雷 第十八話

ところが、その決めた覚悟は、すぐに無意味になった。
 というのも、横浜居留地焼き討ちの計画がすぐに幕府に知られることになった。それどころか、幕府の監視が清河の一挙手一投足の全てを狙いすました様に厳しくなっていたのである。
「こうなることは分かっていたがね」
 と、清河は意に介していない。それだけやろうとしている事が過激極まる事であり、またそうでもしなければ日本を揺り起すことは到底できないからである。幕府の監視を何とかやり過ごしていた八郎であったが、万延元年の末、会を揺るがす事件を起こした。
 アメリカ人通訳、ヘンリー・ヒュースケンの暗殺である。
 敢えて起こした、という書き方をしたのは実行したのが伊弁田尚平、樋渡八兵衛らであり、この二人を含む襲撃者は虎尾の会に属していたからである。この事によってさらに幕府は清河の監視を厳しくした。厳しくした、というよりも少しでも何かそぶりを見せるだけで捕縛するつもりでいたであろう。幕府からすれば虎尾の会はテロ集団と同じ位置に置いていたに違いない。
 権力者は反体制、あるいは反権力側を取り締まりたがる者で、現在のような民主主義の時代においては通用しないが、江戸幕府の時代ではそれは当然の事である。喩え維新回天の動乱期においても、江戸幕府という統治機構が厳然と存在する限り、反体制者を捕縛するのは、いうなれば犯罪者を取り締まるようなものであった。
 清河もその事は十分に分かっている。むしろ分かっているからこそ
 ―― これではいかんのだ。
 という結論に達しているのである。
 しかし、清河はどこか幕府を少し下に見ているような風潮があり、恐らくこれは清河の切れすぎる頭がそうさせているのであろうが、その点では権力の横暴さを分かってないところがある。
「幕府何するものぞ。所詮は烏合の衆の愚物の集まりではないか」
 というようなところがあったのではないか。それが、十二月の事件を引き起こしたとすれば、八郎の全くの油断と断じるべきであろう。
 十二月の事件。
 万延元年の十二月である。
 清河は山岡ら数人で清河塾に帰ろうとした時である。
「待て」
 と大男が聳えるようにして立ちはだかった。手に六尺棒を持っている。
「なんだ、男」
 清河は少し酒に酔っていたようで、二三度しゃっくりをしながら、男に近よった。おとこはにたにたと笑うだけで、何もしないのである。
「どけ」
「どかぬ」
 どけ、どかぬと何度か押し問答をしていたが、清河はつい
「無礼者が」
 といって抜き打ちざまに男の首を刎ねてしまったのである。男の首が飛び、うつぶせに斃れると、鮮明な切口から鮮血が這いずり出るように噴出している。
「何があった」
 と数人の役人が取り囲んだ。
(しまった)
 と清河は心の中で舌打ちをした。この大男、幕府の小者であったらしい。つまり、囮捜査にまんまと引っかかったのである。本来ならば神妙に縛について、然るべき裁きを受ける筈なのだが、前述のとおり、どこか幕府を小馬鹿にしている清河は血の付いた刀で首のない大男の死体を指し、
「こうなりたいか」
 と挑発じみた声で脅した。捕吏たちは目の前に横たわる現実に膝を震わせて全く動けないでいる。清河は血刀を振るって血糊を飛ばすと悠然と刀をおさめ、そのまま背中を向けて歩き出した。あまりに鮮やかな手口に捕吏は暫くそのまま立ち尽くしていた。
 無論、このまま清河塾に帰るわけにいかず、清河はそのまま遁走した。同時に、虎尾の会も自然消滅になった。

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