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日記:裸眼でエスケープ

2024.05.06

ゴールデンウィーク最終日。
起床時刻は5:46。昨日寝たのは0時頃だったから、睡眠時間は約6時間。
こんなに早く起きても大してやることはないのだけれど、かといって二度寝するとまた生活リズムが乱れてしまうので、身体を起こす。
カーテンを開けると、鈍い色をした雲と烏が一羽。

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一昨日、昨日のうちに一人暮らしに戻ろうと思っていたのに、結局まだ実家にいる。とは言っても、家には誰もいないため、朝食は食べ慣れたカップラーメンと消費期限切れのコンビニおにぎり。栄養はないが、不満もない。
昨日観れなかったサッカーの試合を観ようとするも、贔屓にしていないチームの試合だったため全く集中できず、前半だけ流し目で見て、ハイライト映像に切り替えた。スコア的にはいい試合だったから、ちゃんと観れば面白かったのかもしれないな、なんて思いながら、乾いた米粒を咀嚼。

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ここ数日間、SNS(とりわけInstagram)を極力見ないように過ごしている。
以前よりも他人の眩しい投稿や自分の承認欲求に揺さぶられることはなくなってきたものの、最近の自分はそういう揺さぶりを受けやすい時期と状況にあるため。
暇な時間を過ごしていると、どうしてもスマホを触ってしまって、何の通知も来ていないSNSのアイコンを自然と押してしまう癖があるので、アプリも今はアンインストールしている。SNSを見なくなった分、代わりに何かしているのかといわれたら、ただ暇な時間は暇な時間のまま存在していて、その密度が濃くなっただけ。でも、また変に人と自分を比べてしまって自己嫌悪に浸ってしまうよりは、その方がいい。ということで、もう暫くは離れたいと思う。すぐ戻ってくるかもだけど。
(noteは続けます。)

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また、単純に、流れてくる情報の多さに息苦しくなっているというのもある。これはSNS関係なく、街を歩いている時にも感じること。
通行人の服装と会話、すれ違い様の香水、大袈裟なリアクション、車の渋滞、お洒落なショーウィンドー、救急車のサイレン、主張の強いデジタルサイネージ。
疲れている時は、日常のちょっとした刺激に対して過敏になってしまう。脳と心のキャパシティが蝕まれている感覚。こういうときは、裸眼で歩けば幾分か楽になるのだろうか。目に映る全てが暈けた景色。しんどいときはそのくらいがちょうどいい気もするが、私の視力の悪さはなかなかのもので、大学時代に裸眼で自転車を漕いでいたら、急に目の前に電信柱が現れたことがあったほど。急ブレーキを踏んでなんとかぶつからずに済んだものの、冷や汗が止まらなかった記憶。
手元で視力を段階的に調整できる道具があればいいのにね。

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このゴールデンウィークは嬉しいことも落ち込んだこともあった。
嬉しいことは、小学校からの友人に誘われて2年ぶりに会ったこと。お互い人に声をかけるタイプでもなく、そして割と引きこもり体質なので、たまに連絡をとることはあってもなかなか会うまでに至らなかった。なので、声をかけてくれたことが、まずとても嬉しかった。
この友人との関係は少し不思議なもの。小学校の部活が同じで、仲は良かったものの、度々喧嘩していた。小学生の喧嘩なんて、見方によれば健全なものだとも言えるのかもしれない。しかし、そうだとすれば私たちの間で行われたそれは喧嘩とは呼べず、今思い返しても「あんなことあったね」と笑って振り返ることは、少なくとも私にはできない。二人の間には、喧嘩にはない陰湿さがあった。そして、お互いに物凄く弱虫だった。犬猿の仲と呼べるほど啀み合い続けるわけでもなく、仲がいい時期と悪い時期を繰り返していたところは、いかにも小学生らしい。
その関係は中学校に入学する頃には何故だか良好になり、生徒の母数が小学校に比べて一気に増えたことによって、以前より関わる時間は少なくなったものの、関係が悪化することはなくなった。そして、高校は離れたがその割には頻繁に遊ぶ仲になり、お互い県外に進んだ大学時代も、地元に帰れば、他に仲の良かった人も含めて集まり、くだらないことで笑い合い、解散するのを惜しみながらダラダラと夜遅くまで一緒に過ごすこともあった。よくある話なのかもしれないけれど、小学生時代のあの険悪な関係を考えると、一緒にいてここまで居心地の良さを感じるのは、とても不思議で、なんとなくこそばゆい。
そんな友人が、最近結婚した。
2年ぶりに会った彼の左手薬指にはめられた指輪を見ると、少し込み上げてくるものがあった。

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そして、落ち込んだ話。
母親に近況を聞かれて話をする中で、自分の現状と将来を直視させられて、今まで誤魔化してきた不安の色がまた濃くなり、しんどくなってしまった。言って終えば、ただそれだけの話ではあるが。
"直視させられて"という言い方は如何にも被害者ぶった言い方に聞こえてしまう気もするが、そういうつもりはなく、寧ろそれは、ずっと前から直視しなければいけないものなのだ。母親に罪はない。というか、母親からかけられた言葉のどこかに深く傷ついたわけでもない。
社会復帰には前向きになりつつも、じゃあ具体的にどう復帰するのか、というところが考えられていないのが現状。
元々いたところに戻るのか、職場は変えずに違う部署に移れないか交渉してみるのか、はたまた思いっきり環境を変えるのか。おそらくこの三択。しかし、これらを選択するための情報収集が全くと言っていいほどできていない。
担当医は「まず社会復帰に対して前向きになれたことが進歩。これからのことは焦らず、ゆっくり考えて決断していけば良い」と伝えてくれる。それ自体はとてもありがたい言葉で、幾分心は楽になるのだが、一方で「そんなことできるようになるときが来るのだろうか」という不安もある。もちろん、できるようになるときを受け身で待っていてもしょうがなくて、きっと何かしら能動的に動く必要があるのだろうけど、どこから何をすればよいのかが分からない。
いや、分からないというのはきっと嘘で、ただ誤魔化しているだけ。単に、知らない情報や知らない世界を知ることに怯えているだけだ。できると思っていたことができない、実力不足と経験不足を突き付けられるのが怖い。まだ突き付けられたわけでもないのに、そんなことを勝手に想像して、身動きがとれない状況。
逃げてばかりの人生なのに、逃げるという行為からはどうしても逃げられない。

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そんなこんながあって、昨日は久しぶりに負の気持ちで涙を流してしまった。泣いてはいないつもり、ただ涙が勝手に流れただけ。頭と心が蜘蛛の巣みたいなもので一杯になって、それをごちゃごちゃに掻き混ぜられたような心地の悪さ。我慢しようとすればするほど流れてくるのが悔しい。家には姉もいたけれど、二人には気付かれたくなかったから、流れる涙も鼻水もそのままに、ベッドに潜って耐える。
関係ない話だけど、母親とその話をする前は、とても機嫌が良かった。姉も交えて、3人で笑い話をしていたところだった。そんな風に明るく笑っていた自分が、数分後には、人が変わったように暗く沈んでいる。そんな自分を自覚すると、余計にやるせなくなってしまった。
わざわざこんな弱々しさを文字に起こすなんて、どういう神経をしているのだろうと自分で思うけど、今日は投げやりな気分なので仕方ないことにする。数日後、これを書いたことに恥ずかしさや後悔を覚えれば消せばいい。多分書いたことすら忘れているけれど。

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リワークに通う日々の中、なんとなくではあるが、俗にいう「時間が解決してくれる」という感覚が掴めるようになってきた。その感覚はとても大事なもので、少しでもそういう風に思えるようになってきた自分に幾らか安心していたのだけれど、それは結局自分ではどうしようもない出来事に対して通用するものであって、自分がどうにかしなくちゃいけない状況の中では、そんなことは思えないと知る。
現実を突き付けられるのが苦しい。けど、しっかりと直視しなければいけないのが現実。

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つらつらと言葉にすることで発散できるものがあったからなのか、おなかが鳴った。くしゃみが出た。そして、あくびも。
明日から、また週5日のリワークが始まる。
できていないこと、満足していないことも沢山あるけど、休み始めた時期に比べたら体調も気持ちもだいぶ落ち着いてきているのは確か。
気を楽にして、怯えないように、明日から現実と向き合っていきたい。

とりあえず、ご飯を食べる。





~Today's Song~
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