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走馬灯(第7話)

 

 
 私は知らない家の居間らしき場所に立っていた。
(ここはどこだろう?)
 周りを見回す。
 小さな部屋は色々なものが散らかっていてひどく汚かった。男性ものの衣服もところどころに脱ぎ散らかされていて、それによってここの住人が若い男性であることが分かった。
 そのときだった。
 ドアの鍵ががちゃという音を立てて回った。乱暴にドアが開かれる。そして20代後半くらいの男性が不機嫌そうな顔をして中に入ってきた。ドアは閉められずにあけられたままになっている。部屋の中央まで来た男性は立ち止まって後を振り返る。そしてイライラした声で、
「何してんだよ。早く入ってドアを閉めろ」
 と言った。
 するとドアの影から幼い少女が姿を見せた。玄関で立ち止まってきょろきょろと周りを見回している。ドアから手を離すとそのドアがバタンと思いのほか大きな音を立ててしまった。その音に少女はビクッと体を一度大きく震わせる。少女はそれからどうすればいいのか分からないかのように、しばらくそこに立ち尽くしていた。男性はそんな少女をそれ以上構うことは無かった。部屋の片隅に置かれたテレビを付けて、少女に背を向けてその反対側の片隅に座った。
 その少女は、小さい頃の私だった。
 私は、その男性のことも知っていた。
 小さい頃の私と、現在の高校生になった私。その二人はじっと立ち尽くして、テレビを見ながらけらけら笑っている男性を見つめている。私は心の中で呟いた。
(お父さん……)
 
 突然シーンが飛んだ。
 だけど、私は同じ場所にいたのだ。様々な物が散らかった小さな部屋。ただし、窓から差し込む日の光だけが変わっている。それまでは強い日差しがカーテンを照らしていたのだけど、今はその光は赤黒い夕日に変わっていた。
 
 部屋の外はすっかり日が暮れて暗くなっている。
 男はそのまま少女のことを気にもせずにテレビを見続けていた。その間、少女はどうすればいいのかも分からないのか、玄関の脇に立ち続けていた。私自身もどうすればいいのか分からなくて、部屋の片隅に立ち尽くしていた。
 見ていた番組が終了したのか、男はテレビを消した。壁時計を一度見て
「もう、こんな時間か……」
 と呟いてから一度大きな伸びをした。壁時計の針はすでに午後六時を示している。ゆっくりと立ち上がって後を振り返った。薄暗くなった玄関に立ち尽くした少女がじっとこちらを見ているのが目に入る。そして、
「そうか……」
 低い声で呟いて、あからさまに大きな舌打ちを一度した。
「お前、まだそんなところにいたのかよ」
「……」
「何とか言ってみろよ」
 男はイライラとした声を少女にぶつける。少女はびくっと一度体を震わせた後、じっと床を見つめたまま、
「ごめんなさい」
 と小さな声で呟いた。
「謝るなよ! 謝ると余計に俺が惨めになるだけだろ!」
「……ごめんなさい」
 男は怒りにゆがんだ顔をして、玄関脇に立ちすくんでいる少女の前に大股で歩み寄る。その気配に気づいた少女は床を見つめていた視線を始めて上に上げて、その男の顔を仰ぎ見た。そしてその男の顔が怒りで溢れていることに気づくと、ひどくおびえた表情をした。
 男はその少女の顔を見下ろして、一瞬無表情になる。ゆっくりと屈んで視線を少女の位置に合わせると、
「何が、ごめんなさいなんだ」
 ひどく無機質な声で言った。
 ひどくおびえきった少女はもうこれ以上言葉を発することができなかった。
「だから、何が、ごめんなさいなんだよ!」
 男は右手の手のひらを開いて、大きく振りかぶる。少女はまだおびえた表情のまま男の顔を仰ぎ見ていた。
(待って!)
 思わず叫んだ私の声は、男の耳に届くことは無かった。
 大きな音を立てて、男の平手は少女の頬を叩いた。
 
 そうだ。
 そうだったんだよ。
 その少女の頃だったときの私自身の思いが私の心の奥底から溢れてくる。
 
 少女は下を俯いたまま動きを止めていた。
 その姿を見て男はまたイライラした声で、
「そういうところが気に入らないんだよ」
 少女はゆっくりと顔を上げる。その眼は力を失っていて、うつろに目の前の男の姿を写している。
「何か言ってみろよ。どうせお前も俺となんて暮らしたくないんだろ」
「……」
「お前、何で生まれてきたんだよ?」
「……」
「だから、あいつがお前を産みたいと言ったときに、あんなにも反対したのに……」
 男は歪んだ顔で少女をにらみつけながら、吐き捨てるように言った。
(そうだ……。そうだったんだよ……)
 男はそのまま振り返りもせずに、ドアを大きな音を立てて締め付けて外に出て行った。少女は一人取り残された。その少女の横で私も呆然としながら立ち尽くしていた。
(私は本当は、存在してはいけない子供だったんだ……)
 私の眼はゆっくりと少女の顔に焦点を合わせる。
 少女は完全に無表情のまま、目の前の虚空を見つめていた。
 そのまま私の視界はゆっくりと暗闇の中に落ちていった。
 

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