雷 第二十五話

十兵衛は、攘夷が負けた現実を目の当たりにした。それは、あの桜田門外で起きた衝撃と同質のものであった。
「分からない」
 一体何が正しいのか。桜田門外で死んでいった重蔵は攘夷の為であった。そしてその攘夷が無惨に踏みつぶされるようにして粉々に砕け散ったのである。つまり、大老井伊直弼の取っていた行動は、実は正しかったのである。ならば、水戸烈士はあまりにも惨めではないのか。だとすれば、攘夷とはいったい何だったのか。
 十兵衛は戦争が終り、一面のっぺらぼうのになった何もない海岸線にいた。海岸線にあって、遠くの周防灘と戯れている海鳥たちを眺めている。
 座り込んだ。刀の鞘尻が硝煙が匂いそうな土にめり込む。この時にはすでに高杉は出奔していなくなっていたが、無論その事を知るわけがない。それよりも、自らのよって立つところの、いうなれば土台となっていた「尊皇攘夷」を、いみじくもその相手である夷狄の「大砲」によって轟音と共に砕かれたのである。これは、十兵衛の自己存在の定義を完全否定されたようなもので、十兵衛にとっては、魂が砕かれたように思えた。
 といって、すぐに開国に転じられるほど器用であればそれほど苦労はなかった。
 尊皇攘夷の本質が倒幕に変わったのは、この馬関戦争と、これより前にあった薩英戦争であろう。攘夷というものが外国排斥であることはすでに述べているが、その外国排斥をするうえで最も重要な「軍事力」という、安全保障上最も重要な要素が抜け落ちていた事を、この二つの戦争によって志士たちは殴られるように思い知ったのである。
 江戸時代はあまりにも泰平であり過ぎた。いくら旗本が何万騎あろうとも、こういった有事の時に動くことが出来ねば何もならない。関ヶ原で趨勢が決まり、大坂の役で最後の戦が終わってから二百年以上の平和は同時に惰眠を齎した。そうなると、軍事的必然性を持たぬ以上軍隊たる武士はその意義をなくし、単なる権威と権力の集団に成り下がり、もはや軍事力としての能力は喪失していた。中央たる幕府がこの体たらくをして推して知るべきである。要するに、そもそも勝てる要素はどこにもなかったのである。
 少し考えれば分かることであったが、勝の言う「オッチョコチョイ」達がその粗忽さによって視界を狭め、遂に無謀な戦争でしか現実を理解できなかった。それは子供が親に叱られるような生易しいものではなく、国土を灰燼に帰するその寸前にまで至って、漸く目を覚ましたのである。
 同時にそれまでの前提をすべて覆すことであり、この急進的といえる方針転換は大きな困惑と抵抗と戦わねばならない。当然、そこから取り残される者もいる。
 十兵衛もそのうちの一人である。
 周防灘をぼんやりと見つめている。この日はすこぶる晴天で、向こうの九州の突端である門司の陸の稜線がはっきりと見えている。だが、十兵衛の進退は未だ霧中にある。

 元治元年は長州にとって凶年であった。
 四か国連合艦隊との戦が終わったその直後、今度は勅命を受けた幕府が軍を率いて長州を包囲した。総督は尾張徳川家より徳川慶勝、副総督は越前松平家より松平茂昭であり、総勢三十五藩十五万という規模であった。いうなれば長州は全国から指名手配を受けたようなもので、長州藩に、
(今度こそ滅亡か)
 という陰鬱さが駆け巡っていた。
 全国から討伐の軍勢が輪を狭めるようにして差し向けている最中においても、長州藩は二分して身動きが取れないでいた。一方は幕府に恭順を説く「俗論派」と呼ばれる者、そしてあくまで倒幕の為に動く「正義派」という二つの派閥が長州を割っている。
 俗論派の領袖は長井雅樂という人物で、藩主の世子である毛利定広の後見人であった。所謂「開国和親」という思想で、「航海遠略策」という政略を打ち出した人物である。これは開国をし、貿易をおこないながら国力を蓄え、諸外国を経済において圧倒させる、というものである。こう書くと分かりにくいが、つまりは開国論を唱えつつ、あくまでなし崩し的に付き合うのではなく、天皇の尊厳を活かして諸外国を圧倒する、というものである。小生でなくとも、この論理に大きな無理があるのは一目すれば分かることだが、これには少し背景がある。
 幕府は開国であり、孝明帝は攘夷という二つの大きな政治的矛盾を抱えたままでは当然国論が割れかねず、そうなると諸外国がその隙を狙って日本を蹂躙するかもしれず、そうなると日本の国体そのものが危うくなってしまう。それを防ぎながらしかしその一方で国内の対立を解消し、国論を統一するためには、この航海遠略策はある意味ではガラス細工のようなものであった。ちなみに、攘夷の先駆者である吉田松陰以下、松下村塾の起こした攘夷論を「破約攘夷論」という。
 この長井の出した航海遠略策は幕府にも受け入れられたが、坂下門外の変において老中・安藤信正が失脚すると俗論派はその勢いを失った。当然それは長井の政治的失脚を意味し、長井は馬関戦争の前年にすでに切腹してしまっている。
 ところが、その後の禁門の変から続く一連の正義派の行動が長州を苦境に立たせてしまったことが原因で、俗論派が一気に盛り返したのである。
 そうなると、正義派の中で最も重鎮にあった高杉はその命を狙われる羽目になる。
 その頃の十兵衛は、長州を離れるための支度を整えていたが、どこに行く、という当てもなくただ長州を離れる事だけを考えていた。十兵衛は馬関戦争の時に宛がわれた部屋に居た。少し早い秋風が外で遊んでいる。
「楠君、いるかい」
 十兵衛が警戒しつつ戸を開けると、見慣れぬいかにもみすぼらしい百姓姿の男が辺りを警戒している。高杉が変装したものである。
「その恰好は、何です」
「今からここを出る。どうだ、君もいかないか」
 まるで今から山登りにでも行くような誘いぶりである。高杉はさらりと脱藩する、といったのである。
「どうせ君も行く当てはないのだろう」
 見透かしたように微笑むと、高杉は咳き込んだ。
「大丈夫ですか」
「ああ。それよりも、どうする。このままここにいても時期ではないよ」
「……。何故私を誘うのですか」
「……。君は剣術が出来るだろう、だからいてくれれば心強いのだ、それだけだ」
「用心棒ですか」
「つまるところ、そういう事になる。攘夷でありながら、長州に所縁がない。その上剣の腕が立つ。うってつけだね」
 高杉はそういってからりとした表情で笑った。
「どうだい」
 また、尋ねた。
「行きます」
 十兵衛はすぐに支度を整えた。

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