ふて寝

ふて寝というのは、いわば、世界にゆだねて回復する方法で、自分でなんとかマインドセットするとか、そういうのとは間逆な行為だと思っていて。

パチンと店じまいして、それで、眼を閉じてしまえば、あとはなにをどうしてくれているのかはよくわからないけれども、すやすやして、あるいは、へんてこな夢を見ているうちに、眼を開けば、もう元気が出ているという、魔法のような方法で、この自分を外側にゆだねてしまうような運動として、とても豊かなものがあると思う。

小学校低学年くらいの頃だったと思う。母親になにかで怒られて、落ち込んだ私は、畳の部屋に積んである布団にそのまま顔を突っ伏して、積み重ねられた布団の中に腕を突っ込んで、泣きながら寝ていた。
寝ていて目を覚ますと、空はもう日暮れで、母親は買い物に出ていた。私は赤く染まる夕空を見ながら、さっきまで心につっかえていた涙のもとみたいなものが跡形もなく消えていて、あるのは頬の涙の痕跡だけだった。乾いた涙を拭うと、そのとき寝ているときに、天使か誰かが慰めてくれているように感じた。それくらいに晴ればれとした気持ちになったのを覚えている。

生きていればそりゃあ、ふてくされることはある。ふてくされるばかりだ。うんざりすることばかりだ。ごきげんでずっと生きていられればいいけれど、なかなかそうはいかない。だから、寝る。寝て忘れる。それだけ。

別に人間的に成長なんてしない。ストレスへの耐性なんてつかない。ただ毎回、同じように傷つく。痛い。でも、また寝る。そして起きる。その繰り返し。なんの意味があるのかすらもはやわからないけれども、ひとまずは生きていられる。死なずに済む。死にたいと思っても、強く強く思っても、ひとまず寝てみる。1時間、2時間、3時間、6時間。寝ているうちに、なんかお腹が空いてきて、今日はピザでも頼んじゃうか、みたいな気分になる。そしてピザを食べ、コーラを飲み、そして寝る。そのうちに、いつの間にか、多少元気になっている。また立ち上がっている。そうすることで、死なない。生きていくというほど強くなくても、死なずに済む。

寝ることが死ぬことのメタファーみたいに言われることがあるけれども、本当にそうなのかもしれないと思う。ふて寝は小さく死んでしまうことなのか。わからない。でもふて寝があるから、生きていられる。また立ち上がれると思う。今日はまだふて寝の予定はない。

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