雷 第二十六話

高杉を評するうえで、伊藤が残したものがある。
 ―― 動けば雷電の如く発すれば風雨の如し、衆目駭然、敢て正視する者なし。
 一度動けば雷電のように激しく、一言発すれば台風の雨風のように周りを巻き込む。皆がただただ唖然として見るばかりで対峙するもの、真っ向から見据える者がいない、という意味である。
 高杉晋作という男を考える上で、最も影響を与えた者を考えるとすれば吉田松陰よりも大きな者はいないであろう。
 禁門の変で散った久坂玄瑞とは双璧と言われ、四天王のひとりとして松陰の薫陶を受けた高杉はある意味では最も松陰の姿を具現化した男であろう。松陰も攘夷論を以て世に出、その激しさと瞬発力でもって瞬く間に全国の攘夷志士を鼓舞させた。そしてその影響力の大きさは明治新政府の柱石を担ったそのほとんどが松下村塾の出身であることを考えると、尋常ではない。高杉もその点で奇兵隊を創設し、これが明治新政府軍の母体となったという点において似ている。更に諸外国を見ようとみずから密航しようとしたその行動力も、高杉は幾度もの脱藩という形でもって受け継いでいる。そして、何より似ていたのはその苛烈な性格であろう。松陰は日米和親条約が結ばれると老中暗殺を画策し、倒幕を最初に呼び掛けた人物であり、高杉はその倒幕の為の軍隊を作ったのである。
 というような点を考えると、高杉と松陰は実に似ているのである。恐らく松下村塾において最も影響を受けたのは久坂と高杉であり、久坂亡き今では高杉が一番その衣鉢を継いでいるといえよう。
 その高杉と共に福岡に向かった十兵衛であるが、その二人が向かった先は平尾山荘という所である。
 平尾山荘とは小さな庵で、そこには野村望東尼という尼が結んでいる。元はもと、という名前で福岡藩士である野村貞貫という人物と結婚し、子供を四人ももうけたが、全員が早死にし、さらに夫に死に別れるという不幸を味わい続けた女性である。一方で勤皇家で、歌人であった彼女の元に勤皇志士が集まることがあった。平尾山荘はその密会場所であり、庇護の場所でもあった。
 高杉と十兵衛が、草で隠すようにひっそりとある庵に着いたのは十月を少し過ぎた頃で、この頃になると博多の海から吹く潮風が冷風となって少々肌寒い。
 庵主である野村望東尼は齢五十の坂を半ば越えようとしているとは思えぬほど若々しく、頬のあたりに少々の年齢を感じさせるが、それでも十は若く見える。望東尼は落ちている葉を箒で掃いて集めている。
「望東尼殿でありますか」
 高杉は庵の粗末な門を潜って、知ったるように庵の小さな庭に向かうと望東尼を見つけて尋ねた。望東尼は振り向いて、
「高杉殿ですか」
 と久方ぶりに会った恩師のような懐かしげな表情を浮かべた。
「そちらの方は」
「あれは楠十兵衛君といって、私の護衛をしてもらっております。二人ですが、どうにか匿っていただきたい」
 望東尼は、わかりました、といって二人を中に入れた。庵は小さなもので、望東尼一人で住んでいる。
「高杉殿、何故ここに来たのですか」
 十兵衛が尋ねた。
「君は知らなかったのか。ここは、先ほどの庵主殿が結んでおられるところだ。我々攘夷派はここに隠れることにしているのだ。それに、ここは連絡場所でもある」
 十兵衛は部屋を見渡して
(とてもそうとは思えん)
 と感じた。
「まあ、一見するとどこにでもある庵だ。だが、庵に何かあるわけではない。あの庵主殿が目印になっている」
「という事は、あの庵主様は尊皇攘夷だと」
「珍しいであろうな、そのような女性がいるのは。だが、あの庵主殿を頼って、様々なところから同志が来る。そしてそこで有益な報せを交わし、さらに網を広げるのだ。それと、ここは格好の隠れ場所になるから、追捕を躱すのに使わせてもらっているのだ」
 この小さな庵が、尊皇攘夷から変質した倒幕派の重要拠点だというのである。
「あの庵主殿も我らの同志だ。それゆえ色々と助けてもらっているのだ」
「これから、どうするのですか」
「とりあえず、待つ」
 高杉は柱にもたれて胡坐をかき、天井を仰ぎながら言った。
「長州はどうなりますか」
「このままだと、どうしようもない。一藩全土が滅亡するだけだ。だが、それも忍びない」
「では、戻りますか」
「それも出来ん。要は、八方ふさがりだ」
 二人は暫く庵に落ち着いた。いうなれば、小休止といったところであろう。高杉に限っていえば、今まで走りに走り続けて来たわけで、今の状態は小休止と、充電を兼ねたものであった。
 十日ほどすぎた十一月初めになって、文が届いた。手紙の主は長州藩の正義派の何某という名前であった。高杉はそれを呑気に読んでいたが、文章を追うにつれて高杉の顔が青ざめていった。戦慄や恐怖といった類のものではなく、無念と怒りの混じった凄まじい形相であった。
「どうしました」
「……。楠君、すぐにここを発つ」
 といって高杉は手紙を渡した。そこに書かれていたのは、俗論派と対立していた正義派の家老や同志たちが粛清され、今にも幕府に恭順をするかもしれない、という内容のものであった。
「戻りますか」
 十兵衛の問に、高杉は頷いた。
 一旦方針を決めると、この瞬発力の高い男はすぐに行動に移した。海峡を渡り、馬関に戻ったのである。
 馬関に戻った高杉は、稲荷町大坂屋に入った。ある人物と会うためである。
「誰ですか」
「それは明かせんが、君にも護衛としてついて来てもらいたい」
 とだけ言った。
 その後、高杉はすぐに長州藩の同志である山縣狂介に会った。当時、山縣は奇兵隊を事実上統括していた。
「山縣君、支度は出来るかね」
「支度ですか」
 山縣はすぐに高杉の意を察した。
「それは無茶ですよ。今やっても勝ち目はない」
「だが、ここでやらねば長州は焦土になるぞ。それでいいのか」
 高杉の決意は固い。しかし山縣も負けず、ただ時期尚早というのみで奇兵隊を出すことを渋っている。山縣が奇兵隊を動かすことを渋ったのは二つの理由がる。一つは俗論派による政治的影響力が強い事。そしてもう一つが俗論党が実権を握っている以上、それは退いては藩主に弓引くことになるからであった。
「それがどうした。今ここで大事を為さずして、いつやるのか。無謀であったとしても、このまま手をこまねいて死するよりはよほど上等ではないか」
 高杉は畳を叩いた。その上で、
「君が動かなくとも、僕はやる」
 と啖呵を切って見せた。元よりこのばねが服を歩いているような男だけに、一旦跳ねだすと止まらない。その事は山縣も心得ているようで、
「……俊輔なら、何とかなるかもしれません」
 とあくまで独り言の体で言った。高杉は感謝する、とこれも独り言のようにつぶやいて奇兵隊の宿舎を飛び出した。飛び出して、すぐに功山寺という所に入った。功山寺は長府に今でもある名刹で、創建が嘉暦二年というから鎌倉末期に建立されたことになる。高杉がここを選んだのは、長州に追放された公家七人(七卿落ち)のうち五人がここに滞在しているからである。その五人とは、三条実美、三条西季知、東久世通禧、壬生基修、四条隆謌でありそのうち三条実美は維新後太政大臣になったり他の公家も維新後に栄達する者ばかりである。
 高杉はそこで檄を飛ばした。長州諸隊に藩主を助け、俗論派を討つ為に部隊を招集した。
 ところが、功山寺に到着した部隊は伊藤率いる力士隊と、石川小五郎の遊撃隊の計八十四名しかいなかった。
「楠君、君はどう思うか」
 この頃になると、十兵衛は高杉の腹心の一人にまでなっていた。
「どう、といってもこの人数では少ないと思いますが」
「そうか。私はこの人数で十分だと思うが」
 高杉の頭の中には何か策があるようで、確信をもって口角を上げている。
「百五十人ですぞ。これではとても太刀打ちできませんよ」
「僕とて一応は長州の者だ。いくら藩の為のといって、殿と大殿に弓ひく真似は出来ないよ」
 高杉はそういうと少し黙って、
「あくまで討つのは俗論派だ。これは、長州の為なのだ」
 といった。

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