あの日
2017年6月21日
テレビを見ていて 初めて声をあげて泣いた日だ。
当時は部屋の外にすら一歩も出られなくて
だんだんと食べ物のゴミで汚れていく部屋のまんなかで布団にくるまって
生きる理由はもうなかった。
ただただ眠っていたかった。
この世界から一秒でも早く離れたかった。
眠れないときはひたすら現実逃避をして
本や映像の世界中に逃げ込んだ。
自分じゃないどこかのだれかの世界に没入して、時が過ぎるのに任せていた。
災害でも、なんでもいい。
誰かこの世界ごと壊して、一緒に消してくれ、と毎日思っていた。
多くの人が眠っている夜中はまだマシだった。
朝日が昇って世界が明るくなってくると、多くの同世代がやるべきことと向き合って現実の世界で生きているのに、部屋の外にすら出られない自分と向き合うのが苦しかった。
街が動き出す音がする。
今日も一日がはじまってしまう。
出勤や通学の時間は、特に苦しい。
朝はよく朝ドラを少し大きめに流して現実から少しでも離れようとしていた。
その日もそのまま あさイチ が流れていた。
アナウンサーは有働さん。
言葉選びは穏やかで、なんだかわからないけど生放送で画面の向こうから与えてくれる安心感みたいなものがあった。
その日は、ゲストがいた。
イノッチの反対側にいたのはジョンカビラさん。
性犯罪、性暴力の特集だった。
覚えているのは、性被害にあった人に対する視聴者の声。
有働さんが番組に届いたFAXやメールをひとつずつ読み上げる。
60代男性
「被害に会った時に激しく抵抗し、大声を出せば避けられるんではないかと私は思う」
20代女性
「女性ですが、性暴力は本当に加害者が悪い場合と、やはり被害者でありながら落ち度がある場合があると思う。女性として常に危機感を持つことが大切だと思う」
ああ。
やっぱりほら、わたしが悪い。
こんな風になって、起き上がれない、
こんなことで、普通に生活できない私が悪い。
頭がゆっくりと重く沈み始め、考えられなくなっていく。
身体がなんでかわかんないけど動かなくて、起きることも身じたくもできない。
学校にも、バイト先にも行けない。
電話なんてもちろんできない。
こうなってから何ヶ月目だろう。
親になんて、絶対に言えない。
家族になんて、何て言ったらいい?
部屋を借りるのに、学校に行くのに、親が出してくれたお金はどうしたらいい?
ああ、今日も布団から出られない。
全てからばっくれて、こんな汚い部屋で
でもなんでかまだ生きている。
もっと強かったら。もっと平気だったら。
ほかの誰かだったら。私じゃなかったら。
友達からLINEが来ている。
“なんかあったー?大丈夫?”
“大丈夫。ありがと。
心配かけて本当ごめんね。”
すこし前にニュースに出ていた伊藤詩織さんの顔が頭によぎる。
海の向こうのme too 運動もすごかったけど。
遠い世界の映画監督のニュースと違って日本語で書かれた伊藤さんのニュースは少し身近で、おぞましくて、でも希望だった。
記事が出るたびに追っていた。
この人、なんでこんなに勇気があるんだろう。
いや、でもきっと傷つけられてしまうんだろう。
だって、日本はまだそういう国だ。
のちに彼女が書いた本も買って読んだ。
けれど彼女にME TOOなんてそのとき言ってくれている人は、日本に一人もいないように見えた。
私も、もちろん言わなかった。
言えるはずなかった。
声をあげるなんて、ありえない。
よく目立つのは、彼女を、女性を、
私を毎日おとしめる大きくてつよい声ばかりだった。
名前も顔も出すなんてわたしにはこの先も一生できないだろう。
自分でこんな状況を誰かに説明なんてできない。
部屋の真ん中で寝転がって社会のレールから毎日少しずつ外れていく自分を受け入れることすらできないのに。
そんなふうに思っていた。
あさイチがまだ流れている。
有働さんが視聴者の意見を読み上げる声がつづく。
70代男性
「死ぬ気で抵抗すれば防げる。
性交が成し遂げられたのは、女が途中で諦め、許すからである」
ほら。ね
もう、ここにいたくない。
いつものように、またまぶたがそっと閉じていく。
大丈夫。
またフタをして、眠って、ここから逃げられる本か、映画かドラマか、お笑い動画かなんかをみて、違う世界に行ってまた寝よう。
こうしてたらいつか死ねるかもしれない。
死ぬ前に、部屋を、片付けなきゃ
.
.
.
ぼんやりとリモコンを片手で探しながら布団の中にまた潜り込んだとき、
男の人の大きな声がした。
「それは 全く違うんじゃないですか」
テレビの中のジョンカビラさんだ。
まっすぐに、低い声を張りあげていた。
「ありえない。同じ言葉を、例えばですよ、
70代の男性は娘さんがいるかもしれない。
もしくは奥さまがいるかもしれない。
その被害に会ったら、娘さん、奥さまに、
同じ言葉を言えますか?
最後まで抵抗しなかった君が悪いんだ
って言えるんですか?
それと、例えばですよ
プロレスラー並みの体格の男性に男性がレイプされる可能性もありえるわけですよね
その時に、あなたは命がけで戦えるんですか!
最後まで。そんなことは無理ですよね。こんなのは全くの偏見で、全く当っていない!」
生放送ではっきりと、こんな風に熱を持って言う彼の目は充血しているように見えた。
布団からからだを起こして、私は見つめていた。
有働さんもイノッチも 深く頷いて
身体と言葉で彼の言葉を強く肯定していた。
ジョンさん..いやカビラさんなのか..
失礼ながら似てるご兄弟がいることと
どちらかがサッカー関係で、どちらかがラジオをやっていて、、
たしか確か華丸さんが時々真似をされている、、
飛行機の出口でお二人は会ったんだっけ、、と、そんなことしか知らない。
カビラさん、いや….ジョンさん
彼の言葉は、それだけじゃなかった。
「それに」
別のアナウンサーが持っていた
「レイプ神話」というタイトルのフリップを指差した。
その下に、レイプに関する世の中の勝手な誤解という項目が並んでいた。
カビラさんはそれを指しながら言った。
「神話、という言葉!
そんな嘘に『レイプ神話』だなんていうそんな言葉もそこで使ってほしくないんです!
レイプにまつわる、勝手な嘘や誤解であって、神話だなんて神々しいことは全くないんです。そんな、言葉は!」
ああ。
男の人が そんなことテレビでそんな大きな声で言ってくれるのか。
朝の、今の、生放送で。
同じ時間、今そこで 言ってた。
しかも大人の男の人が。
ゆっくりと視界がくもり始めて
気づけばこんな声が出るのかというくらい、
ワンルームの部屋で大声で泣いた。
今こんな状態になっている私は弱くて、
普通に生活できない、恥ずかしい人間だ。
そう当たり前に思っていた。
苦しくていいのかもしれない。
私はおかしくないのかもしれない。
多少おかしくなってたって、この状況なら当たり前なのかもしれない。
身体が 心が
壊れるほどのひどい経験をしたんだ。
わたしは悪くなかったのかもしれない。
だって、今この人が言ってくれた。
私はあの時、一生懸命生きたんだ。
.
.
.
どんな女の人のどんな言葉よりも、
男性がテレビ越しにキッパリと言いきる彼の言葉が私には強かった。
生放送で画面の向こう側で今、そこで言ってくれているのだ。うれしかった。
そのまま毛布にくるまって泣きながら、眠った。
夕方、汗をかいて起きてしまった。
まだ眠っていたかった。すこし水を飲む。
次の日、ああ、目が覚めてしまった。
もう、生きて時間を過ごしたくない。
部屋からは、また出られない。
でも、少しなにかが変わり始めている気がした。
わたしは、悪くないのかもしれない。
あの日からすべてが壊れているけど、
これでいいのかもしれない。
寝たり起きたりしながら、数日後、いよいよ部屋の中に食べ物がひとつもなくなった。
こんなに生きていたくないのに、どうしておなかがすいてしまうんだろう。
誰かも本の中でそんなことを言ってたか。
息を吸う。
ドアノブに手をかける。
むし暑い。なのに震えが止まらない。
階段をゆっくりと降りていく。
大丈夫。買って、帰ってくるだけだ。
2分ほど歩いたところにファミマがある。
眩しくて、フードを深くかぶる。
4,50代だろうか、
いつもレジにいる男性が今日もいる。
通り過ぎて、線路をこえてスーパーに行こうと思った。でも、人がいっぱいいる。
賑やかな通りまでこのまま進むことを、足も頭も拒否していた。
静かなファミマの前に戻る。
息をゆっくり吸って、下を向く。
フードを深く被っていることをまた確認して
店員さんに目を合わせずに会釈だけする。
さっと棚の間をすり抜けて、おにぎりやパンを両手にとる。
レジの男性はぶっきらぼうで笑顔はなく
いらっしゃいませーと形式的にいう。
私の呼吸がだんだん早くなっていくのも
伸ばした左手がさらにふるえはじめたことも
なぜか涙を流しているのも
髪も肌もずっと洗っていなくてぼろぼろなのを前にしても
なにも言わず淡々と袋に食べ物を詰めて、ただ渡してくれた。
家から出られた。
怖かった。胃はまだからっぽなのに、吐き気がとまらない。汗が出てきた。
足早に戻ってそのまま布団にたおれこんだ。
.
.
.
時を経て 私は少しずつ元気になったり
なくなったり、行ったり来たりしていた。
とうとう電車にまで乗れた日、
心の中でガッツポーズをした次の瞬間
ドアが閉まった音と共に
ヒュッ と息が吐けなくなって
次の駅で降りて、また逃げ帰ったり
大学の講義棟にはもう二度と入れなかったり
学務のお姉さんにひどい言葉を言われて
また家から出られなくなったりもした。
眠ったり眠れなかったり
食べられなかったり食べすぎたり
同期はどんどん卒業していっても、私はまだバイト先にばっくれたことを謝罪にすら行けなかった。
それでも、徐々に安定して外に出れるようになってくる日は来た。
時間はかかりすぎたけど、働くこともできるようになった。
元気そうに、人に挨拶ができるようになった。
友達になれそうな人にも出会えた。
さらに数年が過ぎると
ずっと興味のあった企業の募集に応募なんかもできるようになった。
書類を送るとメールがきてすぐに面接にいった。
渋谷だったか、新築のシェアオフィスの一番下の階が、カフェになっていた。
飲み物を片手にカジュアルな面接だった。
一対一だと思っていたら
創業メンバーの役員の方たちも話を聞きたいと忙しい中、オフィスから降りてきてくださっていた。
ボックス席で男の人3人と同席して、
急遽物理的に囲まれる形になった。
突然、頭が真っ白になった。
全員、同じ顔でこっちを見ている
ちがう、あいつじゃない
彼らはもちろん親切と礼儀で私に奥の席を譲ってくれただけだ
怖くない
これはただの面接で
わたしは自分でここにきた
汗がにじみはじめる
手先が震え始めて、だんだん止まらなくなる
ヘラヘラと笑って、もうどうだっていいから
早くこれが終わるようにとだけ願った。
いくつかの質問に答え終わると、挨拶もそこそこに、笑って、頭を下げながら退席した。
彼らがどう思ったかはわからない。
失礼な態度だったかもしれない。
ただなんか変なやつだったと思って、
どうか一刻も早く忘れてほしかった。
外に出るとうまくとどまってくれていた涙があふれて、
呼吸が荒くなりはじめて、喉の奥がぐっと熱くなる。
走って駅のトイレまで行ったところまでは覚えているが、
記憶の映像の中にはない。
その後いただいた前向きなメールにも、返信すらできなかった。
また一つ、もう行けない場所が増えた。
もう二度と会えない人たちが、また増えた。
突然襲ってきたのはただの過去だ。
あいつじゃない。
あいつは、いない。
ただの錯覚だとわかっている。
でも、その錯覚とすら、まだ向き合うことが怖かった。ただただ、この世から逃げだして、いなくなりたかった。
面接してくれた彼らには何の非もなかった。
親切で、丁寧に、真摯に、平等に接してくれただけだ。
わかってる。男の人は、敵じゃない。
フラッシュバックが起こるたびに
兄が先日渡してくれたキーホルダーを握りしめる。
カビラさんの声が遠くで鳴ってる。
大丈夫。大丈夫なんだってば。
涙も呼吸もとまらない。
なんでまたこうなっちゃうんだ。
電車の後ろに立つ人が怖いのも
エレベーターに男の人と乗れないのも
大学の講義棟に入れなくなったのも
忘れれば良い。
今そこを歩いている人は、あいつじゃない。
顔はまた忘れた。
夢にも出てこなくなった。
怖くないんだ。
何度も何度も挑戦して
ようやく行けた心療内科でも
精神科でも
優しい年配のカウンセラーさんの前でも
どこへいっても、誰と話しても
喉がはれたようになって、
震えと濁流がやってきた。
どうやってもとまらない。
眠ってまた起きるまで、発作のような呼吸がやまない。
年をいくつか重ねても、うまく話せなかった。
処方された薬を飲んだら、その時だけはぼうっとできた。
でも怖くて、なにかが苦しくてやめた。
首の痛みが日に日に強くなっていった。
整骨院にいこうか。
重くなった髪もそろそろ切らないと。
ホットペッパーで美容院を予約しても、
家を出る時間になっても起き上がれなくて何度もキャンセルする。
ちゃんと着替えて整骨院の前までいけた日も、
知らない人に自分の話をすることや
誰かに触られるのを思うと恐ろしくなって断りの電話を入れる。
誰かと会う約束は、もうしない。
また自分が大嫌いになるだけだ。
泣いたり叫んだり何も考えなくなったりして
また少しずつ、眠れるようになってきた。
大丈夫、大丈夫。
呪文のように、口の中で何度も唱える。
また慣れていく。
大丈夫。
テレビをつける
深夜のラジオをきく。
本を開く。動画を見る。
これらはやっぱりわたしの救いだった。
テレビで女の体について笑って話す声が聞こえる
ラジオで、女の人も笑っている
コンビニで下着や水着の女の子が笑っている雑誌の前を通るたびに、自分がなにか、動きのとれないモノになったようになる。
飲み会でテーブル越しに、男同士でこちらをちらちらみながら話している。
笑いながら、いくつかの単語が聞こえる。
一般的な女の身体という話題で楽しんでいるだけだ。私のことで笑ってるわけじゃないって、わかっている。
笑顔で適当にかわす。
近くの女の人と目をそっと合わせてから、
かけられる言葉にまた適当に相槌をうつ。
心にはフタをする。
大丈夫。私は安全だ。
深く考えない。
.
.
.
新しく買った服で仕事にいく。
自分が少し生まれ変わったような気がする。
次の日も違う服を買って帰る。
化粧を落とさずに眠って、起きたらまたすぐに化粧をする。
自分ではないちがう誰かになれた気がする。
部屋の中が、また散らかり始めた。
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.
「 ねえ。もう少しさ、姿勢良くできる?」
ある日上司に言われた。
肩とあごに手を置かれて、思わず後ずさる。
首が前に出てるんだそうだ。
笑顔で振り払う
やめろ
わかってる
胸を自分でも見たくないだけだ
でも今日も誰かの前で
勝手に オンナ でいさせられる
ねえ
なんで今ここで
なんでまたあいつの顔がでてくるの
つま先が冷えていく
気のせいだ わたしは大丈夫
ここにあいつはいない
頭がぼうっとしはじめる
さっきまで、電車のなかにいたはずなのに
ここはどこ
遠くで、誰かが叫ぶ声がする
誰かが、手を伸ばしている
ああ、またか
日常が、また、ぐしゃぐしゃになる
前と一緒だ
吸って、吐く
ほら ちゃんとできてる
ああ
死にたい
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あさイチで別の70代の男性がFAXで言っていた言葉がある。
「男性の性衝動についても、女性ももっと理解する必要があるかと思うのです。もちろん暴力で欲求を満たそうとする男性は卑劣極まりなく、厳罰に処するべきだと思います。
しかし女性にとっては酷なことだと思いますが
男が狼の一面を持っておるのは本当のことで
それを肝に命じて言動することが求められるはずなのです。」
有働さんが読み上げた誰かのその声を
カビラさんの声がすぐにかきけしてくれていた。
「いや、同じ人間として、男として、
性暴力と性衝動を同じになんか、して欲しくないですよ!
そもそも狼は一夫一妻制度ですよ?
ずっと寄り添って、添い遂げるっている生き物なんですよ。狼に失礼!」
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わたしは、今日まで全てにフタをしていた。
何も言わなければ安全だった。
自分の過去を振り返ったりせず、
誰かに伝えたりせず、そこから静かに離れれば、私は安全だ。
誰にも苦しめられない。
怖くない。平気なふりをつづければ
本当に平気になっていく気がしていた。
私は、世界に顔を出す必要がない。
名前も出さなくていい。
そうすれば、誰にも見つからない。
ひとりであの日も矢面に立っていた伊藤詩織さんのように、顔の見えない多くから攻撃されなくてすむ。
でも、言わせてほしい。#metoo って。
やっといえた。
日本は遅れてる?ちがう。
私が遅かった。言えなかった。
おそいけど、どうか言わせて。
誰かのなにかがほしいわけじゃない。
男の人を攻撃したいわけじゃない。
世の中の男の人がみんな悪い、なんて思ってない。
私の男兄弟も、家族も、男の人だから憎いなんて全く思わない。
心の底から大好きな、わたしの大事な人たちだ。
あの面接してくれた人たちも。
ファミマのぶっきらぼうなおじさんも。
繰り返し見た映画の脇役の男の子も。
小説の中の、私みたいなあの人も。
大好きな人たちの漫才も。
みんな私の救いだった。
誰かのひどい行いを何かのせいにするのは簡単だ。
社会でも、時代のせいにするのも。
そうしたら、もう考えずに済む。
私もまた傷つかないで生きれる。
だけど、ここに書く
わたしも。
わたしもなんだよ。
わたしもあの日あいつにレイプされた。
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あの日のあさイチでは、
こうも言っていた。
“内閣府の調査によると
2017年当時の女性の 15人に1人 が異性からの性交を強要された経験を持つという。”
いや、もっと全然多い。と直感的に思う。
だって私は、今日まで誰にも言わなかった。
自分に起きたことを受け入れることを、長い間 身体と心が拒否していた。
相手は私なんて忘れているだろう。
彼らにも誰か大事な人達がいるのだろう。
悪気なんてなかったと本気で言うかもしれない。
記憶がないと言うかもしれない。
いつか会ったら私はどうするんだろう。
無様に逃げ出すかもしれない。
その場で失神して、また吐いて、
またひきこもる日々がしばらくつづくかもしれない。
捕まってもいいくらい
憎しみが湧くのだろうか
殺したくなるのだろうか
あんなに忘れたかった顔をまた見ることになったら何を、わたしは思うのか。
冤罪だと
名誉毀損だと
声高に訴えられるのだろうか。
あなたの家族が同じことをされたらどうだろう。
相手の性別がどれだとしても。
相手を社会的に殺したくなるだろうか。
でも、そんなことをいくらしても
きっと彼らは罪に問われない。
証明もされない。
きっと、誰にも立証できない。
社会的に持っている力も声も、
きっと彼らのほうが圧倒的に強い。
費やした時間も、諦めた将来も、
精神的に健康で安全な日々も、何も帰ってこない。
ともに過ごしていた仲間たちの、誰の背中ももう見えない。
ではなぜわざわざ声を上げる必要があるのか。
売名?
思い通りの富や名声や人気が はたして受け取れるだろうか。
お金?
名前を、恥をさらすかわりに思い通りに手元にお金が、いったいいくら入るのだろうか。
「今この週刊誌にこうやって言ってくれたらこんないい話があるよ」
今すぐ世論を何とか動かしたい誰かに、そんなふうにそそのかされたりするのだろうか。
違う。
こんな思いをもう、男の人にも女の人にも誰にもさせたくないだけ。
こんなことがあって、こんな目にあって、相手がそのままのうのうと生きているのではなく、ただ正当に、まっとうに
ほかの殺人とか傷害とか、自動車の違反とか、
いろんな世の中にあふれる罪みたいに、社会としてあたり前に
罰せられて、謝罪されて、ふつうに罪を償ってもらいたいだけ。
普通に、裁かれてほしいだけ。
「痴漢」 と言う言葉にかえて、考えてみる。
痴漢の冤罪なんて
痴漢の被害にくらべたらほんの
ほんのわずか。
でも、痴漢、という言葉の後ろには何よりまずはじめに冤罪という言葉がくる。
社会的に、男の人が冤罪でこうむる被害の声の方が強いからだろうか。
言わないでその場から逃げれば、心はどうなろうと身体だけは安全だからだろうか。
その被害を誰も見ていなければ、誰も証明してはくれない。
一人ぼっちで声をあげれば、知らない多くや男の人からも、もっと攻撃される。
電車内での吐き気がするほど恐ろしい経験も
冤罪をこうむる恐ろしさに比べればなんでもない
そういうことだろうか。
この恐ろしい状況を、ほんの少し変えたいだけ。
正しく、お互いに助け合いたいだけ。
男の人たちみんなを憎んでなんていないんだ。
糾弾して、何か得ようとなんて思っていないんだ。
.
.
.
相手の犯した罪を憎み続けるし
彼らをずっと許容してきたこの社会を哀しく思う。
性被害に限らず、力をもった立場で権力を振りかざしてしまう人間が集まってつくった社会はいずれ悲しみをまねく。
当の本人に、権力や立場を悪用する気がなくても。
それが悪だと気づいていなくても。
そのつもりなんてなかったとしても。
昨今、性暴力で話題になっている
有名人たちと女性たちの間で、その時どこで何があったか、わたしは当事者じゃないから本当のことは全くわからない。
私と、あるひとりの性犯罪者の間で何があったかを今もまだ誰も知らないように。
私と相手、どちらかの全くの嘘かもしれない。
私を犯した相手だって、
そんなつもりは全くなかった。
と本気で言うかもしれない。
本心を言っているのは自分だ。
と、私のように相手も心底思っているかもしれない。
わたしが今、ここで何をいったって誰ひとり
立証してはくれないだろう。
証拠なんて何ひとつないのだから。
伊藤詩織さんのように、男性警察官たちの前でどう犯されたか再現しろなんていわれてしまったら?
やっと犯人を逮捕してもらえる、と思ったら、権力のもと全てなかったことにされたら?
今でもなお、あの瞬間を思い出しただけで何度でも死にたくなるというのに。
有名人のファンの方で
被害の声をあげた人に対して端から攻撃してしまう人たちをよくSNS上で見るけれど
彼らの気持ちがわかるような気がする。
彼らを好きな人は、そんな自分をどこかの誰かに勝手に否定されたくはない。
声をあげた相手の人たちこそが悪で
完全な嘘なら、相手さえ攻撃すれば、自分たちが築いていた世界をこのまま守れる。
そのほうがいろいろと苦しくない。
私たちは、どうしたらいいのか。
目を逸らさないことだ。
話題のさまざまな裁判の行方も
週刊誌を含めたメディアが今後も報じる内容も
ネットニュースのライターがおもしろおかしく書きたててアクセスを稼ぐであろう見出しも
これからの芸能人たちや、知識を持つ人や、
言葉を公に発する仕事につく人たちの発信のしかたも、自分の心にフタをせずにきっちり見つづけること。
相手の女性たちがこれから受け取る言葉や、うそや、デマも、そしてたくさんきっと受けるであろう中傷からも、目を逸らさないでいること。
金目当てや、誰にそそのかされたような
嘘の告発などが紛れていたら
ファンの男たちよりも、誰かに本当に性被害を受けてきた、声をあげない女たちが許さないだろう。
自分たちの受けた被害まで、また嘘と言われるのだ。何度も、女は全員嘘つきだと。
女は男をおとしめたいだけのバカなやつらだと。
また何十年も、娘や孫達も言われるのだ。
もし虚偽の告発が紛れていたら
わたしは許さない。
でもきっと、多くの告発は、
これからもそう言われることになるのだろう。
ていうかほとんどそうなるんだろう。
期待はあまり していない。
有名人への告発は今までもたくさんあったし
今回も皆それぞれ見え方は違うだろう。
ある意味それでいい。
自分の心で判断したらいい。
「芸能界の騒ぎを皆が見ている間に政界では、、」
なんて声もよくみる。
陰謀や企みが不安で怖い人も多いのだろう。
そっちもしっかり見てやろうじゃないか。
次の選挙の予定も、しっかり調べたらいい。
.
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なにかものごとが起きる理由をたどったいくと、社会的な背景がある。
当たり前に誰かを、女や男を軽んじる言葉や態度を、テレビや芸能界は、視聴者は、わたしは、実生活でも受け入れていた。
テレビでも街なかでもいつも普通に、公共の場で、女の人の性をモノみたいに扱っているのがみんなにとって普通で、女の性は買うもので、男が自由に消費するもの。
そんな社会の構図が彼らの周りにも普通にあった。さらに上の世代は、もっとあったんだろう。
それが「ふつう」だった。
ゲストでバラエティにたまに出る好きな女性の芸能人が司会者や周りの人たちに”女”として扱われるのも、心のどこかでは嫌だったけど、テレビってそんなもんだよね、と特に何も考えなかった。当たり前にスルーしていた。許容して、別に抗議もしなかった。
日本の笑いを批判するなんて、センスがない。バラエティってそういうもんでしょって、〇〇たるものこうでなきゃ、みたいなことを言い続ける世界を見て、テレビから少しずつ離れて目をつぶってた。
でも、日本のお笑いの真髄は、女性や男性や様々な人の性に、
身体に、きちんと配慮したぐらいで消えると思う?
自由に言葉を操れる彼らの腕は、そんなもんじゃないはずだ。
それでもすべらない、でもするどい刀のような、
和鉄のような、キレのある日本の笑いをもっと生み出しつづけてくれるんじゃないかなとも勝手に期待している。
同じ時代をまだもう少し一緒に生きる
表現を仕事にするひとたちは、この先簡単に誰かを性的に傷つけて安易に笑いをとることはしていかなくなるのだろう。
そんなのは古い、ダサい、わかってない。
と言われる時がまもなく、いやもう来ているだろうか。すべらないで、彼らは変わっていくことができるのだろうか。
一人をよってたかって叩いてつぶしたり、
褒めたりあげたりして、はい、終わりなんて
そんな簡単なことは、ない。
誰かに社会の責任をおしつけて、
その後ろの社会は黒いままなんてもってのほか。
今ここでこうして私が好き勝手に書いたように、発達した技術の裾野は広がって、
みんな片手で言葉を操れるようになった。
匿名で、まあ多少は安全に そこそこ大きな声で好きなことを言える世の中になってきた。
本音が言い合える分、言いにくいことも言えるようになったし、新たに傷つく人も、
社会的に消される人も消える文化も増えた。
白に見えていた黒は、ちゃんと黒になったし、どんなにまっさらな白でも、
一度でも黒っぽく見えたら、そうだ、それは黒だ!と糾弾する声は止まらなくなった。
ふたを思い切ってあけて、
いろんなものをかきわけて、風通しをよくした先にはなにがあるんだろう。
見たくないものも、見えてくるだろうか。
日本はこのあと どうなるだろうか。
私達はこれから 何を見るのだろうか。