見出し画像

旅の終わりに


終わりは駆け足に。
新幹線でのんびりすることもなく、鶏カツ弁当をかっこんで一息ついたと思ったら、もう駅に着いてしまった。乗り換えもスムーズに進み、早歩きで構内を歩いていくと発車2分前のバスが停車しているというオンタイム。
空いている通路側の席を見つけて安堵し、深く腰かけて荷物を膝の上に大集合させる。「帰ってきた」という感傷に浸るには短くてささやかな旅だったので、いつもの帰り道のような気分で狭いバスの中で正気を保とうとする。

奥側に座っていた隣の席のおじさんがバスを降り、隣人の降りますセンサーに気をはらなくて良いと安心して眠り始めると、家の近くのバス停に着いた。
海外ならバスで眠ってしまったら全財産の一つや二つなくなってしまったっておかしくないだろうと思い、異国の地で一文なしになった自分を想像する。私は助けてもらうのに適切な悲鳴や泣き顔をできるだろうか、曖昧な表情で事態が掌握できずヘラヘラしてしまうかもしれない。数時間後に泣き喚きたくなる感情が去来して、その時には事情を知っている人はもう周りにいなくて、途方に暮れてしまう自分を結構はっきりと想像できた。

バス停から家までの道、前を歩くおじさんが持つスーパーの白いビニール袋からうっすら透けている、折り重なった四角と丸の正体について、(アイスクリームかな)と思いながら歩いていると家の近くの曲がり角に来ていた。
角を曲がると近所の猫がアスファルトで香箱座りをしていた。もう少し近づけば逃げていきそうなちりっとした緊張感はありながら、お互い無関心でもあり、微妙な時間が流れる。

猫は黒猫で、西陽を全身に浴びて、美しいオレンジをその毛並みに映していた。本人は知らないだろうが、まろやかに燃えている炭火のような色あいは、生きていると思わせる強さ、生き物の持つ美しさがあった。冬に路上で見かけた姿から、少しだけ緩んだ身体のラインを見て、すっかり日が伸びた夕刻に、春だなあとふわふわした気持ちを浮かべる。

旅はいつ終わるのか、わが家の鍵を開けた時だろうか。
日常からはみ出した雫が、どこからともなく帰ってきて、もう一度日常の中に溶けていく。
玄関を開ける鍵の音と、自分の「ただいま」を聞いた。フローリングの冷たさに気を取られながら少し重たいコートを脱いだ時、するりと、私の旅が終わった気がした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?