先駆けの陥穽

 今年の大河ドラマの主人公が渋沢栄一で、まあこの人がいなければ日本の経済はもっと違った形、語弊を恐れずに言えばここまで成長できなかったのではないか、というほど、日本経済のインフラを作った人物として有名ですね。

 最新回は禁門の変と天狗党の乱で、尊王攘夷が消え去る直前、まさに蝋燭の最後のような燃え上がり方をしているわけです。

 その尊王攘夷の先駆けであった水戸と、後発的存在である長州は、明治維新後、全く明暗を分けてしまう事になります。

 例えば、初代内閣総理大臣は伊藤博文(山崎育三郎さんが演じておられました)、その隣で英語をしゃべっていた井上門多(後の馨、福士誠治さんが演じておられました)は外務大臣、その後、長州は前総理の安倍さんまで八人ほど輩出してます。

 一方の水戸はどうか。というと、内閣総理大臣は実は一人も出ていません。要職、というと官房長官や農林水産大臣が最上位、といったくらいです。モチノロンで、明治維新後に栄達した人は数える(それこそ片手で足りるほど)だったと思います。

 新選組のドラマで芹沢鴨(これも水戸出身)役を演じられた佐藤浩市さんのセリフにこういうのがあります。

「長州の攘夷なんざ、俺達の二番煎じだ」(要約)

 確かにその通りで、最初に攘夷を叫んだのは誰であろう水戸烈公である斉昭(一橋慶喜@草彅剛さんのお父さん、竹中直人さん)なんですが、それがなぜ長州に取って代わられたのか。

 色々理由はあります。例えば、水戸の人材が少なく、長州は人材が育っていた、はたまた、水戸は天狗党と諸生党との内ゲバで時流に乗り遅れた、とか。

 それも一理ありますが、個人的に思うのは、平岡円四郎(堤真一さん)の死、というものが大きかったのではないか、と。大河の影響で言っているのではなく、実際に平岡円四郎という人物は、それほどの人物であったわけです。

 単に渋沢栄一を世に出しただけではありませんよ?

 一橋慶喜を陰で支える家臣は、黒川嘉兵衛、平岡、川村恵十郎、原市之進、中根長十郎、そして渋沢栄一などです。その中で、慶喜に重用されたのが、黒川、平岡、原、の三人で、特に黒川、平岡の両名は、慶喜を通じて政治を切りまわしている、という評さえ立ちました。

「天下の権朝廷に在るべくして在らず幕府に在り、幕府に在るべくして在らず一橋に在り、一橋に在るべくして在らず平岡・黒川に在り」

 というのが、当時の世評だったようです。しかし、その中で、維新後生き延びたのは黒川、渋沢、川村で、平岡、原、中根は暗殺されます。しかも、平岡と中根の暗殺者は共に水戸家臣だ、といわれています。

 ちなみに、平岡を見出したのは藤田東湖(渡辺いっけいさんが演じておられました)なのですが、その藤田東湖は水戸の烈公の信頼すこぶる篤かった人物で、攘夷を世に打ちだした、ある意味では発明家といえる人物です。

 つまり、平岡円四郎、という人物は水戸に見いだされ、水戸によって殺された事になります。これは逆を言えば、もし平岡円四郎が殺されることなく慶喜の用人として立っていたならば、恐らく長州や薩摩の出番はもっと違った形になったのではないか。それほどに平岡円四郎という人物の影響力は大きかったのです。もっと言えば、戊辰戦争などはなかったかもしれないし、そもそも明治維新そのものがあったかどうか。

 しかし実際は、慶喜の側近は次々と殺されていき、慶喜は半ば孤立した状態で長州征伐、ひいては戊辰戦争に向かう事になるわけです。ここら辺はもしかすると「雷」という私が書いたモノと多少かぶっているかもしれませんが。

 その平岡円四郎を、水戸は見出しながら結局その手で葬った。この事は水戸にとって、ある意味では安政地震で藤田東湖を喪う事より大きかったはずです。慶喜が明治維新後、政治の表舞台立つ事がなかったのは、慶喜自身の熱量が底をついていたこともありますが、なにより周旋する家臣が、黒川ひとりで、主だった者は皆非命に斃れていたから、と考えるのが適切でしょう。

 ではなぜ、水戸は平岡を殺したのか。

 それが、題名の「先駆けの陥穽」です。陥穽、とはかんせい、と読みます。平たく言えば落とし穴にはまった、ということです。

 では、その落とし穴とは何か。

 それが、「尊王攘夷」なのです。

 水戸は先駆けて尊王攘夷を打ちだしたのは、ちょっとした歴史記事を読めばわかります。ただ、その後の水戸の転落ぶりは、まさに「尊王攘夷」という落とし穴にはまったことに気付いていないのです。

 一方で、長州は、四か国連合艦隊との戦で文字通り焦土となって、すべてを失いました。薩摩も薩英戦争で攘夷の無謀さを知ります。

 長州と水戸の、明と暗はまさにここにあります。

 水戸は、一度も外国との決戦に及んでいない、ということなのです。という事は、水戸は海外の現実に触れていないまま、攘夷を振りかざした結果、ある意味では落とし穴にはまった、といえるのではないか、と。そして水戸の不幸は、その事を分からないまま維新を迎えてしまい、分かった頃には人材もおらず、助けてくれたかもしれない平岡円四郎を殺していた、という事ではないでしょうか?

 まあ、平岡をそこまで言うのは買被りかもしれません。しかし、平岡円四郎はそれくらいの器量はあった人である事は間違いないでしょう。でなければ上記のような世評は出てきませんから。

 ともあれ、幕末は「生きていれば」と思わせる人物が、皆非業の死に遭っています。それは薩長も同じですが、でもそういう人がいたならばどうなっていたのか。

 という事を考えるのも、歴史好きの醍醐味だと、僕は思います。

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