「N号棟」を見てきました。

先日、「N号棟」ってホラー映画を見てきた。人間が怖い系ホラーだった。

「考察型ホラー」として宣伝されているように、直接描写されていなくとも綿密な設定があるなと感じられる。自分の解釈も記しておく。ネタバレしながらというか見てないと理解できないような書き方をしてるので注意ね。

一連の事件は団地住民たちの宗教(のようなもの)であると解釈。死を賛美し、順番に訪れる死を全員で演出する儀式を行う宗教であると。

住民が順番に死んでしまえば教団(あえてこう表現しよう)自体の存続ができなくなってしまうが、そのための噂である。「幽霊団地」だと噂を流し、肝試しに訪れた人々を懐柔、あるいは洗脳して新たな住民として迎え入れる、そうして組織を維持していたのではないか。人の悩みや弱みにつけ込んでそこを受け入れ、肯定してあげれば人はすぐに落ちると聞いたことがある。そうした洗脳術を使っていたのだろう(作中では真帆がそうだ)。

ポルターガイスト現象もすべて住民たちによる自演(儀式の一環)であり(これは自分の拡大解釈になってしまうが、住民たちは自分の意思でなく、霊の仕業で操られているなどと思い込まされているのだろう)、その儀式の最中の飛び降りでの死こそ賛美の対象であったのだろう。中盤で史織が口に入れようとして吐いた液体は血であると考えられる。血、抜いてたしね。儀式によって死んだ死者の血を取り込むことで高次の存在に近づくとか、そういったところだろうか。もしかしたら血の摂取量が死の条件だったりするかもしれない。

史織が洗脳にかからず教団を壊せたのは、ひとえにその自己中心的な生活故だろう。別れた男を頻繁に部屋に招く、友達に驚かれるほどに予定表が埋まっている、時間を使って「リプ返」をするなど、自己中心的で承認欲求の高い性格が序盤から強調されている。「あの自己中女」って台詞でも言われてたしね。それに加えて物怖じしない大胆な性格でもあり、正義感も強い。全員で死を賛美する儀式を行う、教団とは根本的に合わない人間だと言えよう。終盤にはその自分本位な性格を解放し、友達2人と住民たちを刺し殺し、母親も見限って全てのしがらみから解放された幸せを手に入れる。最後のカットで史織の部屋からカメラが引いてゆき、青空と団地の全体像を映すのは解放の情景描写であろう。それまで団地の壁が映るカットでは画面全体が壁で覆われており、閉塞感を感じさせるため、対比でより解放感が表現されている。

三谷家の父親だけ塗りつぶされた写真、黒と赤で文字の書かれた紙、教授の失踪など、ここでは補いきれていないところもあるが、自分の考察としてこんなところだ。ぼくは「N号棟」という作品を「ミッドサマー」のようなカルト宗教ものとして見た。ほかの人の感想や考察も読んでみたくなる。

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