雷 第二話

 稽古を終えた者は、道場の表門をくぐると振り返って一礼するのが習わしになっている。そのあとは、寺子屋を終えた子供のように年甲斐もないはしゃぎ方で町に繰り出すのであるが、十兵衛の場合はそういうことをせず、同じように一礼した後は、まっすぐに家に帰るのである。
 道場から帰る道すがら、十兵衛はいつも自らの技量について地面を奈落の底にまで掘り下げるようにして考えるのが日課のようなもので、
(この道があっているのか)
 と考えると、勢い足取りも重くなっていくのである。
 そもそも、楠十兵衛は生粋(といっては語弊があるが)の浪人者で、姿が思い出せない父親も、浪人であった。この時代、一度浪人になると再就職という道は非常に限られていて、何らかの特殊技能を持っていなければ武士に返り咲くというのは不可能に近かった。
 特殊技能の中で最も人気があったのが、剣術である。だからこそ、江戸期における剣術の数は有名無名、あるいは怪しいものまで入れると、その数はゆうに百は超えていた。ゆえに再就職は非常に難しく、剣術で身を立てるその大半は道場の師範代になり、その後自らの道場を立て、その名声を上げて諸大名の声がかかるのを待つ、というのがいうなれば正規の道筋である。しかし、そのためにはまず「師範代」にならなければならず、十兵衛はその道すらも気の遠くなるような思いである。
(かといって、算術や有職故実に詳しいわけでもない)
 おそらく算術に秀でていれば勘定方(つまり会計係)に推挙される事もあるいはあるであろう。平時であるこの時代においては、算盤に秀でるか、あるいは祐筆(記録係)であれば、陪臣どころか直参として召し抱えられるのもなくはない。しかし、十兵衛は文盲ではなかったが、達筆というわけでもなく、ましてや算盤をはじいたことすらない、文理に疎い男である。
 自然、体格がものをいう世界に飛び込まねばならない。が、それでもそれが合っているのかどうか自らに問い聞かせるほど、十兵衛の心底の上下は激しい。
「必ず、拾うてくださる人はおる」
 十兵衛は又十郎を思い出した。
 浪人である十兵衛が道場に通えるようになったのは、又十郎によるところが大きい。まだ本所あたりで無聊をかこっていた十兵衛に声をかけたのが又十郎であった。
「剣術をやってみい」
 と言われて、半ば強引に道場に連れて行かれてからというもの、道場と家の往来になっていった。又十郎が何故十兵衛を誘ったのか、それは十兵衛でもわからない。何か見出すものがあったのか、あるいは暇つぶしが高じたものなのか。
 とにかく、全くの無頼から抜け出すことができただけでも、十兵衛は又十郎に感謝し尽くすことはあっても、間違っても足を向けることはない。
 東本願寺田原町の直心影流、松田四郎道場を出て、十兵衛は東の吾妻橋を渡って南の八軒町の長助長屋に戻って来た。
「達磨の旦那、お帰りなさい」
 長屋の連中はそういって十兵衛を迎えてくれる。無論、道場の連中のような侮蔑な響きはなく、あくまで「達磨の旦那」として認識されているのみである。
 十兵衛の住まいは長屋の中ほどで、井戸の前にある。
「帰ったぞ」
 十兵衛は大小を腰から抜きながら上がり框で草鞋を脱ぎ、そのまま上がった。
「お帰り」
 女房のおみよは少々肥えた肉を揺らして、十兵衛の方を見遣った。おみよは十兵衛と長屋の隣同士であったのだが、何くれとなく世話を焼いていて、そのまま女房になったのである。
 おみよは外見に似合わず手先が器用で、着物の仕立てなどをしながら日銭を稼いで、生活を支えてくれている。
「夕餉の支度をしますからね」
 おみよは立ち上がり、台所に下りて支度を始めた。
 この日の夕餉はめざしと沢庵、御御御付と白飯である。
「随分と豪勢だな」
「伊勢屋さんの女将さんの仕立てが終わって、その御代金が入ったもんですから、ちょっと奮発を」
 おみよは少し照れくさそうに言った。
「そうだったのか」
 十兵衛は箸を止めて、膳の上に置き、居直ると
「いつも、すまん」
 といってふくよかな顔を下げた。
「やめてくださいよ、夫婦じゃありませんか」
 というおみよの言葉に、十兵衛は袖で目のあたりを拭った。袖が少し光っていた。

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