雷 第二十三話

長州は孤立している。
 度重なる政争に負け、中央政界である京から追放されて、いうなれば長州は針の筵というよりも、迫りくる刃のついた四方の壁に囲まれているようなもので、諸外国はおろか幕府、朝廷さえも敵視している。孤立無援という言葉が生易しいほど、長州はその裸身を兵戈槍攘の中に晒しているのである。
 十兵衛が長州の端、馬関に着いたのは元治元年の八月に入ってすぐで、その頃の馬関は悲壮という風呂敷で全土が覆われている雰囲気であった。どこもかしこも一藩全土が殿軍のように、絶望に向かって準備をすすめているようである。十兵衛はそのさまを
(一藩全土で討死するつもりか)
 と感じた。恐らく、他藩の者が見れば、この長州の行動は破れかぶれか、あるいは気狂いといった類のように見えたであろう。だが、その長州人の士気はなえているどころか、逆に上りに上がっている。
 馬関にある前田と壇ノ浦の砲台では、巨人の足音のようにやってくる外国艦隊の脅威に一矢報いんと準備を整え、内地では今までに見た事のない集団が一糸乱れず行動をしている。奇妙であったのは、集団ごとに皆同じ様な着物で統一している事であった。まじまじと見つめていると、
「お前、何者じゃ」
 という声が飛んだ。それに気が付いた者が続々と十兵衛を取り囲んだ。
「私は、江戸の浪人で楠十兵衛と申す者。尊皇攘夷の志を得、長州に来ました」
 取り囲んだ者たちから歓声が上がった。恐らく、この時期にわざわざ長州まできて加勢しようという者は皆無に等しいからであろう。その囲いの中から出て来た男は何とも言えぬ色気を持っていた。
「江戸から来るとな。面白い」
 といってその男は笑っていた。武士の髷を落として総髪のようになってはいるが、そうとも違っていて、何とも奇妙な頭である。
「これは、ザンギリ頭というのだよ」
 と、みずから頭をなで回し乍らまた笑うのである。
「こっちにこい」
 男に言われて、十兵衛は後について行った。
「で、長州に来たのはいいが何をするつもりだ」
 近くの岩に腰を下ろした男は、先ほどまでとは全く違う鋭い眼光を十兵衛に当てている。
「攘夷決行の為に、出来る限りの事はします」
「ならば、すぐに先兵となって弾に当たって死ぬこともできるのだな」
「……」
「攘夷とは、そういう事だ」
「……やりましょう。その為に、私は江戸を出たのですから」
 十兵衛がそういうと、男は反射神経の鋭い笑い声を飛ばした。
「僕は、高杉晋作という」
「はあ。私は」
「名前はいい。もう知っている。それよりも、こっちにこないか」
 高杉に連れられて、十兵衛は砲台近くに向かった。ほれ、と高杉が雄々しく海を指した。遠くに船影がある。
「あれが、夷狄の船だ。あれを片っ端から撃って撃って撃ちまくって落とす」
「しかし、結構な数ですな」
「どれだけあるか分からんが、とにかく撃つ」
 と高杉は言ったが、この時の艦隊は米英仏蘭の四か国連合艦隊で、英九隻、蘭四隻、仏三隻、米一隻の計一七隻という、当時では非常なる大艦隊である。後、日露戦争における「八八艦隊」でも十六隻であり、また当時最大の隻数を誇っていた幕府でも、幕末を通じて九隻であるので如何に規模が大きいかよくわかる。
「できますか」
「やらにゃいかんのだ。それが攘夷だ」
 十兵衛からは高杉の顔は見えなかった。
「高杉さん、ここにおったんですか」
 息せき切った声が聞こえてくる。十兵衛が振り向くと、二人の若い武士がそろって走ってくる。十兵衛を見つけるなり二人は会釈した。
「おう、何かあったか」
 高杉は振り向きもせずに答えた。
「何かあったじゃありませんよ。家に居ったんじゃないんですか」
「どうも気になってな」
「何がですか」
 高杉は、あれだよ、といって十兵衛の時と同じように船影を指さした。
「皆は肚ぁ括っておりますから、高杉さんは家に戻ってください。でないと、今度こそただじゃすみませんよ」
「別にええよ。こんな時に俺の首を飛ばすようなら、殿は終いだ」
「それと、あの男はなんですか」
「ああ、あれは楠十兵衛君といって、はるばる江戸から手伝いに来てくれたそうだ。ま、よろしく頼む」
 高杉はそういうと、颯爽と振り向いて監禁のはずである自宅に戻った。
 残った二人は十兵衛を値踏みするように見ている。
「君は」
「はい」
「江戸から来たというが、高杉さんとは知り合いか」
「そうではありませんが、私は清河八郎先生と知己を得てそこから教えていただきました」
 清河八郎先生、という名前を聞いて二人は目をむいた。
「つまり、君は虎尾の会に身を置いていたのか」
「いや、そうではなく門下におりました。その後京に上り、江戸に戻りましたが、この度の報を聞いて来ました」
「そうだったか。いや、こちらは一人でも同志がほしい。早速だが手伝ってくれないか」

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