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手話が遠のく日々

私は今アメリカで留学生活をしていて、生活の中の7割は英語です。授業を受けたり、TAの仕事、行政手続きなどはすべて英語です。残りの3割は日本語です。こうしてNoteを書いたり、SNSを使ったり、日本語指導の仕事では日本語を使います。

生活の中に2言語しか存在しない、というのは私の中で大きな変化です。

生活の中に登場する言語の(個人的)歴史

私は20歳の頃に地域の手話サークルに所属、日本手話の勉強をはじめ、通訳養成講座なども受講していました。ほぼ同時期にアメリカ手話の勉強もはじめていました。

なので、ニューヨークに留学する前は日本語、日本手話、英語、アメリカ手話の4言語が日常の中にありました。割合としては4:3:2:1といったところだったと思います。

そして渡米。ニューヨークではろう者学を専攻していました。ですので、日本手話の使用頻度はほぼ0になった代わりにアメリカ手話が日常に占める割合が多くなりました。

その最中でのコロナ禍&帰国。アメリカ手話が遠のきましたが、再び地域のサークルに復帰し、日本手話が生活の一部になりました。

とにかく、ここ7年は視覚言語(手話)が生活の一部だったわけです。

コロナ禍がもたらした変化

2021年1月以降、私が生活していた東京都内では緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が発令され、主に公民館などで行っていた手話サークル活動は休会を余儀なくされました。今月から活動が再開したようですが、私は休会中に渡米してしまいました。

着米後、現地のろうコミュニティを探していますが、私の問題(免許ない、車ない、時間ない)もあり、なかなかアクセスできていません。

ふと思い返すと、私が生活の中で手話を使わない時間が長くなっている、手話にまつわることが過去のものになっている、と気がついたのです。

手話学習は思い出?

私は手話を勉強して、ろう文化を学んだからこそ、大学院で「聴こえる親とろうの子供からなる家族のコミュニケーションについて研究しよう!」と思うようになりました。大学院ではことある毎に、なぜその研究をしたいのか、興味を持ったきっかけ、その研究は社会にどのような変化をもたらすか、などを教授や同期たちと話します。

何回も話しているうちに定型文が出来上がりそうなのですが、話せば話すほど、今の自分が果たしてこの研究をするのにふさわしいのか疑ってしまします。

手話やろう者の存在が遠くなってしまった今、私は研究のためにろう者を利用していると疑念を持たれないだろうか。そんなつもりは一切ないですし、私は異文化コミュニケーションの観点から研究したいと思っていても、周りはどう思うんだろう?と不安になります。

ろう者と関わる機会がなくなり手話が自分の中で過去のものになりつつも、そこに”しがみついて”(この表現があっているかは分かりませんが)研究をしようとしている今の状況に対して、言葉ではうまく言えませんが、不快感があります。

今でも手話ニュースを見たり、ろう者が手話で発信している動画を見て、内容は理解できるので読み取り力は大暴落していないと思います。でも、自分の生活の中で自発的に手話を使うことがないので、手話の語学力は確実に落ちていますし、ろう文化に対する理解力も落ちていってしまっていて、このままだと研究もうまくいかなくなるのでは?とネガティブな思考になります。

第一言語である日本語はもちろん、英語も日本手話もアメリカ手話も自分の生活の中にうまくバランスをとって存在していた時間が長くなっていたので、日本語と英語の聴文化だけの生活がとてもアンバランスに感じている今日この頃です。


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