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散文「変身」 2023-1-5

ありがたいことに年始から毎日のように打ち合わせがある。
目の前のパソコン画面に映ったプロデューサーやメインの脚本家の方に、六法をめくりながら法律のお手伝いをする毎日は、自分が当初思っていたよりも、楽しくてやりがいもあって。脚本を書けなければ死すべし! と思っていたあの時よりも少しまるくなって、日々はより穏やかになったと思う。

とはいえ、なにも書けないことは自分にとってもどかしい部分もあって。
だからか分からないけれど、最近は〈昼の私〉と〈夜の私〉がくるくると、入れ替わるようにして存在している。

〈昼の私〉
生活者としての私。団体競技の私。やわらかい私。のどかな私。
顔を洗い、ゴミを捨て、掃除機をかけ、ティッシュペーパーと頭痛薬を買い出し、六法をめくり、テレビドラマのお手伝いをして、親子丼をつくる私。

〈夜の私〉
単独者としての私。個人競技の私。きびしい私。本を読む私。真理を探す私。
蝋燭を灯し、ひたすらに本を読み、珈琲を飲み、窓を開け、夜風を迎い入れ、夜に目を凝らし、小説や散文を書き、チョコレートをつまむ私。

昼の私は短い睡眠を挟んで夜の私へと変身する。
昼の私だけでは、観念の私・思索の私が死んでしまう気がするし、
夜の私だけでは、実生活が壊れ、身体の私が物理的に死んでしまう。

あまりに当たり前のことではあるけれど、昼があり、夜があるというのは、本当にうまくできていると思う。くるくると入れ替わるようにしなければ、変身を繰り返さなければ、日々はこわれてしまうのだと思う。それくらいには日々は繊細で、たよりなく、自明なものではないのだと思う。

今日の夜はなんの本を読もうかと思いながら角煮を茹でる、朝から昼の、ちいさな変身のさなかに。

※おしらせ
1月9日夜9時から放映のフジテレビ系月9『女神の教室〜リーガル青春白書〜』に脚本協力として参加しております。よろしければご覧下さい。
ロースクールで日々を過ごした自分にとって、このドラマに参加できたことに、不思議なご縁を感じています。人生は不思議です。

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