ヤンシナのこと。

この度、第33回フジテレビヤングシナリオ大賞にて、佳作を受賞しました。
受賞作品は『すりーばんと』というタイトルで、今回はヤンシナの規定に則り、本名である深澤伊吹己という名前での受賞となりました。
脚本を始めてから、本当に沢山の方と出会うことができ、そうした中で出会った皆さんのお陰です。本当にほんとうにありがとうございます。

ここからは長い寄り道というか、帰り道です。あっちゃこっちゃいきつつ、だらだら書いていきますが、もしよろしければお読み下さい。

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脚本家になりたいと考え出したのは、今からざっくり4年前くらいになると思います。そのときは大学院で法律を勉強していましたが、行き詰まってしまい、漠然と悩んでいる中で、なぜか脚本を書いてみたいと思い立ちました。

正直に話すと、僕は元々、物凄い映画やドラマに詳しいわけではなく、「映画やドラマ、全部大好きです!」というわけではありませんでした。でも、「好きな映画やドラマがある」というのは明確に感じていて。だから、自分が好きな映画やドラマのようなものが書けたら、という想いで脚本を書き始めました。

初めてちゃんと書いたのは、市役所のエレベーターに結婚届を出しにきたカップルと離婚届を出しにきたカップルが閉じ込められてしまうというコメディで、たまたまこれが、その時やっていたコンクールにちょこっと引っかかり、「これは!! 新しい人生が拓けるかも!!!」ってぬか喜びしたのを覚えています。そこからは、もう、全然でした。

元は弁護士になるつもりでやっていたのに、脚本家なんてということで、当然、両親からも猛烈に反対され、なかなか厳しい状況になっていました。生まれてはじめて、父に言い返して、喧嘩のような形にもなりました。それでもその時の自分は、もう脚本家の道しか見えなくなってしまって、やれることをやるしかないという感じでした。

大学院をなんとか修了してからも、悪戦苦闘の日々は続きます。映像制作チェックの会社に入って1週間でやめたり、法律のライティングの会社にスタッフで入って1日でやめたりしていく中で、「あれ、ほんとにやばいな」という感じがしてきました。コンクールで一次が通ったりはしながらも、「こりゃあ、生活もまずいぞ」という心境でした。それじゃあ、1週間や1日でやめず、ちゃんと働きながらコツコツ脚本やりなさいよと思うのですが、それができませんでした。「なんでだ……どうしよう……」みたいに思ったときに、当時一緒に住んでいた妹に言われました。

「あんたはストイックじゃない」

何の話をしていたのか、明確には覚えてないのですが、夜二人でぺちゃくちゃ喋ってるときに僕が「もっとストイックにやんないとダメだな」みたいなことを言ったんだと思います。それを聞いた妹に言われたのが上のセリフでした。

最初は馬鹿言うなよ、って思いました。法律勉強して、司法試験まで真剣に目指していた兄だぞと。でも妹は、「中学の時だって試験前でも将棋しかしていなかった」「部屋に入ったらいつもエンタの神様しか見てなかった」「一緒に住んで分かったけど、日中はそもそも昼寝しかしてない」と次々証拠を突きつけてきました。一瞬で敗訴しました。

ああ、自分って別にストイックじゃないんだ。

この気付きが結構な発見で、ここから少しずつ脚本で書くものが変わっていきました。

脚本を書き始めた当初はできるだけ、構成をきっちりやって、整った脚本を書かなければ、という意識がありました。でも、書いていても構成というよりは、会話を書くのが好きだし、読んで頂いた人にも無駄話のような会話を褒めてもらうことが多いし、それにそもそも自分はストイックじゃない……そんな気づきから、とにかく自分の好きなものを書こう、たゆたう会話を楽しめる作品を書こうと思って書くようになりました。

そして昨秋のことです。午後の2時頃、昼寝をしているときに知らない連絡先から電話がきました。「フジテレビの者です」「え?」「ヤングシナリオ大賞の最終選考に残りました」「え?」

話を聞いていくうちに寝ぼけていた返事もどんどんシャキッとしていき、最後の方は、王様に「ハッ!」って返事する感じになっていましたが、とにかくそれで最終選考に残りました。
残ったのは『サンドリヨンと僕と』という作品で、クリスマスイブに自殺したくなった男性が最後に残ったちょこっとの貯金を使い切るためにレンタル彼女を頼んだところ、その女性が「0時(クリスマス)になったら死にます」と言い出す、コメディ半分、ドラマ半分みたいな作品でした。

「これはもう、いけた」と確信したものの、居ても立っても連絡は来ず。そして季節はすっかり冬になり、たまたま始まった妹との二人暮らしも板についた頃のことでした。

僕はその日、お手製の唐揚げを揚げていました。大きめに切ったもも肉をにんにく醤油にしこたまつけて、それを小麦粉と片栗粉を1:1にして作った粉で揚げていく唐揚げは、大きくて、ジューシーで得意料理の一つになっていました。でっかいからあげを山のように積み上げ、食卓に置き、さあさあ食べよう、なんて箸を掴んだタイミングでした。

落選を知らせるメールが届きました。僕は必死で笑顔を作り、「ダメだったわ」と妹におちょけてメールを見せたあと、あっつあつでジューシーな唐揚げを食べました。できるだけ冷静に、できるだけなんでもないように。

受賞基準は「将来の4番バッター候補を選ぶ」。その基準を聞いたときにこれはもう、選ばれることはないなと思いました。諦めて別の道を探ろう、そう思っていたところ、たまたま大好きな監督がTwitterで僕の作品のあらすじを褒めて下さり、なんかもうちょっとだけできるような気がして、あと一回だけ、応募してみようと思うに至りました。それで書いたのが今回の作品です。

題材に選んだのは野球の送りバントという作戦・戦術です。自分がアウトになる代わりに仲間のランナーを前にすすめる地味な技なのですが、このバントは、僕が少年野球時代、唯一得意だったものでもありました。

身体も小さい上にどんくさい自分は、とにかく打ってもダメ、走ってもダメ、守備も壊滅的でまったく野球の才能がありませんでした。熱烈な阪神ファンである父の影響を受け、シマシマ帽子を被って通学していましたが、まあ本当に野球が下手でした。そんな自分でも唯一できるのが、送りバントでした。

当時、バントのことをどう思っていたのかはあまり覚えていません。ホームランやヒットのようにカッコいいものではなかったので、納得しながらもどこか寂しさというか、辛さもあって送りバントをし続けていたんじゃないかと思います。表向きには「僕はバント職人です」みたいな渋い小学生でしたが、そりゃあホームランが打ちたかったと思います。

そんな経緯もあり、約20年が経った、フリーターのような2021年の自分も送りバントのことは気になり続けていました。「将来の四番バッター候補を選ぶ」と言っていたコンクールではあるけれど、バントでホームランになるような作品を書こうと思って書いたのが今回の『すりーばんと』でした。

会社対抗の草野球でマネージャー役を押し付けられた女性が草野球で活躍するためにバッティングセンターに通い出し、そこでたまたまバントだけが取り柄だった元甲子園球児と出会い、草野球で送りバントするためにゆるゆる頑張るコメディ

というのがざっくりしたあらすじなのですが、自由に、自分が大切だな、素敵だな、面白いなと思うものを詰め込んだら、本当に軽い、明るい、ゆるい作品になりました。

明るさ、軽さというのは、脚本を書く上でマイナスと評価されかねないものだと思います。ゆるさ、なんていうのはもう、基本マイナス点になるようなことだとも思います。でも僕は、そんな明るさや軽さ、ゆるさが大好きだし、最初に話した「好きなドラマや映画」はすべからく、どこか明るくて、軽くて、ゆるい作品でした。

人生というやつは本当に厄介で、生きていると闇に心が奪われる瞬間があります。『スターウォーズ』でいうダークフォースにつかえる人たち、『ハリーポッター』でいう名前を言ってはいけないあの人は、きっとその闇にのまれ、心酔した人なんだと思います。
ダークフォースはカッコいいです。小さい頃はダース・ベイダーが大好きだったし、戦隊モノでも悪役が好きでした。でも、現実の自分が悪に染まってしまってはいけない。世界は不平等で生きる価値がないように思えてならないけれど、それでも朝陽のきらめきや、窓から聞こえる小学生たちの明るい声や、好きな人と一緒に深夜のファミレスで食べるパフェの美味しさを抱きしめて生きなきゃって思うんです。

明るさや軽さを描くことは、価値のない作品をつくることとイコールではないと思っています。全人類が今日も死に向かっているのに、それでも笑うことができるのはなぜか、生きていられるのはなぜか。そこには人間の底なしの明るさがあるからなんじゃないかって思います。そんなものが本当にあるのかどうか分からないけれど、でもそれがあるから生きていられる気もして。だからそれを確認するために、日常に潜む美しさや不可思議を描きたいと心から思います。

と、気づいたらもう4000字を超えそうな勢いです。申し訳ないです。
そんな自分の昨日がこちらです。

左端で、不敵な笑みを浮かべながら、髪の毛が寝癖のようになってしまっているのが僕です。今朝、この写真を見て、唖然としました。前日にめちゃくちゃビクビクしながら銀座の美容室に足を踏み入れた努力はなんだったんだと。

でも、これが人生の不思議です。日常の不可思議です。人生できっと一回きりであろう授賞式、ニュースになるような写真で、寝癖ヘアになってしまう。情けなくてたまらないけれど、それが描きたいことそのもののような気もしました。

……随分長々ととりとめもないことを書いてしまいました。脚本を目指したところから、思うがままに振り返ったのですが、脚本を始めてなにより良かったのは、応援してもらえたことです。

なぜか分からないのですが、脚本を始めてからほとんど人生で初めて、応援してもらえるようになりました。僕の書いた拙い習作を面白いと言ってくれる方がいたり、ひょんなことから出会った先輩脚本家の方に「やめちゃダメだよ」と言ってもらえたり、家族も最初こそ溝はあったけど「凄いね」と声をかけてくれるようになったり、コンクールがきっかけで出会った脚本家仲間の方と「一緒に頑張りましょう」と励ましあえたり、大好きな監督さんの仕事をちょこっとお手伝いさせて頂けたり、担当した作品の感想をTwitterで言って頂けたり。もう、書ききれないくらい、「そんなことあるんだ」ってくらい、応援してもらえて。その一つひとつが本当にきらきらして見えて。ああ、生きていて良いんだってそのたびに思えて。一人なんかじゃないんだって心から思えてきたんです。

脚本を始めて出会った沢山の方のおかげで、脚本家人生の切符をつかむことができました。どの道に繋がっているかなんて分からないし、これきりなのかもしれないけれど、明るく上を向いて、いつかまた賞なんかもらって、あるいは舞台挨拶なんかに出させてもらったりなんかして、こんどこそ寝癖ヘアじゃない写真を撮ってもらえるように楽しくやっていこうと思います。

ほんとうに本当にこの度はありがとうございます。脚本はヤングシナリオ大賞のHPにアップされているので、お読み頂けたら嬉しいです。

長文、失礼しました。

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