試験二日前

以前書いていた資格の試験、危険物乙4の試験日が迫っています。私の受けるところは6/13で、あと二日といったところです。

今週はそれぞれ違う模擬形式の問題を6回ほどやりました。いずれも合格水準で、問題次第では9割が取れています。ちょっと物化が怖いですが、それでも6割を取っているので、明日辺り一周回して、当日は他の法令部分(試験は午後からなので)の苦手な所を読んで臨むことになると思います。

まあ、だから何?っていう話でもあるんですが。

それはそれとして、これが終わったらすぐにオール読物新人賞の締め切りになります。100回を越えたところでリニューアルしたようで、歴史・時代短編の賞になったそうです。

選考委員っていう人人の顔ぶれ見てると、多分それ以外審査できないんだろうなっていう人ばっかりですからある意味当然っちゃ当然なんですが。

というか、今現在において、面白い歴史小説家っていますかね?門井さんとか木下さん、あるいは富樫さん。直木賞作家の安部龍太郎さん、女性だと畠中さん、玉岡さん、くらいでしょうか。

実は誰も読んだ事ありません。

本屋でちらちら、と冒頭部分を読んではいるのですが、どれも個人的にはハマりませんでした。

まあ、司馬遼太郎からはいったので、それが強烈に残っているんでしょう。そもそも個人的には歴史の人物の内面描写については否定的です。所謂、

「典型としての人間描写か、典型から外れる心理描写か」

という議論は不毛な気がするのですが、個人的には前者です。これは、自分がそもそも「歴史が好き」であって、「歴史の名を借りたファンタジ」は嫌いっていうことかもしれません。

歴史小説で一番大切なのは、時系列と登場人物の史実性だと思っています。その次に登場人物の、巷間伝わっている逸話や人物評で、登場人物同士の人間関係、さらには「誰が何をやったのか」という整合性だと思います。内面的な心理描写は優先順位が低いです。

評する、というのはアリです。推察をして真実に近づこうとするのは。でも、「~~であった」という、本人でもないくせに断定的に心理的な部分を描くのは個人的に嫌いです。だって本人じゃないのに、分かるはずがないから。

従って、歴史小説て一人称というのは、実はありえない書き方だと思います。しかし、そうしていると、

「人物の掘り起こしが浅い」

という評価が出てきます、必ず。正直言って、こういう事をいう人はちゃんと歴史ってもんを分かってんのか?といいたくなります。

自分で作ったキャラクタの内面描写が浅かったりすると、キャラ立てが弱いので最終的に物語の起伏が生まれ辛くなって面白くなくなる、という事はありますが、歴史についてはそんな事関係ないですからね。はっきり言ってキャラクタが立つ立たんなんて死んだ当の本人からしたら関係ない話ですしね。それをパワーアップキットのようにエディットされたらたまらんでしょうね(ヒーロー化は除くww)。

歴史の事件などの解釈はやってもいいと思います。ただ、それでもちゃんとした論拠(史料など)がなければ意味がないです。

要するに、あくまで大事なのは史料(その質と量)であって、キャラクタではないなずです。

有名な話で、司馬さんが小説を書くときは、歴史の史料が古本屋街から消える、というのがあります。司馬さんは徹底的に史料を読む(それでも創作はありますが)為、古書街から買いあさった挙げ句にそのほとんどが市場から消えたそうです。まあ、書き終わったら8割ほどは売り捌いたそうですが。同じように吉村昭さんも、桜田門外の変を書くとき、当日雪が降っていたのかどうかわかるまで一切手をつけなかった、という話があります。

そこまでやるとなると途方もないですが、歴史小説は他と違って創作の幅は狭いです。それを埋めるのが史料なので、如何に大事かよくわかっていただけるかと思います。

一つのご参考までに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?