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大阪は美味しい匂いがした

夕方の太陽の光が目を刺す強さを失い、緩やかに暗くなっていく時間。
京都駅に着くと車窓から寺が見えて少し興奮する。新幹線のスピードで、街並みはあっという間に見えなくなって、あれは本当だったのか?と思う。野々山を眺めているとすぐにまた街並みが目の前に現れて、新大阪に着く。ビルビルしい。
傘をさしている人を見て「え?!雨?!」と新鮮に驚く。天気予報を見ない癖は直らない。
新大阪のホームに降り立って、エレベーターを下るとなんだかいい匂いがした。ほんのり食欲がそそられる、これはソースと粉物の匂いだろうか、正体はよくわからなかった。
あの手この手で目を引かせてくるお土産やさんを目の端に気にしながらも、地下鉄を目指して人の流れに乗る。歩きながら中身の透けたクリアバックを持った移動中のお土産やさんの店員さんを見た。私もデパートで店員として働いていたころ、あの無実の証明のようなバックを持たされていたな、と思った。

今回の旅の目的は「スタンダードブックストア」という天王寺にある本屋さんに行き、そこのギャラリーで開催されている橋本貴雄さんの写真集「風をこぐ」の写真展を見ることだ。
「風をこぐ」は車に轢かれて後ろ足に障害を持った元野良犬のフウと、橋本さんとの12年間の生活の記録だ。動物番組に差し込まれる動物の代弁テロップのような人間側の願望が混じった言葉はそこになく、写真に写されたフウの姿からフラットにそこにある生活を見つめる視線を感じて、惹かれた。オンラインストアで購入しようと思ったところ、写真展でプリントを見れることを知り、さらにはサイン本を置いているというので、ミーハーな私はそれを手に入れることにしたのだった。

本屋は天王寺だが、ホテルは心斎橋のひとつ隣の長堀橋駅から徒歩1分の場所にある。新大阪から長堀橋までは地下鉄で20分ほど。天王寺と長堀橋は10分ほどで着くらしい。さて今は17時。現在、新大阪におり、本屋さんは19時まで。本当は明日ゆっくり行こうと思っていたけど、これは今日行けるのでは、と考える。
ひとまずチェックインをして荷物から解放されたい。長堀橋に向かおうと、御堂筋線の赤色の看板を追いかけてホームに上がる。するとちょうど目の前に天王寺行きの電車が止まっており、一瞬立ち止まったが、思わず乗りこむ。
背後でドアが閉まり、私はチェックインの前に荷物と共に本屋へ行くこととした。
こういう一人旅ならではのことをしたかったんだと、ほんの少しの予定外の行動に心を浮つかせたが、荷物を背負っていることを憂鬱にも思う。

入口側の席に、声の大きな若いカップルがいる。統計は取っていないが、大阪は派手な髪色をした人が多い気がする。カップルのうちの男の方が金髪いや白髪に近い色をしていた。新大阪についてから、10分も経っていないのに、ピンク、金髪、そしてこの人の白髪ともう3人くらいの明る髪を見た。彼らは街に馴染んでいる。なんだか大阪に来たなと思う。
YUKIの「2人のストーリー」を聞きたくなって、イヤホンを取り出す。ワイヤレスイヤホンが流行っている近頃、ゴチャグルに絡まったイヤホンを人前で解いているとスマートじゃない感じで恥ずかしい気持ちになる。最近CMでアイナ・ジ・エンドがカバーしている「大人になって」を聴きたくなる。YUKIがライブで歌っている動画を見ていると天王寺に着いた。前に前にのびていく声と私には一生書けない歌詞を聞いて心がまたひたひたになる。

改札手前で動画が終わり、Googleマップを開く。心が切り替わる。
駅の中で方角がよくわからなくなり、天王寺に来るのは明日にすればよかったと気弱になった。ミオというおしゃれファッションビルでトイレ休憩を挟み、蓬萊軒の芳しい香りを嗅ぎ、駅前の人の多い通りを歩いていると一足全面の靴底が落ちていたので怯えた。胸の前で小さく三拍子の指揮をしているスーツ姿のサラリーマンや、やたらとボリューミーでエレガントなコートを着ている巻き髪のマダムとゆるキャラが全面にプリントされたリュックサックにリラックマのきいろいとりのぬいぐるみの定期入れをリュックにつけたおじさんの邂逅の瞬間、「ピアノ練習室」の看板などが私の気になるセンサーに触れた。
そういえば財布に1,000円しかないことを思い出したので、駅前のファミマでお金をおろす。13,000円。ゆうちょATMがないタイプのファミマだったので、しっかりと手数料をとられた。傘を買おうか迷ったが、今は曇りだし明日は晴れるみたいなので、買わないと決める。

駅からのアーケードを歩き始める。アーケードには多様な店が並び、四角さだけが揃っている。左手に見える駅前の街並みに目を逸らす。
最近、びっくりドンキーの看板にびっくりマークが乗っていることを知り、その不安定な見た目に、これは落ちないのだろうかと勝手に心配している。天王寺のびっくりドンキーのびっくりマークも絶妙なバランスで看板の上に乗っかっていた。

一本道をとつとつと行くと、スタンダードブックストアに着いた。
1階はカフェで2階が本屋とギャラリーになっている。店に入ると真ん中に螺旋階段があり、ドキドキしながらヒヤリとしたその手すりをつかむ。
登り切った人を迎える本の表紙たちを見て、好きなものが見つかるだろうという確信に似た好意を感じた。

まずは目当ての写真展を見る。写真展はこじんまりとしていたが、丁寧で柔らかい雰囲気を持った空間だった。フウの目は記念写真のような特別の瞬間ではなくて、日常の目をしていて、それが美しいと思った。生きているものは、生きていることだけで美しいと思う。生きているものはみんな自分の体にいらないものを捨てて捨てて、排出して排出して、淀みを作らないように生きていて、それは業が深いことだなと思うけれど、逃げるように生き続けようとする命は光っていて巡っていて美しい。

サイン本をしっかりと胸に確保して、お店を2周、3周と回った。
途中、店員さんとお客さんが談笑する声が聞こえて、こんな素敵本屋で店員さんにおすすめの本なんて聞けたらどんなにかいいだろう、と妄想した。
会計をしようとレジに向かう。いざ店員さんを目の前にすると特に言葉は出てこず、店員さんも必要最低限の会話のみを私に投げかけ、大阪までやってきて写真集を手にした充足感や、思いがけない本に出会えた喜びもなんでもないことのように思えて少し寂しくなる。私も旅先で知らない人と仲良くなってみたい。
4冊ほど本を買ったら、お会計が10,000円を越えたので少しおののく。
さっき13,000円下ろしたばかりなのに。
来週行く美容院はカットモデルで無料にしてもらえたし、最近旅行に全然行ってなかったし、世の中の人が春服2、3着買ったらこれくらいはするだろうし、と動悸を抑え、買い物を後悔しないために自分に色々な言葉で言い聞かせた。

19時前に店を出ると小雨が降っていた。本を濡らさないように紙袋を胸元に抱えてアーケードの切れ目切れ目をやり過ごした。その自分の動作に、大事なものを持っているんだという気持ちになる。地下鉄の入口を見つけ、これ幸いと降りていく。地下は鉄板焼き、立ち飲み屋などが立ち並ぶ飲食街で、お店に列をつく人と、香ばしい良い香りとで溢れていたが、10,000円を使ってしまったショックからまだ抜けられていない私はすごすごと脇を通り過ぎ、夕食はワンコインくらいでどうにかしなくてはと考えていた。

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