生懸命書いて見せたことがあったんです。そうしたら、「面白くない。こんなんじゃ売れないな」と、つまらなそうな顔で突き返されてしまったんですよね(笑)

🌙その原稿は?

それは伊沢さんから聞いた話をそのまま書いたようなものだったと思います。

🌙なるほど。その当時のものは見てないので何とも言えないですが、この本のよさは会話でその場を立体化させている。伊沢さんが話したままの聞き書きの再現ではない。屠場という職場を深く理解していないと書けないのだろうとも思いました。尚且つ、書き手がフィールドの中にいる、私的なノンフィクションでもある。おそらく伊沢さんがつまらないと言ったのは、まだそういう立体的な構成にまではなっていなかったからかなあと。

そうですね。

🌙面白いのは、職場の描写のリアルさを褒める人は多いと思うんですけど、それよりも伊沢さんの人となりが分かるちょっとした会話なんですね。たとえば食堂に彼が誘ったところ。

ああ。そこは私もよく覚えていて、あの日、伊沢さんは天ぷらそばを食べようと言っていたんですよね。だけど私は天ぷらは食べたくないから、「私はざるそばの方がいいです」と言ったら、なんともつまらなそうな顔をして、ざるそばを二つ頼んだんですね。天ぷらそばとざるそばを頼めばいいのに。なんで?と。それが印象に残ったんですよね。

🌙小説でもそうだと思うんですけど、ひとを書くときに大切なことはささいなディテールに人格がつまっていて、それを書けているかどうかだと思うんですね。本のテーマからすると瑣末だけど、「昭和な男」だなあというのを読者が感じ取れるというのが大事で。断片の蓄積が伊沢さんの姿になっていくんですけど。ほかにも、ワンシーンしか出てこないひとの描写も印象的なんですね。唐突に、「おれ、解放運動やっているん」だと口にするひとがいましたよね。

「おれは右翼だけど、解放運動もしている」と言うひとですよね。

🌙人との距離の取り方が下手そうなひとで、職場でちょっと手助けしたら、そのお礼を言おうとしたんでしょうね。恐そうな印象だったけど、という。ほんのすこしの描写シーンですけど、そこが印象に残りました。ちょっと話してもらえますか、そのひとのこと。

はい。私が作業場から外に出たときに、小型トラックが止まっていて「フワ」という座布団のような形をした牛の肺を、以前は食べていたものだけど美味しくないというので脂にする加工にまわす。それを集めてトラックに積みこんでいたんです。
そのあとホースで水を流してトラックに積んだ荷物のゴミをとっていたら、そのフワがトラックのまわりになだれ落ちて、ひとつひとつ拾って積み直していたんですね。私はたまたま目にして拾うのを手伝っただけなんですけど。
翌日、仕事の開始前の時間に、そのひとが私のところにやって来て、背の大きいお酒の臭いのするひとだったんですけど、「おれは右翼だけど、解放運動もしている」ってつっかえ、つっかえ。「おれのまわりには韓国や朝鮮の人もいるし、黒人もいる。手や足の無いひともいる。みんな生きている」それだけ言って、くるっといなくなるんですよね。
それを伊沢さんはすこし離れたところから見ていたようで、「何か言われたのか?」というので、彼が言ったことを伝えたら、「あんた、昨日あいつが荷物を積むのを手伝ってやったんだって。そんなことされたのは初めてでびっくりしたと、さっき俺のところに来て言ってった」というんです。そのあと彼は関西に行ったそうで、それだけの話なんですけど。
あと、もうひとつ。伊沢さんが「あいつはあんたを自分と似たような境遇だろうと思ったんだろうなあ。だから、あんたを励ましたつもりなんだよ」と言ったんです。

🌙いま話してもらったところ、文章で読むととてもいいんですよね。まあ、いま話されただけのことなんだけど。行間を読むとよくいわれますけど、書かれている以上の人のまじわりを感じました。小説とかにする場合、「ここ、もうすこし書き足してください」と編集者が言いかねないところを、足りないままにしているのが逆に想像を誘い、いいなあと思いました。

(山脇さんがノートにメモをとっている)

🌙あと、伊沢さんが、山脇さんが住んでいるところまでわざわざ訪ねてくるということがあって。芝浦からは遠方になるんだけど。その日の出来事が、これはもう小説っぽいというか。

その日は私が、遊びに来てくださいと言ったんですね。

🌙それで、やっては来たものの間が持たないものだから「カラオケに行こう」と、しきりに誘うんですね、伊沢さんが。

だけど行かずに、同居人(「夏目くん」として作中に登場する)が「きょうはウチで飲みましょう」と言って、行かなかったんですよね。

🌙間が持たないで困っているのが伝わってきました。職場ではテキパキと差配しているひとなのに、というのが見えて面白いんですね。どこか高倉健のようなひとが、田中邦衛になってしまっているというか。

そうなんです。本当に困っていたんですよね。


【「書くということは死んだ人と語り合うことでもあるんですよね」

昨日の日記を書く延長で毎日、
30年前の出来事や会話を書きだした】

ここから先は

12,713字 / 1画像

¥ 400

この記事が参加している募集

仕事について話そう

最後までお読みいただき、ありがとうございます。 爪楊枝をくわえ大竹まことのラジオを聴いている自営ライターです🐧 投げ銭、ご褒美の本代にあてさせていただきます。