「こっけい文学選」との出会い

 中学生時代に「ひいらぎ」という文集が学校にあった。だいたい3年生が卒業する頃に出ていたと思う。

 小学生の頃からあった「わきみず」が本当に真面目な文集だった(但し、ちょっと考えた創作が載る事はあった)のに対し、こっちには「こっけい文学選」という、だいぶくだけたようなコーナーがあった。

 自分が印象に残っているのは英語の教科書に載った小泉八雲の「ムジナ」をパロディにした作品や、地元の様子や事件を大げさに描いた作品、流行りの言葉をちょっと勘違いも含めて身近なもので「解説」した作品、自分たちの地元がETに文化的に侵略される様子を描いたギャグ作品である。

 はっきり言って面白かった。学校の文集でこんなことやっていいのか! と思った。
 もちろん中学生でも文章の上手い人を集めているんだし、「ちょっと差別的じゃね?」って部分がないわけではなかったんだけど。

 ただ、「お約束」が「同じ中学生だから解る」、「地元だから解る」ってのはもうガンガン伝わってきて、「流行りの言葉の解説」のやつなんて「『キミサワ』のように大きな所に行ってはいけない、『ナラハシ食品』の『裏口』から入る」だ事の、「『黄色い手帳』を握りしめ」だ事の、本当に狭い範囲にしかし確実にウケる言い回しをマスターしている事にゾクゾクしたものを感じていた。

注:「スーパーキミサワ」は静岡県東部にあったそこそこ大きなチェーンスーパー。「ナラハシ食品」はもっと小さい地元ストアー。「黄色い手帳」は自分たちのもっと下の世代に配られた交通安全の手帳。

 確かにプロ作家や編集者が学習雑誌に書く中学生向けのお笑い文章にも面白いものがあった。が、結局印象に残っているものは、取っつきやすさも含めて「こっけい文学選」だ。

 以前、コミケで面白いギャグを結構上手い絵とともに描いた人の多くが「普通の人」として暮らしている。あるいはかつて雑誌投稿に面白いネタを送った人の多くが「普通の人」として暮らしているという「恐ろしい話」を聞いたが、おそらく「こっけい文学選」を書いた人達も今、「普通の人」として暮らしているのだろう。 

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