見出し画像

走馬灯(第8話)

 

 
 また、私の視界に光が戻ってくる。
 私はまた見知らぬ場所に立っていた。
(ここは?)
 
 こじんまりとした喫茶店の中のようだった。
 客は数人しかいなくて、カウンターに暇そうにした若い女性の店員が立っている。
 そのような場所に私は立っていた。
(なぜ、この場所に来てしまったのだろう?)
 私は辺りを見回す。すると、その理由はすぐに分かった。一番奥の席に、先ほど目の前にしたばかりの若いときの父が座っていたのだ。父はイライラするようにタバコを吸っている。誰かを待っているような仕草だった。
 カウンターの上に時計がかかっていて、その針は午後2時を示している。イライラとした様子の父以外はひどくゆったりとした時間がその店の中には流れていた。
 
 店のドアが開いた。
 誰なのだろうか、60歳くらいの初老の男性がそのドアの隙間から顔を覗かす。そして少し中の様子を伺うような素振りを見せてから、意を決したようにドアを開けて中に入った。
「いらっしゃいませ。一名様でしょうか?」
 カウンターで手持ちぶたさにしていた店員は、顔一杯に作り笑いを浮かべてその初老の男性に声をかける。
「この場所で待ち合わせをしているんだが……」
「お父さん」
 私の背後から声が飛んでくる。振り返ると、奥の席でタバコを吸っていた父は、そのタバコを灰皿の上にもみ消しながらこちらを見ていた。
(お父さん?)
 この初老の男性は誰なのだろうか。父が「お父さん」と呼ぶということは、私にとっては祖父にあたる人物なのだろうか。ただし、その言葉を発した父にはそんな親しげな様子は見えなかった。どこかでひどく警戒しているような険しい眼をその奥に隠しているように、私には見えた。
 私の父に「お父さん」と呼ばれた初老は、父のその言葉に答えることもせずに黙って父に歩み寄る。そしてそのまま無言で父の向かいに座った。
 カウンターに居た店員は初老が座るのを待っていたかのように近付いてきて、
「ご注文は、何にしますか?」
 と言葉をかけた。初老は固い表情をしたままその店員を振り返ると、
「後にしてもらえますか?」
 と言った。店員は少しいぶかしげな表情をしながら一度会釈をして、そのままもといたカウンターに戻っていった。
 向かい合った二人は中々言葉を発しなかった。
 父は黙って窓の外を歩く人たちを見ていて、初老は机の上の灰皿をじっと見ている。
 その沈黙に耐え切れなくなったかのように、父はその初老の顔を斜に見ながら、
「話って、何ですか?」
 と言葉を発した。
「美穂が死んでもう一ヶ月になる」
(美穂……?)
 美穂って誰だろう。私はその名前を遠い昔に聞いたような記憶もあったのだけど、それはひどく曖昧だった。
「そうですね……」
「それは、あの子が生まれてもう一ヶ月になるということでもある」
(あの子……)
「そうですね……」
「あの子をどうするつもりなんだ」
「それは……」
 父は続ける言葉を捜しているような素振りを見せる。だけど結局その先の言葉を見つけられなくて、それを探す努力すらも放棄するように視線を窓の外に流した。
「だからどうするつもりなんだと訊いている」
「……どうするって、言われても」
 父は視線を祖父に戻し、少し眼を細める。
「もしも、もしもですよ……。あなたが引き取りたいと言うのなら、私はそれで構いません」
「え?」
 その言葉が祖父にとっては以外だったのか、少し驚いたような表情を浮かべる。
「本来であれば、あいつが死んであの子の親は私だけなのだから私が引き取るのが当たり前なんでしょう。でも、もしあなたが引き取りたいと言うのであれば、私はそれを止めません。そこはあなたに譲歩します」
「私が……」
「そうです、あなたがです」
 祖父は何も答えなかった。少し苦しそうな表情を浮かべて眼の前の男性の顔を見つめるだけだった。そのような表情の祖父を見て、父は口先にずるそうな笑いを少し浮かべる。
「嘘ですよ……。あなたもあいつが出産することに反対していた……。そんな中であの子を引き取るのが嫌なんでしょう。分かりました。私が引き取ります。当たり前ですよね。私はあの子の唯一の親なんだから」
「……」
「数日後にあなたの家に伺います。あの子を引き取りに。話は以上ですか? それでは私は忙しいので失礼します」
 父は注文票をテーブルの上に置きっぱなしにしたままそのまま店の外に出て行った。祖父はぴくりとも動かなかった。そのまましばらく呆然とすでに空席になった眼の前の席を眺めていた。そしてそんな祖父の姿を私は少しはなれた場所で見つめ続けていた。
 
 私は生まれることを望まれた存在ではなかったんだ……。
 
 そんなことをぼんやりと考えていた。
 
 お母さん……。
 お母さんはどうして私を産んだの?
 どうして、私なんかを産んだの?
 
 私の意識はまた暗闇の中に吸い込まれるように消えていった。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?