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1. Honest speech Erin Schick

※ 今回本書を紹介するにあたって、J&R Pressの方から許可をいただいております。

この章は短い詩が出てくる2pほどのとても短い章です。

エリン・シックは、ニューヨークに住んでいるソーシャルワーカーであり、クィア(男性の同性愛)解放と障害の正義(Disability Justice)に取り組んでいるそうです。

最初にメンフクロウの話が出てきますが、メンフクロウはシューという音(ヒスノイズ)を立てたり、金切り声、鳴き声、顔の動作などの複雑なシステムを使うことで仲間とコミュニケーションを取るらしい。
自然界で生き残る上で、ユニークな声を出すことが重要になるらしい。何故かというと、ユニークな声は好きなメンフクロウにすぐに気づいてもらえるかもしれないからだそうだ。
※YouTubeでメンフクロウと検索すると、メンフクロウの鳴き声が聞けますが、自分は初めて聞いたときにその異質さにびっくりしました。
好き嫌いは分かれそうですがそれは置いておいて、メンフクロウの鳴き声を聞いてびっくりする現象と、目の前の人が話の途中で突然吃り出したらびっくりする現象は似ているような気がしました。それは、僕たちが普段イメージする鳥の鳴き声(例えば、小鳥のさえずりなど)とメンフクロウの実際の鳴き声が大きく異なっていたからです(甲高い声が苦手な人は多いかもしれないですが)。だからとは言いませんが、僕たちが急に吃ったときに聞き手にびっくりされるのも当然の事なのかもしれませんね。必ずしも悪気がある訳ではない
ご参考に動画どうぞ↓


後半は短い詩になっているのだが、印象に残った点を紹介する。

My voice is an instrument
My ss-tutter its greatest symphony
My speech com-pposed by God
〜〜〜
The stattacctto of repetition is an unpre—ddictable –pp-recussion

私の声は楽器である
私の声は楽器であり、最高の交響曲である。
私のスピーチは、神によって構成されている
〜〜〜
連発のスタッカートは、よ、予測できないパーカッションである

吃音の不規則な話し方を音楽、楽器として捉えることはなかなか難しいことだとは思う。それでも吃音という自然現象自体には善悪はないのであり、それは多くの場合この社会では良いものではないかもしれないが、「どもる体」でも出てきたように吃音特有のリズミカルな話し方を楽しむ、好きになることはありのままの自分を好きになることであり、こういう考え方もあるんだなと感じました。(こう言うと安っぽくなる気がする^^;)

詩の中では吃ったままの形(※1 I buy-tth-ree-ggrapefuit and I-sstutterなど)で文を書いているのだが、他にも家族に電話するときに吃るなど、日常での吃りを描いているのが印象に残りました。世間的には、緊張する場面で吃りやすいと思われているかもしれないが、実際には吃音症状は個々人によってかなり差があり、吃音のある人にとっては吃音が日常にありふれいてることに気づきました。

※1 grapefruitの綴り間違えているよ〜と指摘される方もいらっしゃるかもしれませんが、エリンが吃ると勢い余ってrが発音できずに「フルート」ではなく「フット」となってしまったということだと個人的には思います。複数形のsがないのも、実際にsが発音できなくて抜けてしまったということなのでしょう。

また、

The sstuttering is the most honest part of me
It is the only thing that never lies
It is how I know I still have a voice
I am still -being heard
I am still here
き、吃音は自分の最も誠実な部分であり、唯一の嘘をつけない部分である。吃音は、私にはまだ声があることを教えてくれる。まだ話を聞いてもらえる。まだここにいる。

という部分があるのですが、個人的な感覚として、言いたいことを言いたいそのままの形で言うときは吃りやすいなと感じています。
たぶん吃音あるあるなのかもしれませんが、相手が話をリードしてくれて、それに合わせて返答するような会話だと吃音が出づらく、自分がリードして話すと吃りやすくなってしまい、普段はほとんど自分のこと、自分の話題を話せていないことを思い出しました。
(「吃音 伝えられないもどかしさ」でも出てきた北海道で自死された看護師さんの話でも、彼は聞き上手だったが、あまり自分のことは語らないと友人が話していた話でもあったように記憶しています。)
吃音をもちながらの世渡り術と、それに伴って失っていくものの喪失感を感じますね。
あと、吃っても話を聞いてくれる人もたまにいますが、吃っても話を聞いてもらえるときに自分の存在をより一層感じられる、ということなのでしょうね。

最後に、エリンの詩の中で一番印象に残った部分を紹介します。

When I stutter I am speaking my own language fluently
When I sound like this I know my loved ones can find me
This is what I sssound like when I speak for myself
This is what I sound like
This is what I sound like.
吃っているときは、自分の言葉を流暢に話しています
私がこのように話すと、愛する人が私を見つけることができます。
自分の言葉で話すと、こんな風に聞こえます。
これが私の声です
これが私の声です。

本記事では紹介していない箇所も沢山ありますので、気になった方は是非ご一読ください。


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